くらし・教育
〈ライフスタイル〉 仕事と子育てのサバイバル術――荒波の先には“無敵の自分”が待っている⁉ 2024年10月31日
【Colorful】
夫、妻、子ども――誰かに体調不良などの“緊急事態”が発生したら、仕事と生活のバランスが一気に崩れる綱渡りの日々……。そんな共働き家庭にとって、仕事と子育ての両立は“永遠の課題”です。幼い子どもを育てながら、働くママ・パパを応援するサイト「日経DUAL」を創刊し、現在は著作家・メディアプロデューサーとして活躍する羽生祥子さんは「夫婦で家事・育児を平等に分担してきました。その上で、他にも両立のコツがあります」と語ります。仕事と子育てをどうサバイブしてきたのか聞きました。
――羽生さんは、2013年に「日経DUAL」を創刊し、編集長に就任。当時、小学生と保育園に通うお子さんの子育て中だったんですね。
そうなんです。「日経マネー」の副編集長もしながら、「日経DUAL」を立ち上げたので、てんやわんやな状態でした。
「日経DUAL」の企画を社内でかけた時、上司や同僚たちから「もう少し落ち着いてからでいいんじゃないか」と配慮のアドバイスをもらいました。
でも私は、「今やらないといけないんです。共働きの大変さとか悔しさとか、いつだって泣き出せるようなこの状態は、落ち着いてからじゃ、忘れちゃいます!」と訴えました。実際、子どもが大きくなった先輩たちとは余裕のなさが全然違いましたし。そして何とか「日経DUAL」を創刊できました。
仕事に育児に忙しいワーキングママ・パパに有益な情報を提供しようと、さまざまな記事を掲載しました。
自らの恥をさらして、「わが家の夕飯は、ごはんに天かすをかけるだけ」みたいな記事を書いたら、一番読まれました(笑)。両立に関するノウハウを読んだ読者さんから、「もう仕事を辞めるしかないと思っていたけれど、あと1週間だけ頑張ってみます」という声を頂いたこともあります。
その頃の読者さんが今、企業や自治体など、さまざまな分野で活躍されていて、本当にうれしく思います。
――私(記者)は現在、2児の子育て中です。子どもが体調不良になるたび、仕事の締め切りや調整に苦心します。
よく分かります。子どもが小さいうちは、本当に大変ですよね。
私も若い記者時代、雑誌の別冊80ページを作らなきゃいけなかった時に、一家丸ごと感染症にかかりました。看病に明け暮れて、気が付いたら、原稿を編集長にチェックしてもらう日の午前2時半。眠くて眠くてしょうがないし、1ページも書けていない。「終わった……」と泣けてきました。
でも、そこから何とか自分を奮い立たせて考えた結果、“ウルトラC案”を思い付きました。それが、別冊をクイズ本にするというものです。文字を大きくして解説を載せれば、いける!とひらめきました。
急いでクイズ20問を考えて、翌朝、編集長に提出。半笑いされましたが、締め切りがあるので、編集長も「ノー」とは言えません。
ふたを開けてみると読者から好評で、“定番企画”を変えるきっかけになりました。今でいうところの、イノベーションですよね。
――通常のやり方を踏襲しない発想の転換は、大事ですね。
はい、何の仕事でも応用できると思います。この経験で味をしめた私は、そこから何度もウルトラC案で子育てとの両立を乗り切ってきました。
例えば、役員や有識者などに会議で説明しなければいけなかった時、パワーポイントを使った約40枚の資料で説明する予定でしたが、忙し過ぎて、作れませんでした。そんなそぶりは一切見せず、「重要なポイントを1ページにまとめました」「まずは皆さんのご意見を聞かせてください」など堂々と話し、乗り切りました。
依頼する方も、最初から詳細な資料や答えを求めていないので、膨大な資料を丁寧に作成する必要はそれほどなかったのかなと思います。
「前例を踏襲せず、新しい視点や手法でチャレンジする」――私なりの両立のコツとしてウルトラCを続けていたら、仕事のスキルも上がるし、読者さんや依頼者にも喜ばれました。これぞ「多様な人材がチームの力を伸ばす」という実例なのかなと思います。
――両立のコツは、他にもありますか。
