企画・連載

〈SDGs×SEIKYO〉 100年先へ、この森を守りたい。――里山保全 72歳からの挑戦 2022年9月7日

 宮城と山形の県境、蔵王山麓に位置する宮城県川崎町に、70歳を過ぎて移住した松田進さん(77)=副支部長(地区部長兼任)。NPO法人「どんぐりの森」の理事長を務め、動植物と人が安心して暮らせる場所にするために、里山の保全活動に取り組んできた。(今回はSDGsの15番目の目標「陸の豊かさも守ろう」について考えます。取材=石塚哲也、内山忠昭)

この記事のテーマは「陸の豊かさも守ろう」

 
 近年、人里に下りてきたクマなどにより畑等が荒らされる鳥獣被害のニュースが後を絶たない。クマによる国内の人身被害は令和3年度だけで約90件に及ぶ。

 もともと里山を含む中山間地域が「緩衝帯」となって、人とクマの間に一定の距離をつくっていた。

 しかし、過疎化によって田畑が荒廃し、耕作放棄地が増えると、里山の環境が悪化してしまった。さらに少子高齢化が進んだことで、里山を保全することが難しくなり、クマの生息・行動範囲が拡大。農作物や人身被害につながるケースが増加している。

 NPO法人「どんぐりの森」が掲げるテーマは「100年先への森づくり」。かつての里山を復活させることで、野生の動植物との共存を目指す。子どもたちが、未来もずっと自然に触れられるように、「長く、継続させていくことが、私たちの活動の課題」だと松田さんは言う。

 同法人が所有する10万坪(東京ドーム約7個分)の森林は蔵王国定公園の一部に当たる。ここで耕作放棄地に植林をしたり、林を若返らせるために「皆伐萌芽更新」という人工的な木の伐採をしたりしている。「野生動植物との共存の道をどう築いていくのか。人生最後の挑戦です」
 

 
 次兄に折伏され、31歳で創価学会に入会。翌年、妻・美智子さん=支部副女性部長=も続いた。その後、すぐに運送業を開業。夫婦で地区部長、地区婦人部長(当時)を務めるなど信心に励みながら、人生を開いてきた。

 3人の子どもも巣立ち、会社も軌道に乗っていた2014年、最愛の次男・欣也さんを亡くした。35歳の突然の別れ。“信心しているのに……”と葛藤する松田さん一家を支えたのは、地域の学会同志と池田先生の励ましだった。

 葬儀には800人以上の欣也さんの友人が参列した。皆口々に「彼にはお世話になった」「いつも優しく相談に乗ってくれた」と語っていた。息子が他者に尽くす学会の生き方を貫いていたことを初めて知り、涙が止まらなかった。

 「最後の最後まで、人を励まし続けた欣也。私も命ある限り、彼のように生きようと決めたんです」
 

 
 17年に妻が賛助会員になったのを機に、「どんぐりの森」に関わるように。しかし当時の法人はメンバーも少なく、活動は縮小の一途。程なく「理事長をやってもらえないか」と声がかかった。松田さんは、里山保全のために川崎町に通う中で、美しい自然に包まれた住環境に魅了され、仙台からの移住を決断した。

 72歳からの挑戦。自営の仕事にも区切りをつけ、NPO法人の活動に全力を注いだ。毎月、会員の皆と山に入り、チェーンソーの使い方も覚えた。重い道具を持って山を登り、真っ黒に日焼けするまで、木々に向かい合った。

 「おかげで、この年で足腰も強くなりました」
 

 
 引き継いだ当初は、11人だったNPO法人の会員数も現在は36人に。皆と一緒に山に入り、生息する昆虫や野鳥を観察したり、草刈りしたり、枝打ちしたり。「いつまでも青春です」と。

 移住した川崎町でも、学会の地区部長を務め、地域に自治会組織をつくり、近隣の人たちに尽くした。
 「どんなことにも立ち向かう。それが、池田先生が教えてくださった“生涯青春”の私の生き方なんです」

 次男のことを思わない日は、一日もない。今も心で一緒に生きている。「この森を守って死んでいく。それが欣也との誓いでもあります」

 SDGsの取り組みとは、課題の解決へ「希望を持ち続けること」なのかもしれない。100年先の未来へ――77歳の松田さんの挑戦はこれからだ。

 
【松田さんのインタビュー記事はこちら】

※無料で読めます※

【NPO法人「どんぐりの森」のHPはこちら】

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