今月7日、さいたまスーパーアリーナで行われた第53回「マーチングバンド全国大会」の「一般の部」(大編成)で、音楽隊・創価ルネサンスバンガードが19度目のグランプリ「内閣総理大臣賞」に輝いた。栄光の頂を目指して奮闘を重ねてきた楽雄たちの軌跡を追った。
今月7日、さいたまスーパーアリーナで行われた第53回「マーチングバンド全国大会」の「一般の部」(大編成)で、音楽隊・創価ルネサンスバンガードが19度目のグランプリ「内閣総理大臣賞」に輝いた。栄光の頂を目指して奮闘を重ねてきた楽雄たちの軌跡を追った。
冬晴れの青空が広がった今月6日。翌日の全国大会を前に、創価青年音楽センター(東京・東大和市)は活気に満ちていた。
リハーサルを終えたメンバーに、指導する講師は呼びかけた。
「皆さんは、自分自身が“高み”にいることを信じてください」
これまで積み上げてきた努力の上に、今の自分がある――。楽団員たちの精悍な表情には、揺るぎない自信がみなぎっていた。
冬晴れの青空が広がった今月6日。翌日の全国大会を前に、創価青年音楽センター(東京・東大和市)は活気に満ちていた。
リハーサルを終えたメンバーに、指導する講師は呼びかけた。
「皆さんは、自分自身が“高み”にいることを信じてください」
これまで積み上げてきた努力の上に、今の自分がある――。楽団員たちの精悍な表情には、揺るぎない自信がみなぎっていた。
大会史上最多のグランプリを獲得し、マーチングバンド界をけん引してきた創価ルネサンスバンガード。だが、栄冠を勝ち取るまでの道は決して平たんではない。
近年、全体のレベルが高まり、上位楽団の勝負は僅差で決することも。ライバルは“打倒バンガード”を掲げて、肉薄してくる。
昨年末、バンガードは、ある大会で優勝を逃した。
「勝負の世界の厳しさを改めて痛感しました。同時に、我々の目指す“勝利の形”とは何かを、考え直すきっかけになりました」
小池満生楽団長は、そう振り返る。
本年、楽団は練習会で「何のための音楽隊活動なのか」を改めて議論。どこまでも勝利にこだわりながら、人々に勇気と希望を送る演奏・演技を目指すことを確認し合った。
さらに、個人の主体性・自発性に焦点を当て、メンバー自らが「信行学」の目標を設定。一人一人が信心根本の挑戦を貫き、互いに切磋琢磨してきた。
大会史上最多のグランプリを獲得し、マーチングバンド界をけん引してきた創価ルネサンスバンガード。だが、栄冠を勝ち取るまでの道は決して平たんではない。
近年、全体のレベルが高まり、上位楽団の勝負は僅差で決することも。ライバルは“打倒バンガード”を掲げて、肉薄してくる。
昨年末、バンガードは、ある大会で優勝を逃した。
「勝負の世界の厳しさを改めて痛感しました。同時に、我々の目指す“勝利の形”とは何かを、考え直すきっかけになりました」
小池満生楽団長は、そう振り返る。
本年、楽団は練習会で「何のための音楽隊活動なのか」を改めて議論。どこまでも勝利にこだわりながら、人々に勇気と希望を送る演奏・演技を目指すことを確認し合った。
さらに、個人の主体性・自発性に焦点を当て、メンバー自らが「信行学」の目標を設定。一人一人が信心根本の挑戦を貫き、互いに切磋琢磨してきた。
未来部時代に音楽隊員だった野村龍之介さんは2023年の年頭、妻・恵さんを突然の病で亡くした。深い悲しみの淵にいた野村さんを支えたのは、創価家族の温かな励ましの絆だった。
「使命の道を歩み通すことが、支え続けてくれた妻に報いることになる」――野村さんは前進を誓った。
24年から、楽団に復帰。そして本年、カラーガードのプレーヤーとして舞台に返り咲いた。
野村さんはブランクによる技術不足を乗り越えるべく、誰よりも祈り、懸命に練習に励んだ。自分の殻を破ろうと、果敢に対話にも挑戦。過去最高の拡大を成し遂げた。
ベストを尽くして臨んだ本番では、納得のいく演技ができたという野村さん。これからも報恩の心を胸に、勝利の実証を示しゆく。
未来部時代に音楽隊員だった野村龍之介さんは2023年の年頭、妻・恵さんを突然の病で亡くした。深い悲しみの淵にいた野村さんを支えたのは、創価家族の温かな励ましの絆だった。
「使命の道を歩み通すことが、支え続けてくれた妻に報いることになる」――野村さんは前進を誓った。
24年から、楽団に復帰。そして本年、カラーガードのプレーヤーとして舞台に返り咲いた。
野村さんはブランクによる技術不足を乗り越えるべく、誰よりも祈り、懸命に練習に励んだ。自分の殻を破ろうと、果敢に対話にも挑戦。過去最高の拡大を成し遂げた。
ベストを尽くして臨んだ本番では、納得のいく演技ができたという野村さん。これからも報恩の心を胸に、勝利の実証を示しゆく。
