作新学院大学(栃木県宇都宮市)の渡邊弘学長は、30年間にわたって創価教育の思想と歴史を研究し、学会の平和・文化・教育運動を見つめ続けてきました。教育本部主催の人間教育実践報告大会で講評を幾度も務め、2021年に『創価教育と人間主義』(第三文明社)と題する書籍を発刊。本年6月には、栃木で行われた聖教文化講演会で「いま、創価学会と創価教育に期待すること」とテーマを掲げ、講演しています。池田大作先生の一周忌に当たり、本紙のインタビューに応じました。上下2回で紹介します。(聞き手=大宮将之、村上進)
作新学院大学(栃木県宇都宮市)の渡邊弘学長は、30年間にわたって創価教育の思想と歴史を研究し、学会の平和・文化・教育運動を見つめ続けてきました。教育本部主催の人間教育実践報告大会で講評を幾度も務め、2021年に『創価教育と人間主義』(第三文明社)と題する書籍を発刊。本年6月には、栃木で行われた聖教文化講演会で「いま、創価学会と創価教育に期待すること」とテーマを掲げ、講演しています。池田大作先生の一周忌に当たり、本紙のインタビューに応じました。上下2回で紹介します。(聞き手=大宮将之、村上進)
――日本の教育思想史の研究をされてきた渡邊学長が、創価教育に関心を抱いたきっかけは、恩師の存在でした。
1994年のことです。恩師の村井実先生(慶應義塾大学名誉教授)から「今度、創価学会の牧口常三郎初代会長について私が講演をする機会があるから、君も来ないか」と誘われました。それが都内で行われた、「創価教育学と教育の未来」と題する講演会だったんです。
感動しました。昭和初期、軍国主義教育にひた走っていた日本において、「子どもの幸福」を第一に掲げた実践から独自の教育理論を提唱し、命懸けで信念を貫いた教育者がいたのか――と。そこから牧口先生の『創価教育学体系』『人生地理学』等を学び始め、第2代会長・戸田城聖先生、そして第3代会長の池田大作先生を知ったのです。
――日本の教育思想史の研究をされてきた渡邊学長が、創価教育に関心を抱いたきっかけは、恩師の存在でした。
1994年のことです。恩師の村井実先生(慶應義塾大学名誉教授)から「今度、創価学会の牧口常三郎初代会長について私が講演をする機会があるから、君も来ないか」と誘われました。それが都内で行われた、「創価教育学と教育の未来」と題する講演会だったんです。
感動しました。昭和初期、軍国主義教育にひた走っていた日本において、「子どもの幸福」を第一に掲げた実践から独自の教育理論を提唱し、命懸けで信念を貫いた教育者がいたのか――と。そこから牧口先生の『創価教育学体系』『人生地理学』等を学び始め、第2代会長・戸田城聖先生、そして第3代会長の池田大作先生を知ったのです。
――池田先生の95年の生涯において、特筆すべき事績は何だと思われますか。
池田先生の一周忌に際し、改めて、衷心より哀悼の意を表します。先生の功績を挙げればキリがありません。敢えて3点にまとめるなら、次のように言えるでしょうか。
①人間主義の教育を実践するため、中核となる「教育部(教育者の集い)」を設置し、創価学園・大学などの教育機関を国内外に創立したこと
②創価学会を世界宗教へと高め、平和主義・世界市民主義の精神を地球規模で普及したこと
③持続可能な社会の建設を目指し、さまざまな提言を重ねて、人類の「人間革命」「地球革命」を促進したこと
私は池田先生とお会いしたことはありません。それでもご著作を読み、学会員の皆さまとの交流を通して、その思想と足跡の偉大さを実感してきました。今回も取材に当たって、小説『新・人間革命』を、改めてひもといたところです。
――池田先生の95年の生涯において、特筆すべき事績は何だと思われますか。
池田先生の一周忌に際し、改めて、衷心より哀悼の意を表します。先生の功績を挙げればキリがありません。敢えて3点にまとめるなら、次のように言えるでしょうか。
