企画・連載

〈小説『人間革命』起稿60周年――生命の刻印 間断なきペンの闘争〉第12回 精神の正史Ⅲ 2024年12月2日

人類の宿命を転換する運動は、連綿と継承されてこそ成就する

 
 きょう12月2日は、小説『人間革命』起稿の日。1964年、池田大作先生が、沖縄の地で筆を起こして60周年の佳節である。
 フランスの文豪ビクトル・ユゴーが、独裁者ナポレオン3世に正義の言論闘争を宣言したのも、1851年の12月2日であった。
 過酷な弾圧を受けたユゴーは、19年にも及ぶ亡命生活を余儀なくされる。だが、文豪は試練を、旺盛な創造力を発揮する力にした。この亡命期に生まれた作品の一つが、『レ・ミゼラブル』だ。
 フランス革命後の混乱した時代を、懸命に生き抜く民衆の姿を通して、人間内部の善性に光を当てた不朽の名作である。
 同書は、池田先生のかけがえのない“青春の書”であった。「少年の心は、曠野に飛翔し、天空を駆けめぐる興奮をどうしようもなかった」と、読後の感動をつづっている。そして、“無名でも、後世に残せるような小説を書きたい”と大望を抱いた。22歳の時に、3度目の読了をしている。
 先生は『人間革命』を書く際、同書をひもとき、執筆の参考にした。『人間革命』は、同志が広宣流布の運動の意義を学び、自他共の幸福を目指し、社会の変革に立ち上がる原動力となった。

 
人類救う生命の哲理

 1969年秋、池田先生のもとに一通のエアメールが届いた。
 「貴殿の思想や著作に強い関心をもっております……」
 差出人は20世紀を代表する歴史学者アーノルド・J・トインビー博士。書簡には「貴殿を英国にご招待し、現在、人類が直面している諸問題に関して、二人で有意義に意見交換できれば幸いです」とも記されていた。
 トインビー博士が提唱した理論の一つが、「挑戦と応戦」である。社会は試練に直面することで発展し、そうした応戦が、次なる挑戦に立ち向かうエネルギーを生み出していくとの洞察である。
 池田先生と博士の対談が始まった1972年は、ベトナム戦争が泥沼化し、核兵器の使用が懸念されるなど、国際社会は混迷の度を深めていた。
 さらに、環境問題なども深刻化し、人類の生存の危機が指摘され始めていた時である。
 博士は、こうした地球的問題群の「挑戦」に、「応戦」する力を与える高等宗教として、大乗仏教に高い関心を寄せていた。中でも“生きた宗教”である創価学会に注目したのである。
 72年に出版された英語版『人間革命』(ウェザヒル社刊)の第1巻に、博士は序文を寄せている。
 「池田氏のこの著作が、フランス語や英語に翻訳されている事実が示すように、創価学会は、既に世界的出来事である」
 「日蓮は、自分の思い描く仏教は、すべての場所の人間仲間を救済する手段であると考えた。創価学会は、人間革命の活動を通し、その日蓮の遺命を実行しているのである」
 同年4月29日、先生はトインビー博士との対談のため、ヨーロッパ訪問へ旅立つ。この欧州滞在中の5月3日から、本紙では『人間革命』第8巻「真実」の章の連載が始まっている。
 当初、第8巻の連載開始は帰国後に予定されていた。だが、4月初旬、先生は『人間革命』の編集担当者に、「留守中の全国の会員のために、連載を早めたいんだ」と連絡を入れた。
 トインビー対談の準備をしながら、同志に勇気と希望を送るため、『人間革命』の執筆にも全精魂を注いだ。
 「真実」の章に、先生はこうつづった。「もはや、かつての西欧文明を築き上げた一連の思想では、役に立たない時が来てしまった。人間の存在を左右するものは、日蓮大聖人が早くも洞察したように、生命の力にかかっている。まさしく生命の哲理こそ、人間の尊厳を支える座標軸となるべきものである」
 トインビー博士との対談は、72年5月と73年5月に、イギリスの博士の自宅で行われた。
 人類は「宿命転換を、はたして成し遂げられるでしょうか」との博士の問いに、先生は答えた。
 「考えなければならないことは、どのようにすれば、人間の宿命、業ともいうべき“内なる悪”を打ち破ることができるかという点です」
 「この仏法は、人間の本性という問題に正面から取り組み、人間が宿命を転換し、宿業を打開していく方途をはっきりと明示しています」
 博士は賛同を示し、「最も望ましい心の変革とは、人間の内面からの精神変革による以外にない」と結論した。
 延べ40時間に及ぶ語らいは、人類が直面する諸問題について幅広く論じ合われた。両者は深く響き合った。
 対談の翌74年に発刊された英語版『人間革命』第2巻にも、博士は序文を寄せた。
 「この信仰は、精神的な努力へと人々を促すものであり、社会に重要な影響をもたらす。社会のいかなる次元の改革も――それが政治であれ経済であれ――社会の個々の構成員の精神的行動を通してのみ実現が可能である。個々の人間の努力による自身のカルマ(業、宿業)の改善が、人類全体の精神的進歩のカギを握っている」

