75年前の1951年(昭和26年)、戸田先生と池田先生は苦境の中で新年を迎えた。戦後の経済不況のあおりを受け、前年の50年(同25年)8月22日、戸田先生が経営する信用組合は大蔵省(当時)から業務停止を通達された。その整理は至難を極めた。一部の債権者から告訴され、戸田先生は逮捕さえされかねない状況だった。窮地に陥った恩師を罵る人もいた。絶体絶命の中、池田先生は恩師を支え、事業の活路を開くため、全精魂を尽くした。ここでは、その時の師弟のドラマを紹介する。
75年前の1951年(昭和26年)、戸田先生と池田先生は苦境の中で新年を迎えた。戦後の経済不況のあおりを受け、前年の50年(同25年)8月22日、戸田先生が経営する信用組合は大蔵省(当時)から業務停止を通達された。その整理は至難を極めた。一部の債権者から告訴され、戸田先生は逮捕さえされかねない状況だった。窮地に陥った恩師を罵る人もいた。絶体絶命の中、池田先生は恩師を支え、事業の活路を開くため、全精魂を尽くした。ここでは、その時の師弟のドラマを紹介する。
季節の春は自然に巡る。だが、広布と人生の春は座して待っても来るものではない。厳冬のような困難の渦中にあっても、怯まず、懸命に立ち向かい、自らの力で呼び込むものである。
1951年(昭和26年)1月6日、池田先生は戸田先生の自宅に呼ばれた。会社の書類整理を手伝うためである。
戸田先生が経営する信用組合は破綻し、進退きわまる状況に陥っていた。時には、ふとんに等身大の寝汗の跡が残るほど、恩師は苦悩していた。
戸田先生と池田先生は、机を挟んで向かい合った。恩師は厳しい表情を浮かべて語った。
「今、大事なのは後のことだ。私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」
恩師は愛弟子の目をじっと見据えながら、声を強めた。
「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」
池田先生は潤んだ瞳を上げ、戸田先生を見つめながら応えた。
「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」
この日、池田先生は恩師の自宅に泊まり、書類整理に当たった。翌7日も、朝から書類整理に費やした。戸田先生は、絶体絶命の事態を悠然と見下ろすかのように泰然自若としていた。平常と変わりなく、冗談さえ飛ばした。
池田先生は午後11時に帰宅。2日間の感動は、8日の朝を迎えても続いていた。恩師を思い、いかなる苦難にもたじろぐことなく、堂々と克服する自分でありたいと願い、唱題を重ねた。
10日、先生は日記に、「春だ。若人の、躍動、若人の闘魂の舞う春だ」から始まる詩を記した。現実は、苦境打開の糸口さえ見えない“厳冬”の中だった。それでも23歳の青年は、必ず春が到来すると確信して戦い続けた。
◆ ◇ ◆
2月に入ると、信用組合の状況が一挙に好転する。大蔵省から、組合員の総意がまとまるならば、組合を解散してもよいという通達が来たのである。同省の担当者は述懐している。
――戸田氏は再建への途が開けなかったことに強い責任を感じ、いかにしたら善良な預金者に損失を与えることなく清算ができるかという一念で、終始真剣に対応されていた――と。
恩師の誠実な対応は、事態を切り開く一つの大きな要因であった。担保になっていた自宅は、処分される寸前だった。
3月9日、信用組合は組合員全員の賛同を得て解散を決議。11日、その登記が行われた。債務は戸田先生が担い、法的責任は問われないことになった。“冬”は終わったのである。
この日の夜、創価学会の臨時総会が開催された。戸田先生は烈々と宣言した。「一国広宣流布の秋は今であります。既に、東洋広宣流布の兆しも現れた。仏勅を被った創価学会の闘士こそ、先陣を切って進むべき時が、遂に来たのであります」
池田先生は日記につづった。
「皆は知らぬ。而し、吾人は、いかほど先生を陰でお護りして来たことか。吾れは泣く。吾れは嬉し。先生の師子吼に」
逆境は人間の本質をあらわにする。経済的な損得で戸田先生とつながっていた弟子たちは、信用組合の破綻を機に、恩師のもとを去っていった。ただ一人、恩師を守り、厳冬を勝ち越えた池田先生の戦いは、「真実の弟子の姿」を示した“後世永遠の鑑”である。
2カ月後の5月3日、戸田先生は第2代会長に就任。恩師は、そっと池田先生に「君のおかげだよ。本当にありがとう」と語り、落涙した。この厳粛な師弟の歴史から75年。師への感謝を胸に、広宣勝利の“躍動の春”を呼ぶ、弟子の戦いを起こす時は今である。
季節の春は自然に巡る。だが、広布と人生の春は座して待っても来るものではない。厳冬のような困難の渦中にあっても、怯まず、懸命に立ち向かい、自らの力で呼び込むものである。
1951年(昭和26年)1月6日、池田先生は戸田先生の自宅に呼ばれた。会社の書類整理を手伝うためである。