①人間主義の教育を実践するため、中核となる「教育部(教育者の集い)」を設置し、創価学園・大学などの教育機関を国内外に創立したこと
②創価学会を世界宗教へと高め、平和主義・世界市民主義の精神を地球規模で普及したこと
③持続可能な社会の建設を目指し、さまざまな提言を重ねて、人類の「人間革命」「地球革命」を促進したこと
私は池田先生とお会いしたことはありません。それでもご著作を読み、学会員の皆さまとの交流を通して、その思想と足跡の偉大さを実感してきました。今回も取材に当たって、小説『新・人間革命』を、改めてひもといたところです。
人生最後の事業
人生最後の事業
――池田先生は「教育こそ人生最後の事業」と定め、全うしました。宗教者である池田先生がなぜ教育を最重要視したか。この点を、どう見ておられますか。
人間の究極の目的は「幸福」であり、「宗教」も「教育」も本来、その目的は同じです。
小学校の教員・校長を務めた牧口先生は、「どうすれば子どもたちが幸福な人生を歩めるか」を追究し、古今東西の教育者・哲学者の英知も求めた上で、仏法と出合いました。牧口先生の『創価教育学体系』には、「宗教と科学・道徳及び教育との関係」という一章節がありますね。そこに、こう記されています。
「一貫する因果の法則を見出して、絶対至高なる正邪善悪の標準を確立し、その規範に則ることによって、初めて至幸至福といふべき生活を遂げんとするのが人心の深底に横たはる要求で、宗教の起る所以である」
――池田先生は「教育こそ人生最後の事業」と定め、全うしました。宗教者である池田先生がなぜ教育を最重要視したか。この点を、どう見ておられますか。
人間の究極の目的は「幸福」であり、「宗教」も「教育」も本来、その目的は同じです。
小学校の教員・校長を務めた牧口先生は、「どうすれば子どもたちが幸福な人生を歩めるか」を追究し、古今東西の教育者・哲学者の英知も求めた上で、仏法と出合いました。牧口先生の『創価教育学体系』には、「宗教と科学・道徳及び教育との関係」という一章節がありますね。そこに、こう記されています。
「一貫する因果の法則を見出して、絶対至高なる正邪善悪の標準を確立し、その規範に則ることによって、初めて至幸至福といふべき生活を遂げんとするのが人心の深底に横たはる要求で、宗教の起る所以である」
一方、池田先生は19歳で戸田先生と出会い、信仰の道へと進みました。戸田先生に師事する中で「人間革命の哲理」と「創価教育の理念」を学び、仏法を実践します。そして、「人類の至幸至福」「世界の平和」の実現のためには一人一人の「人間革命」が不可欠であること――とりわけ、社会的に光が当てられていない人々を救済し、エンパワーメント(内発的な力の開花)をしていくには、「教育」こそが最も重要であるという結論に至ったのでしょう。
池田先生は、牧口先生と同様、「教育」と「宗教」を別々のものではなく、いわば連関した一体的なものとして捉え、「一人の人間革命から、地球革命へと至る道」を志向したのではないでしょうか。それが小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章の、次の一節に見て取れます。
「教育には、宗教的な基盤は不可欠である。宗教なき教育は、羅針盤を失った船に等しい。いかに多くの知識という燃料を注入しても、宗教という生き方の芯がなければ、人生の航路を見失ってしまうことになるからだ」
「真実の仏法は、万人に尊極の『仏』を見る、生命の尊厳と平等の哲理である。また、人びとの苦を抜き、楽を与えようとする慈悲の思想である。つまり、人類の幸福と平和を実現する、普遍的な原理を説き示しているのが仏法であり、決して、特別なものではない」
一方、池田先生は19歳で戸田先生と出会い、信仰の道へと進みました。戸田先生に師事する中で「人間革命の哲理」と「創価教育の理念」を学び、仏法を実践します。そして、「人類の至幸至福」「世界の平和」の実現のためには一人一人の「人間革命」が不可欠であること――とりわけ、社会的に光が当てられていない人々を救済し、エンパワーメント(内発的な力の開花)をしていくには、「教育」こそが最も重要であるという結論に至ったのでしょう。
