企画・連載

〈SDGs×SEIKYO〉 私が世界を変えていく 2022年5月1日

池田先生の思想と行動に学ぶ勇気の一歩

 企画「SDGs×SEIKYO」の連載「私が世界を変えていく」では、SDGs(持続可能な開発目標)を前進させる方途を、池田先生の思想と行動を通して考えます。今回のテーマは「食品ロス」です。

食品ロスは「命のロス」にも――
人間と食物の関係を見つめ直す
10人に1人が飢餓

 日々の食事を満足にとれない人が、世界で増えている。
  
 気候変動や貧困、紛争や新型コロナウイルスの感染拡大などの影響で、最大8億1100万人が飢餓に苦しんでいるという。世界人口の10人に1人の割合だ。その多くが女性や子どもたちである。
 SDGsが掲げる目標2は「飢餓をゼロに」。主に栄養不足が原因で、5歳の誕生日を迎える前に命を落とす子どもは、年間520万人もいるといわれている。
  
 地球全体として食べ物が足りていないのか? 答えは「ノー」。全人類が生きるために十分な量の食べ物が生産されているにもかかわらず、そのうちの“3分の1”が食卓に届いていない。売れ残ったり、調理されなかったりして、捨てられているのである。
  
 近年、問題となっているのが「食品ロス」だ。
  
 ロスとは「無駄」「失うこと」の意味で、まだ食べられる状態の食品が無駄に捨てられてしまうことを指す。例えば日本では、可燃ゴミとして処理されるため、その過程で大量の二酸化炭素を排出することから、地球温暖化にもつながってしまう。
  
 大量に捨てているのはスーパーマーケットやコンビニエンスストア、レストランだと思われがちだが、実は日本における食品ロスの約半分は「家庭」から発生している。料理を作りすぎて余らせてしまったり、「賞味期限」(おいしく食べられる期限)が切れたからといって「消費期限」(食べても安全な期限)を過ぎていない食べ物を捨ててしまったりすることは、多くの人が経験しているのではないだろうか。
  
 「食」そして「飢餓」の問題を巡って、池田先生が語らいを重ねた識者がいる。世界的な農学者で、核兵器廃絶を目指す科学者の組織「パグウォッシュ会議」の会長を務めたスワミナサン博士である。1960年代、小麦や米の品種改良によってインドの農業の生産性を飛躍的に向上させ、7000万人ともいわれる人々を飢餓から救った。
  
 先生と博士が出会いを結んだのは2002年10月、東京で。04年7月から月刊誌「潮」で両者の対談がスタートし、2年後に対談集『「緑の革命」と「心の革命」』(潮出版社)へと結実した。
  
 先生は対談の中で、「飢渇は大貪よりおこり」(新1446・全1064)との御書の一節を引用する。飢餓は単に天災によるものではなく、人間の貪欲がもたらす「人災」でもある――この日蓮大聖人の洞察を踏まえつつ、「飢餓の克服にも、科学技術的、社会経済的アプローチとともに、精神次元のアプローチが求められる」と訴え、語らいを進めていった。
  

農学者スワミナサン博士との対談集から
「食糧の安全保障」なくしては!

 「人間」と「食物」の関係とは? 池田先生はその視座を示す上で、大聖人が白米を供養した信徒に感謝を込めて送られた手紙を紹介する。
  
 「あなたの心が込もったこの白米は、ただの白米ではありません。あなたの一番大切な命そのものと受け止めております」(新2054・全1597、趣意)
  
 「食」の存在そのものを「命」と見る。さらに「文化と社会を養い育む、豊かな滋養の象徴である」と先生は語った。
  
 スワミナサン博士も「人間と食物の関係は、単に生命を維持するだけのものではなく、文化を支え、自然への畏敬の念を支えるものなのです。食物は、人間を謙虚にします」と応じる。
  
 人間は「食」を通して、自然から「命」を受け取る。その「命」を使って暮らしを営み、文化や社会を養い育んでいく。受け取り・育むという“利他の関係性”によって成り立っているがゆえに、「食」を生み出す自然そのものが破壊されてしまえば、生命の流れが途絶える。未来も閉ざされてしまう。
  
 先生が創価学会の第3代会長に就任以来、「豊作であるように」「災害が起きないように」と真剣に祈り続けてきた理由も、そこにあった。農漁業に従事する学会員のグループ「農漁光部」の友を最大にたたえ、励ましてきたことも同じである。
  
 先生は「食糧の問題は、世界の平和にとって、また『人間の安全保障』にとって最重要の課題です。歴史をふりかえってみても、多くの紛争や革命は、飢えが原因となって引き起こされてきたものです」と強調した。
  
 博士も「『食糧の安全保障』なくしては、世界の平和も安全保障もありえない」と賛同。
  
 「人は、衣類がなくても生きられますが、食べ物がなければ生きていけません。人間にとっての最低限の物が満たされないかぎり、世界には不正と不公平が充満し、平和や善意を生み出す環境とはならないのです。飢餓が存在するところで、平和を勝ち取ることなどできないのです」と語る。
  
 先生は断言した。
  
 「農業を大切にしない社会は、生命を粗末にする野蛮な社会です。その社会は、早晩、あらゆる面で行き詰まる――これが私の持論です」。ゆえに「人類の平和と発展のためには、『緑の革命』とともに、『心の革命』が不可欠である」と。
  
  

「いのちのリレー」を学び知る

 「心の革命」は、どこから始めるべきか。博士の主張は「富裕な人々や国の『姿勢』と『発想』を変えることです」と明快だ。日本も“変わるべき側”にあることは間違いない。
  
 その第一歩は、「食」を単に“空腹を満たすもの”ではなく「命」と見る視座の転換にこそある。「食品ロス」の問題を放置してはならない。「命のロス」と根底でつながっている。
  
 創価学会が企画・制作した「ごはんといのちのストーリー展」が、本年3月から各地を巡回している。私たちが何げなく口にする食べ物が、どれほど多くの人々や自然の恵みによってもたらされているかを、大人も子どもも楽しく学べる内容だ。
  
 「肉や魚、野菜という生き物のいのちは当然のこと、食材を育む太陽の光や大地や海といった自然の恵み。農業や漁業、運搬や調理に携わる人の手。いわば食は、『いのち』と『いのち』の絆の中をリレーして運ばれてくるとも言えます」(同展から)
  

 その「いのちのリレー」は、自分の国だけでなく世界にまで広がっている。身近な食材に、無数の「いのちの物語」が詰まっている。それを学び、知ることで、「食」が「命」とつながっていると見る視点も生まれてこよう。食料品の価格が高騰している現在は、「人間」と「食物」の関係を見つめ直すきっかけにもなるだろう。
  
 買い物では「必要な分だけ買う」。料理の際は「食べ切れる量を作る」。食卓に並んだものを「おいしく食べ切る」。こうした「食」を大切にする一つ一つの行動の意味は、決して小さくない。自分はもちろん他の誰かの「命」をも守り、平和をもたらす力となっていくことを忘れまい。
  
  
 こちらから「ごはんといのちのストーリー展」のウェブ展示がご覧になれます。
  
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