ユース特集
〈スタートライン〉 プロ野球選手 栃木ゴールデンブレーブス 川﨑宗則さん 2025年10月12日
44歳になった現在も、プロ野球ルートインBCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスで選手として活躍する川﨑宗則さん。日本球界で活躍し、“イチローさんとプレーしたい”とメジャーリーグへ。その後は台湾に渡るなど、野球選手としてチャレンジし続ける理由を聞きました。
――どんな少年時代を過ごしたのですか。
小学校から野球をやっていましたが、中学ではバスケ部に入ろうとしたんです。『SLAM DUNK』が大好きで。でもバスケ部の先生と野球部の先生が話し合ったみたいで、「バスケ部行かなくていい」と、野球の道に連れ戻されました(笑)。高校では練習をサボってバンド活動をしてたこともありましたが、そのたびに先生たちに連れ戻されて(笑)。今考えたら、その先生たちのおかげなんですけどね。
高校でプロ野球選手を目指し始めて、でも強豪校じゃなかったんで、大学で4年間しっかり実戦のスキルを積んでからプロテストを受けようと考えていたら、ドラフト指名されたんです。僕も先生も予想してなくて、親も「ええっ!」って。僕がその時にテレビカメラの前で言ったのは、“活躍できるか保証できない”。高校生らしくないですね(笑)。でもそれしか言えなかった。自信がなかったわけだから。
――「新人王取ります!」とかではなく(笑)。
そう、だから不安は的中しますよね。練習について行けなかったんです。見たことない球が来たり、見たことないバッティングに、すごく衝撃を受けて。毎日泣きながら、おやじに電話してました。「もう辞めたい、無理」って。
でもふと考えたら、周りよりは全然うまくはないけど、自分の中では着実にうまくなってる実感があったんです。だから、どうせクビになるんだったら、毎日寝て、朝起きて、ご飯食べて練習して、試合。このルーティンをやり抜くしかない、と。そう思った時、光が見えたんですよ。ピカーンって。それまで周りばかり気にしてたけど、そうではなくて、僕自身の野球のページを1枚ずつ重ねようと思い至ったんです。
――周りの評価ではなく、自分自身がどう変わっているかだと。その後、ホークスの中心選手として活躍し、2012年からはメジャーリーグのシアトル・マリナーズに入団。トロント・ブルージェイズ、シカゴ・カブスに移籍し、英語が分からなくても明るくインタビューに答える姿が現地でも話題になりました。
僕はマイナー契約だったから通訳がつかなくて。でも、何とかなるだろうと思ってたんですよ。英語なんかやったことないんですけどね。
安室奈美恵ちゃんの「CAN YOU CELEBRATE?」しか知らない。それだけ分かっときゃいいだろうって。celebrateだろ、can youだろ、みたいな。それが大きな間違いでしたね(笑)。
見てる人からしたら、大変そうだったかもしれないし、マイナーとメジャーを行ったり来たりしていたのも、プロ野球選手の人生として考えれば、不完全だったかもしれない。
でも僕自身は楽しかった。自分で考えて工夫して、その時の環境を楽しむことができたから。
それに、不完全だったからこそ、今でも野球を続けているんだと思います。25年、プロの世界にいても、いまだに野球が面白い。“ああすればよかった”“もっとこういうプレーがしたい”っていうのが、あり続けているんです。
――まだまだ発展途上という意識なのですね。メジャーで学んだことは?
向こうでは、野球選手をしながら他のビジネスをしたり、学校の先生の資格を持っていたりする。だから「引退」じゃなくて、一つの仕事が違う仕事に変わるだけ。人生の中に野球選手という職業があるという捉え方なんです。
だから野球の技術自体はそこまで大切じゃない。もちろんスポーツだから勝ち負けはあるけど、何が何でも勝てばいい、優勝しなきゃダメっていうわけじゃない。大半の人は途中で野球を辞めるんだから、野球を通して何を学ぶか、いかに人間性を磨けるか、が大事なんです。
大谷翔平選手は野球がうまいから、ものすごい契約ができていると思うけど、それだけじゃない。彼みたいな人間にチャンスを与えたいから、みんなが彼を支えてきたんです。
野球はたくさんチャンスをもらって、たくさん失敗する人がうまくなる。だから「この人にチャンスを与えたい」って思わせる人間性が大事なんです。
――なるほど。一番は人間性なんですね。今、自分に自信が持てない若者が多いと聞きます。どんな場所でも愛される川﨑選手も、本当はネガティブだそうですが……。
ネガティブシンキング好きですよ(笑)。だって人と優しく接したいからネガティブさに出るわけだし。ネガティブだって、いい方向に働くんですよ。
いつも自然と前向きになんてなれない。ポジティブなことばっかりじゃないんだから。ポジティブとネガティブは表裏一体。もちろんそのバランスも大事ですけど、ネガティブさもあっていいんだと思うだけで、生きやすいじゃないですか。
「こうしなきゃダメ」じゃなくて、ふわっとした方がいいよね、っていう感じ。みんな、どうしてもはっきりさせたがるんですよね。目標を達成することだけにとらわれないで、寄り道もいいし。そこに幸せがあったりしますから。
――若者や子どもたちに伝えていることは?
「夢を持たなくてもいい」、そのかわり「面白く生きよう」。じゃあ、どうやって自分を面白くできるのかってことを考えてほしい。
夢はどんどん変わっていい。それよりも、遊びでも何でも、今、夢中になる癖をつけてほしい。
それはやっぱり、面白いから夢中になる。“夢中癖”をつけると、大人になったときに仕事にも夢中になれるんです。
夢中になれるものがなかったとしても、「自分を面白く」という考えは持ってほしいと、自分の子どもたちにも話してます。まあパパが一番人生を面白くしてるんだけど(笑)。パパのまねをしろとは言わないけど、俺は楽しいよ、と言ってます。
かわさき・むねのり 1981年、鹿児島県生まれ。2000年、福岡ダイエーホークス(当時)入団。04年に最多安打、盗塁王を獲得。06、09年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表として世界一に。12年からメジャーリーグに挑戦し、17年に福岡ソフトバンクホークスに復帰。19年は台湾プロ野球・味全ドラゴンズでプレーし、20年から栃木ゴールデンブレーブスに所属。
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【記事】横田世奈
【写真】石川大樹