池田先生は、牧口先生と同様、「教育」と「宗教」を別々のものではなく、いわば連関した一体的なものとして捉え、「一人の人間革命から、地球革命へと至る道」を志向したのではないでしょうか。それが小説『新・人間革命』第15巻「創価大学」の章の、次の一節に見て取れます。
「教育には、宗教的な基盤は不可欠である。宗教なき教育は、羅針盤を失った船に等しい。いかに多くの知識という燃料を注入しても、宗教という生き方の芯がなければ、人生の航路を見失ってしまうことになるからだ」
「真実の仏法は、万人に尊極の『仏』を見る、生命の尊厳と平等の哲理である。また、人びとの苦を抜き、楽を与えようとする慈悲の思想である。つまり、人類の幸福と平和を実現する、普遍的な原理を説き示しているのが仏法であり、決して、特別なものではない」
とらわれの鎖とは
とらわれの鎖とは
――池田先生はまた、「教育なき宗教は独善となる。教育に根を張った宗教こそが普遍的なものとなる」とも語っていました。この普遍性という点について、渡邊学長が本年6月の聖教文化講演会で、「『創価学会と創価教育』の傑出した特質は『開かれた対話』の実践にある」と強調されていたことを思い起こします。
単なる「対話」でも、ましてただの「会話」でもなく、「“開かれた”対話」であるという点が重要です。何に対して開かれているかと言えば、あらゆる差異を超えて「万人」に開かれているということです。これが簡単なようで、実は難しい。なぜなら人間は、「相手が同じ人間である」という素朴にして明快な事実が、さまざまな「とらわれ」ゆえに見えなくなる場合が、往々にしてあるからです。
「独善的なイデオロギー」にとらわれ、「小さな利害」にとらわれ、「感情」や「誤った知識・先入観」にとらわれ、根本的には「人間と生命への無知」にとらわれて、自分で自分を狭い世界に閉じ込めてしまう。池田先生は、そんな“とらわれの鎖”を断ち切り、相手を同じ「人間として」尊敬することから、「人間として」の開かれた対話が始まると訴えました。
――池田先生はまた、「教育なき宗教は独善となる。教育に根を張った宗教こそが普遍的なものとなる」とも語っていました。この普遍性という点について、渡邊学長が本年6月の聖教文化講演会で、「『創価学会と創価教育』の傑出した特質は『開かれた対話』の実践にある」と強調されていたことを思い起こします。
単なる「対話」でも、ましてただの「会話」でもなく、「“開かれた”対話」であるという点が重要です。何に対して開かれているかと言えば、あらゆる差異を超えて「万人」に開かれているということです。これが簡単なようで、実は難しい。なぜなら人間は、「相手が同じ人間である」という素朴にして明快な事実が、さまざまな「とらわれ」ゆえに見えなくなる場合が、往々にしてあるからです。
「独善的なイデオロギー」にとらわれ、「小さな利害」にとらわれ、「感情」や「誤った知識・先入観」にとらわれ、根本的には「人間と生命への無知」にとらわれて、自分で自分を狭い世界に閉じ込めてしまう。池田先生は、そんな“とらわれの鎖”を断ち切り、相手を同じ「人間として」尊敬することから、「人間として」の開かれた対話が始まると訴えました。
では、その「人間と生命への無知」から生まれる“とらわれの鎖”を、断ち切るものとは何か。それこそ「人間と生命への『信』」を起こす仏法の哲理である――これが牧口先生・戸田先生・池田先生の三代会長を貫き、学会員の皆さまに継承されている確信ではないでしょうか。
「万人に『仏の生命』が備わっている」という宗教的な生命観の上から、創価教育においては、人は誰もが人格という「価値創造力の豊かなるもの」(『創価教育学体系』)を有するとの、確固たる人間観を示しています。「開かれた対話」とは、自分も相手も互いに「価値創造者」であるという「強き信」を基盤とするものだと言えるでしょう。