戸田先生が経営する信用組合は破綻し、進退きわまる状況に陥っていた。時には、ふとんに等身大の寝汗の跡が残るほど、恩師は苦悩していた。
戸田先生と池田先生は、机を挟んで向かい合った。恩師は厳しい表情を浮かべて語った。
「今、大事なのは後のことだ。私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか」
恩師は愛弟子の目をじっと見据えながら、声を強めた。
「私と君とが、使命に生きるならば、きっと大聖人様の御遺命も達成する時が来るだろう。誰がなんと言おうと、強く、強く、一緒に前へ進むのだ!」
池田先生は潤んだ瞳を上げ、戸田先生を見つめながら応えた。
「先生、決して、ご心配なさらないでください。私の一生は、先生に捧げて、悔いのない覚悟だけは、とうにできております。この覚悟は、また、将来にわたって、永遠に変わることはありません」
この日、池田先生は恩師の自宅に泊まり、書類整理に当たった。翌7日も、朝から書類整理に費やした。戸田先生は、絶体絶命の事態を悠然と見下ろすかのように泰然自若としていた。平常と変わりなく、冗談さえ飛ばした。
池田先生は午後11時に帰宅。2日間の感動は、8日の朝を迎えても続いていた。恩師を思い、いかなる苦難にもたじろぐことなく、堂々と克服する自分でありたいと願い、唱題を重ねた。
10日、先生は日記に、「春だ。若人の、躍動、若人の闘魂の舞う春だ」から始まる詩を記した。現実は、苦境打開の糸口さえ見えない“厳冬”の中だった。それでも23歳の青年は、必ず春が到来すると確信して戦い続けた。
◆ ◇ ◆
2月に入ると、信用組合の状況が一挙に好転する。大蔵省から、組合員の総意がまとまるならば、組合を解散してもよいという通達が来たのである。同省の担当者は述懐している。
――戸田氏は再建への途が開けなかったことに強い責任を感じ、いかにしたら善良な預金者に損失を与えることなく清算ができるかという一念で、終始真剣に対応されていた――と。
恩師の誠実な対応は、事態を切り開く一つの大きな要因であった。担保になっていた自宅は、処分される寸前だった。
3月9日、信用組合は組合員全員の賛同を得て解散を決議。11日、その登記が行われた。債務は戸田先生が担い、法的責任は問われないことになった。“冬”は終わったのである。
この日の夜、創価学会の臨時総会が開催された。戸田先生は烈々と宣言した。「一国広宣流布の秋は今であります。既に、東洋広宣流布の兆しも現れた。仏勅を被った創価学会の闘士こそ、先陣を切って進むべき時が、遂に来たのであります」
池田先生は日記につづった。
「皆は知らぬ。而し、吾人は、いかほど先生を陰でお護りして来たことか。吾れは泣く。吾れは嬉し。先生の師子吼に」
逆境は人間の本質をあらわにする。経済的な損得で戸田先生とつながっていた弟子たちは、信用組合の破綻を機に、恩師のもとを去っていった。ただ一人、恩師を守り、厳冬を勝ち越えた池田先生の戦いは、「真実の弟子の姿」を示した“後世永遠の鑑”である。
2カ月後の5月3日、戸田先生は第2代会長に就任。恩師は、そっと池田先生に「君のおかげだよ。本当にありがとう」と語り、落涙した。この厳粛な師弟の歴史から75年。師への感謝を胸に、広宣勝利の“躍動の春”を呼ぶ、弟子の戦いを起こす時は今である。
◆ 池田先生の詩「春」
◆ 池田先生の詩「春」
春だ
若人の 躍動
若人の 闘魂の舞う 春だ
春だ
若人の 苦悩の寒雪に
暖かな 金風の吹く 春だ
生き生きとした 自然
福運を告げゆく 季節
苦楽の夢を飾りし 舞台
春だ
緑も 花も 鳥も
思いきり 生きてゆく
哲人も微笑み
闇の心にも
輝く太陽は
射し込んでゆく
春だ
自由な春
生命の歓び
若人の胸は躍る
春は 間近だ
地球の春も
人類の春も
春だ
若人の 躍動
若人の 闘魂の舞う 春だ
春だ
若人の 苦悩の寒雪に
暖かな 金風の吹く 春だ
生き生きとした 自然
福運を告げゆく 季節
苦楽の夢を飾りし 舞台
春だ
緑も 花も 鳥も
思いきり 生きてゆく
哲人も微笑み
闇の心にも
輝く太陽は
射し込んでゆく
春だ
自由な春
生命の歓び
若人の胸は躍る
春は 間近だ
地球の春も
人類の春も
◆ 師弟の語らい◆
〈1951年(昭和26年)1月6日〉
◆ 師弟の語らい◆
〈1951年(昭和26年)1月6日〉
【戸田先生】
私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、
いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか
【戸田先生】
私に、もし万一のことがあったら、学会のことも、事業のことも、
いっさい、君に任せるから、全部、引き受けてくれないか
【池田先生】
決してご心配なさらないでください。
私の一生は、先生に捧げて悔いのない覚悟だけは、とうにできております
【池田先生】
決してご心配なさらないでください。
私の一生は、先生に捧げて悔いのない覚悟だけは、とうにできております