1960年10月、池田先生は会長就任直後の初の海外指導において、命を削る思いで南米・ブラジルの地を踏んだ。
発熱が続き、同行の幹部がブラジル行きを止める中、「私を待っている同志がいる」「私は戸田先生の弟子です。行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」との覚悟を胸に、過酷な生活に苦しむ日系移民らを抱きかかえるように励ました。この時、海外初の支部がこの地に結成された。
66年の訪問の際には、軍事政権下の誤解によって、監視を受ける中での激励行に。74年には、訪問直前でビザの発給が拒否されるという悲劇に見舞われる。
悔し涙を流すブラジルの同志に、先生は「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」と励ましを送った。友は“必ず再び先生をブラジルへ”と、社会での実証と信頼の拡大に駆けた。
そして84年、偏見を打ち破った同志の奮闘が、ついに扉を開く。池田先生の18年ぶりとなるブラジル訪問が実現。イビラプエラ体育館で師は「私は、お一人お一人を抱擁し、握手する思いで、感謝を込め、涙をもって、皆さんを賞讃したい」と最大の賛辞を送り、会場は大きな歓喜に包まれた。
93年の訪問を含め訪伯は4度。池田先生とブラジルの同志が織り成した不屈の劇は、迫害の冬を耐え抜き、社会に信頼の根を張った激闘の歴史として、色あせない。
今を生きる同志もまた、「世界の王者」の誇りと負けじ魂を脈々と受け継いでいる。それぞれの使命の舞台で「良き市民」として信頼の輪を広げるブラジルの同志の姿は、師弟共戦の結晶である。
1960年10月、池田先生は会長就任直後の初の海外指導において、命を削る思いで南米・ブラジルの地を踏んだ。
発熱が続き、同行の幹部がブラジル行きを止める中、「私を待っている同志がいる」「私は戸田先生の弟子です。行く、絶対に行く。もし、倒れるなら、倒れてもよいではないか!」との覚悟を胸に、過酷な生活に苦しむ日系移民らを抱きかかえるように励ました。この時、海外初の支部がこの地に結成された。
66年の訪問の際には、軍事政権下の誤解によって、監視を受ける中での激励行に。74年には、訪問直前でビザの発給が拒否されるという悲劇に見舞われる。
悔し涙を流すブラジルの同志に、先生は「長い目で見れば、苦労したところ、呻吟したところは、必ず強くなる。それが仏法の原理だよ」と励ましを送った。友は“必ず再び先生をブラジルへ”と、社会での実証と信頼の拡大に駆けた。
そして84年、偏見を打ち破った同志の奮闘が、ついに扉を開く。池田先生の18年ぶりとなるブラジル訪問が実現。イビラプエラ体育館で師は「私は、お一人お一人を抱擁し、握手する思いで、感謝を込め、涙をもって、皆さんを賞讃したい」と最大の賛辞を送り、会場は大きな歓喜に包まれた。
93年の訪問を含め訪伯は4度。池田先生とブラジルの同志が織り成した不屈の劇は、迫害の冬を耐え抜き、社会に信頼の根を張った激闘の歴史として、色あせない。
今を生きる同志もまた、「世界の王者」の誇りと負けじ魂を脈々と受け継いでいる。それぞれの使命の舞台で「良き市民」として信頼の輪を広げるブラジルの同志の姿は、師弟共戦の結晶である。