日本一の栄光は、一筋縄ではつかめない。
全国大会を間近に控えた11月下旬、前田進一郎さん(副楽団長)が急きょ、ブラスセクションの一員として出場することに。担当するのは、未経験の楽器「メロフォン」だった。
「正直、驚きました」と前田さん。それでも、皆の期待に応えたいという思いが前田さんを突き動かした。
猛練習と周囲の支えのおかげで、本番直前には舞台に立てる状態まで仕上げた。
折伏にも積極的に挑戦し、大会前には、以前から対話し続けてきた友人と一緒に唱題することもできた。
前田さんは「不可能を可能にする信心の確信を深められました」と。ベテランの勇気ある挑戦が楽団に希望の炎をともした。
野口勇希さんは、24人からなるバリトン・ユーフォニウムパートのパート長を務める。
本年3月の沖縄遠征の際、ある小学校のマーチングバンド部と合同で演奏をする機会があった。演奏後、野口さんは、出演していた児童から手紙を受け取った。そこには「全国大会で会ったら、また話そうね」と。
その後、両団体とも全国大会への出場が決定。直接の再会はかなわなかったが、互いにビデオメッセージを送り合い、最高の結果を約し合った。
この心温まる交流を原動力に、野口さんはパート長として「全員で勝ち、全員でステージに立つ」ことを目標に、心と技を磨いた。
9月には、妻が学会に入会。音楽隊活動への理解を示し、支えてくれる家族への感謝は尽きない。
「生涯忘れられない1年になりました」と語る野口さんは、さらなる飛躍を決意する。
日本一の栄光は、一筋縄ではつかめない。
全国大会を間近に控えた11月下旬、前田進一郎さん(副楽団長)が急きょ、ブラスセクションの一員として出場することに。担当するのは、未経験の楽器「メロフォン」だった。
「正直、驚きました」と前田さん。それでも、皆の期待に応えたいという思いが前田さんを突き動かした。
猛練習と周囲の支えのおかげで、本番直前には舞台に立てる状態まで仕上げた。
折伏にも積極的に挑戦し、大会前には、以前から対話し続けてきた友人と一緒に唱題することもできた。
前田さんは「不可能を可能にする信心の確信を深められました」と。ベテランの勇気ある挑戦が楽団に希望の炎をともした。
野口勇希さんは、24人からなるバリトン・ユーフォニウムパートのパート長を務める。
本年3月の沖縄遠征の際、ある小学校のマーチングバンド部と合同で演奏をする機会があった。演奏後、野口さんは、出演していた児童から手紙を受け取った。そこには「全国大会で会ったら、また話そうね」と。
その後、両団体とも全国大会への出場が決定。直接の再会はかなわなかったが、互いにビデオメッセージを送り合い、最高の結果を約し合った。
この心温まる交流を原動力に、野口さんはパート長として「全員で勝ち、全員でステージに立つ」ことを目標に、心と技を磨いた。
9月には、妻が学会に入会。音楽隊活動への理解を示し、支えてくれる家族への感謝は尽きない。
「生涯忘れられない1年になりました」と語る野口さんは、さらなる飛躍を決意する。
迎えた全国大会当日の12月7日早朝。夜明け前の月明かりに照らされて、楽団員が創価青年音楽センターに集ってきた。
最後の調整を入念に行い、集中力を高めていく。
本番直前、小池楽団長は「自分と仲間を信じれば間違いなく勝てる!」と声をかけた。
本番のステージでは、一糸乱れぬ圧巻の演奏・演技を披露。大迫力の熱演に観衆は大拍手で応えた。
見事、19度目の日本一をつかんだ創価ルネサンスバンガード。前人未到の領域を突き進む楽団の前途には、これからも、雨の日も風の日もあるだろう。
しかし、不屈の信心を根本に進む限り、その先には必ず、「歓喜の太陽」が待ち受けている。
終演後、かなたには真昼の陽光に輝く富士が屹立していた。その王者の威容は、試練を乗り越え勝利した楽団員の雄姿と重なって見えた。
迎えた全国大会当日の12月7日早朝。夜明け前の月明かりに照らされて、楽団員が創価青年音楽センターに集ってきた。
最後の調整を入念に行い、集中力を高めていく。
本番直前、小池楽団長は「自分と仲間を信じれば間違いなく勝てる!」と声をかけた。
本番のステージでは、一糸乱れぬ圧巻の演奏・演技を披露。大迫力の熱演に観衆は大拍手で応えた。
見事、19度目の日本一をつかんだ創価ルネサンスバンガード。前人未到の領域を突き進む楽団の前途には、これからも、雨の日も風の日もあるだろう。
しかし、不屈の信心を根本に進む限り、その先には必ず、「歓喜の太陽」が待ち受けている。
終演後、かなたには真昼の陽光に輝く富士が屹立していた。その王者の威容は、試練を乗り越え勝利した楽団員の雄姿と重なって見えた。