では、その「人間と生命への無知」から生まれる“とらわれの鎖”を、断ち切るものとは何か。それこそ「人間と生命への『信』」を起こす仏法の哲理である――これが牧口先生・戸田先生・池田先生の三代会長を貫き、学会員の皆さまに継承されている確信ではないでしょうか。
「万人に『仏の生命』が備わっている」という宗教的な生命観の上から、創価教育においては、人は誰もが人格という「価値創造力の豊かなるもの」(『創価教育学体系』)を有するとの、確固たる人間観を示しています。「開かれた対話」とは、自分も相手も互いに「価値創造者」であるという「強き信」を基盤とするものだと言えるでしょう。
伝統の座談会こそ
伝統の座談会こそ
――「開かれた対話」の精神を、自らの行動をもって示したのが池田先生でした。
その通りです。中国や旧ソ連、アメリカなど東西各国の元首・リーダーと重ねてきた会見も、キリスト教やイスラム、ヒンズー教の指導者との語らいも、さらには行く先々で出会った市井の庶民との交流も、全て「開かれた対話」にほかなりません。
人間への「尊敬」があり、生命の可能性への限りない「信」があるからこそ、全人格的な触発が生まれます。相手の意見に耳を傾けつつ、自分の意見を率直に述べることもできる。心が通い、共通の目的に向かって、より良いものを生み出す仲間として、「創造的な人間関係」を構築していける。「人類の平和の文化」も創造されるのです。
――「開かれた対話」の精神を、自らの行動をもって示したのが池田先生でした。
その通りです。中国や旧ソ連、アメリカなど東西各国の元首・リーダーと重ねてきた会見も、キリスト教やイスラム、ヒンズー教の指導者との語らいも、さらには行く先々で出会った市井の庶民との交流も、全て「開かれた対話」にほかなりません。
人間への「尊敬」があり、生命の可能性への限りない「信」があるからこそ、全人格的な触発が生まれます。相手の意見に耳を傾けつつ、自分の意見を率直に述べることもできる。心が通い、共通の目的に向かって、より良いものを生み出す仲間として、「創造的な人間関係」を構築していける。「人類の平和の文化」も創造されるのです。
――私たち学会員もまた、池田先生の弟子として「今いる場所」で「開かれた対話」をと誓い、実践しています。
日本と世界の未来を開くため、心から期待しています。
今月も各地で「座談会」が行われていますね。私は、牧口先生の時代以来、今日まで続いている学会伝統の座談会こそ、「開かれた対話の場」であると見ています。さらに日頃から地域の人々の輪の中に飛び込んで、自分と異なる意見を持つ人にも心を開いて対話を重ねている。それがどれほど、すごいことか。
――私たち学会員もまた、池田先生の弟子として「今いる場所」で「開かれた対話」をと誓い、実践しています。
日本と世界の未来を開くため、心から期待しています。
今月も各地で「座談会」が行われていますね。私は、牧口先生の時代以来、今日まで続いている学会伝統の座談会こそ、「開かれた対話の場」であると見ています。さらに日頃から地域の人々の輪の中に飛び込んで、自分と異なる意見を持つ人にも心を開いて対話を重ねている。それがどれほど、すごいことか。
牧口先生と戸田先生に始まった「創価の精神」は、池田先生によって確立され、世界へと広がりました。その精神を継承された皆さまの姿に接して学びを重ねていくたび、私も池田先生への感謝の念を新たにするのです。
(㊦に続く。19日付予定)
牧口先生と戸田先生に始まった「創価の精神」は、池田先生によって確立され、世界へと広がりました。その精神を継承された皆さまの姿に接して学びを重ねていくたび、私も池田先生への感謝の念を新たにするのです。
(㊦に続く。19日付予定)
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