企画・連載

〈ブラジル教育リポート〉⑥ なぜここで語り合うと本が読みたくなるのか 2025年10月7日

教育本部「読書の魔法アカデミー」

 誰でも「魔法使い」になれる“学校”がブラジルにあります。魔法を使えば、どんな国へもひとっ飛び。過去にも未来にも自由自在。その名も「読書の魔法アカデミー」――ブラジル創価学会の教育本部が全土で実施する読書教育運動であり、地域に開かれた“校舎なき学校”です。魔法の杖ではなく「本」を持ち、ページをめくると「想像力」という不思議な力が光り始めます。あるアカデミー会場で、実際に出された問いを一つ。ポルトガル語の「Monstro(怪物)」という言葉から、どんな姿をイメージしますか?(記事=大宮将之、写真=種村伸広)

全土182カ所で楽しく
良書の世界に誘い誘われ

 その問いには“怪物の特徴”を示す文章が続いた。「とがった耳があり、口は大きい。腕は長いけれど脚は短い。雰囲気はとてもチャーミング……」
  
 本年3月24日の午後7時(現地時間)、サンジョゼ・ドス・カンポス市にある創価学会の会館。ぎっしりと並んだ椅子に腰掛けた子どもから大人までが、一斉に耳を傾ける。読書の魔法アカデミーの進行役が呼びかけた。「では、自分が思い浮かべた怪物の姿を、絵に描いてみましょう」

 描き終えたものを見せ合うと「え? 私のと違う!」。会場のあちこちで笑いが弾ける。進行役が言った。「同じ言葉、同じ文章に触れても、心に浮かぶ映像は人それぞれですね」
  
 読書も同じだ。活字が苦手な人であっても、慣れてくれば、やがて心の中で、一字一字が生きもののように姿を変える。緑の木々が立ち並び、赤や黄の花が咲き、純白の雪が降り、青い海が広がる。音や声も聞こえ、匂いさえも立ちのぼる。「まるで魔法みたいでしょう。それこそが読書で育まれる『想像力』という力なんです」

 この日は、「1年間を学びのひと区切り」とするアカデミーの初回。教育本部のメンバーがまず、“受講生”に“本が読みたくなる魔法”をかける。豊かな「良書の世界」の入り口に、楽しく誘うのである。

世代を問わず

 アカデミーは今、全土182カ所で開かれている。開催の頻度は1、2カ月に1回。受講は無料。希望すれば、世代を問わず参加可能だ。
  
 受講生は1冊の本をじっくりと時間をかけて読む。地域によって異なるが、サンテグジュペリの名作『星の王子さま』や、『アンネの日記』など読みやすいものから、ホール・ケイン著『永遠の都』、ブラジル文学まで、幅広い書籍をテキストとして取り扱ってきた。

 この読書アカデミーの特長は「どこでも」「誰でも」「楽しく」参加できる点にある。
  
 広大なブラジルにおいて、地域間の「経済格差と教育格差」は著しい。受講者の読み書きの能力にも差がある中で、教育本部が「誰も置き去りにしない」学びの場をつくれるのは、創価教育学に基づく実践の豊富な蓄積があるからだろう。

 教育本部は、1987年から「識字教育運動」を実施してきた。当時、15歳以上の非識字率(読み書きができない人の割合)は20%強。成人を対象に小学校の修得課程を、最短40時間で修了できる教育プログラムを確立した。教育省の認定も受け、受講者には小学校修了と同等の証書が与えられたのである。

 連邦政府の施策も奏功。非識字率は現在、5・3%にまで減少している。一方で近年、別の課題も浮き彫りになってきた。「字を読むこと」はできても、「文章を正しく理解できない」人が、人口の約30%いることが調査で明らかになったのだ。
  
 こうした社会課題の解決に向け、教育本部が2007年からスタートさせた運動こそ「読書の魔法アカデミー」だった。

開示悟入

 長年にわたる創価教育学の研究と実践の結晶が、アカデミーに見て取れる。
  
 例えば法華経方便品に説かれる「開示悟入」の法理が、1年間の学びの進め方に表れている点だ。教育者でもあった初代会長・牧口常三郎先生が取り入れていた教育方法である。

 まずは「開」。受講生の心を「読書の世界」へと開き、引き込む導入がある。記事の冒頭に紹介した“怪物をイメージさせる問い”のような工夫であったり、映像や音楽を駆使してワクワクさせる仕掛けであったり。
  
 次に「示」。書籍のテーマやあらすじを面白く、分かりやすく示す。読書に不慣れな人にも「これなら読めそうだ」と安心感を広げることが狙いだ。

 続いて「悟」。実際に読み進めていく中で「どこに感動したか」「どこが難しかったか」を受講生同士で楽しく語り合う。発表用の原稿も書く。すると、「そういう視点もあるのか!」「そう読めばいいのか!」と、本の良さや味わいを自分なりに深め、納得する。知らず知らず「読む」「書く」「話す」力が磨かれていくのである。
  
 そして「入」。読書が習慣となり、学びを日常生活に生かせるよう、自発的な行動の流れに入らしめる。受講生の胸には、読書の魔法を“かけられる側”から“かける側”になりたいとの思いが芽生えていく。

 読み書きが苦手だった受講生の中から、教育の道に進んだ人や詩集を出版した人が生まれるなど、エピソードは枚挙にいとまがない。ある“創価のおばあちゃん”の話を聞いた。

 むかーし、むかし……といっても、約20年前から始まるお話です。
  
 リオデジャネイロに、シルバさんというおばあちゃんがいました。
  
 当時70歳。幼い頃から文字が全く読めません。経済的な理由で、学校に満足に通うことができなかったからです。ブラジルには、19世紀後半まで続いた奴隷制や、軍事政権(1964~1985)の影響で、教育がないがしろにされてきた歴史もありました。
  
 そんなシルバさんが、教育本部の「識字教育」と出合います。少しずつ文字が読めるようになりました。
  
 さらに「読書の魔法アカデミー」を、長女のデルガードさんと一緒に受講します。シルバさんは“魔法”にかかりました。読書が大好きになっていったのです。
  
 ここに来ると、みんな楽しそう。子どもも大人も、一緒に励まし合いながら学びます。「だから私も元気になるし、『本をもっと読みたい』って思えるの」
  
 毎朝、勤行をした後、ブラジル創価学会の機関紙「ブラジル・セイキョウ」を隅から隅まで読むのが日課に。少女のように目を輝かせつつ、共に暮らすデルガードさんに「池田先生のスピーチや小説はすごいねえ。すごいねえ」と言うのです。「私の知りたいことが全部、書いてあるよ」

 池田先生が語った言葉があります。
 「『読書の喜び』を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまう」
  
 シルバさんが散歩に出かける時、バッグの中にしのばせたのも、「ブラジル・セイキョウ」でした。会う人ごとに「この新聞はね」と見せ、“魔法”をかけては、うれしそうに歩きました。
  
 81歳で人生の最後のページを閉じたとき、シルバさんの耳元で、デルガードさんが言いました。「お母さんは、幸せ者だったね」
  
 デルガードさんは今、教育本部の中心者に。母が愛した読書の魔法を、リオに広げています。

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