デジタル企画
ほほ笑みの小児科看護師 連載〈Color My Days〉 2023年2月15日
自分らしく生きる若者を紹介する電子版連載「Color My Days」。第7回は、小児科看護師として活躍する、久我敬伍さん=博多総県、男子地区リーダー=です。
福岡市内の病院で小児集中治療室(PICU)に勤める、久我敬伍さん。
小児集中治療室は、新生児期以降のすべての重篤な小児のケアと治療を行う。敬伍さんの勤務先では、先天性の疾患がある子どもたちがPICUに入っている。
“看護の道を志そう”と思ったのは、幼くして亡くなった弟の存在が大きい。
4人兄弟の三男である弟の敏彦さんが亡くなったのは、生後半年の時。乳幼児突然死症候群(SIDS)だった。敬伍さんは1歳で当時の記憶はない。母が弟の亡くなった頃の状況を話してくれるようになったのは、敬伍さんが中学生の時だった。
“親は子どもを亡くすと、こんなに辛い思いをするんか”
母の話を聞き、真剣に題目を唱えるようになった。
池田先生は語っている。
「私たちが真心込めて送る追善回向の題目は、いかなる悲嘆の闇も打ち破り、亡くなられた方々を、必ずや赫々たる光で黄金に照らしゆくに違いない」
そして高校生となった敬伍さんには、自身の進路を決める中で、ある考えが浮かんだという。
「自分が医療者となり、誰かの命、心を救うために力を尽くしたい。それが、自分に命の尊さを教えてくれた弟の“生きた証し”にもなるんじゃないかと思って」
“小児医療に携わる世界一の人材になる”と決意し、猛勉強を重ね、九州大学医学部保健学科に進学した。
2019年に夢だった看護師としてスタート。しかし、早々に課題に直面した。
配属された手術室看護師(オペナース)の部署は、女性が9割。もともと、自分の思いや考えを伝えることが苦手だった敬伍さんは、次第に周囲とのコミュニケーションに悩むようになった。職場に行く足取りが重たく、つらい日もあった。
そんな敬伍さんを励ましてくれたのは、創価学会の男子部の先輩たち。時間をつくっては、一緒に御本尊に向かい、唱題を重ねた。
2021年に結婚。妻も、「おかえり。ご飯できているよ」と毎日、そばで支えてくれた。
「家に帰って、電気がついている。それだけで、もう、うれしいじゃないですか。本当に心強かったです」
敬伍さんは、昨年の夏、友人の折伏にも挑戦した。将来のことに悩んでいる友人に、「一緒に学会活動をしよう」と誠実に語ると、友人は入会を決意。そのさなかに、現在の部署への異動が決まった。
働いていて、とりわけ喜びを感じるのは、手術後に、小児集中治療室(PICU)で親子が再会する時。
「よく頑張ったね」
短時間の対面ではあるが、わが子を見つめる親御さんたちのまなざしに、看護師として責任の重さを感じる瞬間でもある。
入院している子どもたちの体重は、小さい子で1、2キロ。右腕を持ち上げる。1枚のテープを張り替える。1本の挿管チューブを交換する――。
その一つ一つの動作が命に関わることもある。子どもにも、家族にも安心感を与えられるよう、丁寧に接することを心がけている。
だからこそ、自分の軸として、「ただ心こそ大切なれ」(新1623・全1192)との御書の一節を胸に刻んでいる。どんな時も、患者さん第一(ペイシェントファースト)で考え、気付き、動ける看護師になりたい。
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先日、県内に住む父からLINEが届いた。会合で活動報告した際、“創価班(男子部の人材育成グループ)だった、おやじの背中に憧れていた”と発言した話を小耳に挟んだのだという。
LINEの文面には、「おー、憧れとったんかー。おまえも創価班に入ったんかー。創価班の基本精神は言えとるかー」とあった。
敬伍さんは、「こっ恥ずかしかったけど、喜んでくれて、うれしかった」と。
母にも、仕事や学会活動の様子を報告すると、いつも喜んでくれている。兄と弟とも、仲良く連絡を取り合える。そんな日常が幸せだと感じる――。
「亡くなった弟の分まで生き抜いて、病める人に寄り添い、苦しみを取り除けるような看護師になりたい。僕には、池田先生という、偉大な師匠と創価の哲学があるから」
その決意が、また一歩、自分を成長させてくれる。
【編集後記】
いつも周囲への感謝を忘れない敬伍さん。撮影中、九州男子部の先輩とばったり! 照れながらも先輩に感謝を伝える、その日一番の笑顔に(写真3枚目)、創価家族の絆の強さを感じた。
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