上司から仕事を任される前に、「私はこれをやりたい」と挙手するようにしていました。
会社員の場合、上司に走り高跳びで160センチ跳ぶよう任されたら、跳ぶしかないじゃないですか。子どもを抱えながらでも、真面目がゆえに手を抜けず、跳ぼうとしてしまう。年に1回だけのむちゃならできるかもしれませんが、来る日も来る日も跳び続けていたら、自分の健康や育児など、どこかにしわ寄せがきます。
そうならないために、私は「リーダーをしたいです」と自ら手を上げるようにしていました。自分がリーダーになって1センチ単位で目標やゴールを設定すれば、“跳べる勝負”ができるんです。
――昨今、世代間ギャップが取り沙汰されています。編集長に就任した際、上の世代とのあつれきはありましたか。
36歳で社内最年少の女性編集長になりました。先輩方からすると、経験も知識も乏しく見えたと思います。けれど、「怒られるかな」「ばかにされるかな」と思わず、こちらの情熱を真剣に伝えるようにしました。すると案外、きちんと聞いてくれます。
同時に、経済紙の社風として数字が重要なので、グラフやデータも多用して説明するようにもしました。
「情熱」と「理論」の両方を大切にする。それは今でも変わりません。
――「仕事を続けられないかもしれない」と思った経験はありますか。
一度だけあります。娘が小学校に上がり、学童でいじめに遭いました。子どもがつらい思いをしている姿を目の当たりにした時、何の因果関係もないのに、“私が働いているせいかもしれない”と感じてしまいました。
「学校から帰ってきた時、クッキーでも焼いて待ってあげられたらいいのかな」と、泣きながら夫と話しました。それを娘はこっそり聞いていたようで、翌朝、娘は「クッキーを焼くのは私たちがやるから、ママには働いていてほしい」と言ってきました。週末、家族でクッキーパーティーをした時の写真は、大切に取ってあります。
こんな出来事もありました。小学校と保育園に子どもたちを送り届ける途中、娘が今にも泣き出しそうな顔をしていました。でも、その日は、正念場である役員プレゼンテーション会議があり、絶対に遅刻できません。けれど、娘のつらい気持ちも伝わってくる。
どうしようと思っていると、公園のコーヒーカップ(遊具)が目に飛び込んできました。子どもたちに「一緒に乗ろう」と声をかけ、「きゃー!」と言いながら、思い切り遊びました。
時間にして、ほんの1~2分ぐらいだったと思います。すると娘は、「もう行っていいよ。今日は大事な会議の日でしょ」と。
子どもって、本当に親のことをよく見ているし、応援したいと思っているんですよね。そんな娘も、早いもので間もなく成人を迎えます。
忙しい日々にあって、「仕事も子育ても中途半端だ」と落ち込んだり、悩んだりするかもしれません。けれど、いっぱいいっぱいの中でも、子どもに真剣に向き合おうとする親の心は、必ず伝わっています。
「子どもを育てながら、働く」――この荒波を乗り越えたら、会社のリーダーはもちろん、何だって、できちゃいます。無敵になれること、間違いなしです。そして、荒波の先には、自由に、自分の人生を描けるタイミングが絶対に訪れます。皆さんがその時を迎えられるよう、私は少し先を行く先輩として、さらなる「道」を開拓していきます。
【プロフィル】
はぶ・さちこ 2000年に京都大学卒業後、渡仏。帰国後にフリーランス、ベンチャー、契約社員など多様な働き方を経験。編集工学研究所で松岡正剛氏に師事、「千夜千冊」に関わる。05年、日経ホーム出版社に入社。12年、「日経マネー」副編集長。その後、「日経DUAL」「日経xwoman」を相次ぎ創刊し編集長に。22年、羽生プロを創業し代表取締役社長。内閣府少子化対策大綱検討会、厚生労働省イクメンプロジェクトなどを歴任し、働く女性の声や多様性のある組織づくりを発信している。著書に『多様性って何ですか?』『ダイバーシティ・女性活躍はなぜ進まない?』(共に日経BP)。
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【編集】荒砂良子 【羽生さんの写真】本人提供 【その他の写真・イラスト】PIXTA