◆踊る、踏む、舞う
◆踊る、踏む、舞う
舞踊批評家協会が設ける協会賞の授賞式が日本記者クラブであった。昭和44年(1969年)に第1回だから56年の実績がある。初めは急速に成長してきたバレエを中心とした洋舞、のちに世界の「BUTOH」となる舞踏が対象で、数年後から日本舞踊も加わった。
個人で受賞回数が最も多いのは森下洋子。花柳寿南海、花柳照奈も複数回。大野一雄、笠井叡、麿赤児ら舞踏の名手も毎回、名を連ね、日本から発信し国際化を遂げる過程も分かる。ジャンルを超えてはいるが、皆、肉体表現という共通言語を持つ人々だ。
受賞者それぞれのスピーチも心に残ったが、来場した人の中に2年前、新人賞を受けた榎木ふくがいた。師匠の小林嵯峨が今年、本賞を受賞したことへのスピーチを求められ、「わたしは、ことばで表現するのが苦手なので」と断って、いきなり、その場で師匠へのメッセージを舞い始めた。もちろん、音楽もなく、即興の祝意。
すると、嵯峨が近寄って、それに呼応する舞を見せ、ステキな師弟のコラボを披露し、感動的だった。これぞ舞踏の心なのかと。
日本の伝統舞踊とは水と油に思える舞踏だが、今、上映中の話題作「国宝」では、やはり受賞歴のある田中泯が人間国宝である老練な歌舞伎俳優の役で、なんと「鷺娘」を踊る場面がある。人生で初の日本舞踊に取り組んだという。
聞けば、榎木ふくの妻は日本舞踊を稽古しているとか。様式と約束事の中で磨き上げる伝統芸能。片や、枠から解放され、心の奥底の情念を肉体の限界いっぱいに表現する舞踏。共通するのは、どちらも日本人が生み出し伝えてきたもの。
それぞれの素晴らしさが感応し合えるのは、お互いを見聞きし、あえて踏み入らないことでそれぞれの節度を保ち洗練させるからだと、授賞式に出席して学び、心豊かに梅雨空の道を帰宅した。
(古典芸能解説者)
舞踊批評家協会が設ける協会賞の授賞式が日本記者クラブであった。昭和44年(1969年)に第1回だから56年の実績がある。初めは急速に成長してきたバレエを中心とした洋舞、のちに世界の「BUTOH」となる舞踏が対象で、数年後から日本舞踊も加わった。
個人で受賞回数が最も多いのは森下洋子。花柳寿南海、花柳照奈も複数回。大野一雄、笠井叡、麿赤児ら舞踏の名手も毎回、名を連ね、日本から発信し国際化を遂げる過程も分かる。ジャンルを超えてはいるが、皆、肉体表現という共通言語を持つ人々だ。
受賞者それぞれのスピーチも心に残ったが、来場した人の中に2年前、新人賞を受けた榎木ふくがいた。師匠の小林嵯峨が今年、本賞を受賞したことへのスピーチを求められ、「わたしは、ことばで表現するのが苦手なので」と断って、いきなり、その場で師匠へのメッセージを舞い始めた。もちろん、音楽もなく、即興の祝意。
すると、嵯峨が近寄って、それに呼応する舞を見せ、ステキな師弟のコラボを披露し、感動的だった。これぞ舞踏の心なのかと。
日本の伝統舞踊とは水と油に思える舞踏だが、今、上映中の話題作「国宝」では、やはり受賞歴のある田中泯が人間国宝である老練な歌舞伎俳優の役で、なんと「鷺娘」を踊る場面がある。人生で初の日本舞踊に取り組んだという。
聞けば、榎木ふくの妻は日本舞踊を稽古しているとか。様式と約束事の中で磨き上げる伝統芸能。片や、枠から解放され、心の奥底の情念を肉体の限界いっぱいに表現する舞踏。共通するのは、どちらも日本人が生み出し伝えてきたもの。
それぞれの素晴らしさが感応し合えるのは、お互いを見聞きし、あえて踏み入らないことでそれぞれの節度を保ち洗練させるからだと、授賞式に出席して学び、心豊かに梅雨空の道を帰宅した。
(古典芸能解説者)