 
青年が世界を変える

 1973年5月19日、対談を終えたトインビー博士は、池田先生に1枚のメモを託した。
 「若いあなたは、このような対話を、さらに広げていってください」
 そこには、世界最高峰の学識者たちの名が記されていた。ローマクラブの創設者アウレリオ・ペッチェイ博士もその一人である。
 世界的なシンクタンクであるローマクラブは72年、『成長の限界』と題するリポートを発表。それまでのような人口増加率と経済成長率が続けば、食糧不足、資源の枯渇等によって、100年以内に、人類は破滅的な事態を迎えかねないと警告を発した。その内容は、世界に衝撃を与えた。
 “人類は産業革命、科学革命、テクノロジー革命と3度にわたり「人間の外側の革命」を経験してきた。それを何のために、どのように使うべきかという英知は、未開発のままになっている”――そう危惧したペッチェイ博士は、「人間性の革命」を提唱した。
 博士は、先生と5度にわたって語らいを重ねた。
 初めての出会いは、75年5月16日。イタリアから遠路、フランスのパリ会館に先生を訪ねた。博士は、トインビー博士が序文を寄せた英語版『人間革命』を携えていた。
 博士66歳、先生47歳。博士は年上だったが、「センセイ」と呼んだ。危機の時代を乗り越える方途を、先生から真摯に学ぼうとする姿勢に、同席したSGIメンバーは心から感動した。
 語らいの中で、博士は、自身が提唱してきた「人間性の革命」も、究極的には「人間革命」に帰着すると述べ、両者の関係について意見を求めた。先生は答えた。
 「『人間性革命』の大前提になるのが、人間性を形成する生命の変革であると思います。その生命の根源的な変革を、私たちは『人間革命』と呼んでおります」
 博士は笑みを浮かべ、「私も、きょうからは『人間革命』でいきます」と語り、さらに尋ねた。
 「人類の人間革命を成し遂げていくには、どれぐらいの時間が必要でしょうか」
 博士は、一刻も早く地球的問題群を解決するため、人間自身の変革を急がねばならない、と感じていたのであろう。先生は語った。
 「人間を変革する運動は漸進的です。かなりの時を要します。しかし、行動せずしては、種を蒔かずしては、事態は開けません」
 「私は、今世紀に解決の端緒だけは開きたいと思っています。そのために、これまでにも増して、さまざまな角度から、さらに提言を重ね、警鐘を発していく決意です。また、エゴイズムの根本的な解決のために、私どもの人間革命運動に、一段と力を注ぎます」
 人類の宿命を転換する創価の人間革命運動は、一代で完結するものではない。世代から世代へ、連綿と継承されてこそ成就する。
 博士は晩年まで、人間革命の重要性を訴えた。
 先生は、博士の子息とも友誼の交流を続けた。子息は博士の魂の叫びを、先生に伝えた。
 「世界を変革できるのは、青年だよ。青年の人間革命によって、世界は変わるんだよ」