信仰体験

〈Seikyo Gift〉 どんなことも笑い飛ばして〈ピンクリボン 私と乳がん 信仰体験〉 2024年12月28日

こんな私でも幸せになれるの? 「大丈夫。これからが恩返しできるチャンスなんよ」
●裏紙に書いた50項目の願い

 「あんたには、一緒に生きていく人が必要じゃけえ、希望を書き出しんちゃい」。先輩からそう言われたのは、乳がんの手術を終え、離婚してすぐのことでした。つまり、どん底の時だったんです。正直、結婚なんて、もうこりごり。「一人で生きていきます」と言い返しても、女性部の先輩は「祈りんちゃい」と引かなくて。
 仕事の休憩時間、手元の裏紙にぽつぽつ書き始めました。〈うそをつかない人〉〈真面目に働く人〉〈私の学会活動を優先させてくれる人〉……気付けば、50項目になっとった。でも、私は妊娠が難しい体。再発の可能性も高い。結婚してくれる人なんかおらんじゃろ。メモの束を御祈念帳に挟んで、見んようにしとった。
 それから4年。「結婚したいです」。真っすぐ目を見て言ってくれたその人は、48項目も当てはまっとった。あとの2項目はパチンコとタバコ。まあ、ええじゃろうと思いました。
 

 
 
 胸のしこりが気になり、地元医院の婦人科で診てもらうと、すぐに市民病院への紹介状を渡された。マンモグラフィーなどの検査を受け、2004年(平成16年)10月、丸山深雪さん=支部女性部長=は乳がんと診断された。35歳の時だった。
 
 「当時は、信心があさっての方を向いとりました」。題目をたくさん唱える母を横目に、社会人になると学会活動を避け続けた。夫が借金をしても、祈ろうとはしなかった。「しょーもないプライドが邪魔して、誰にも相談できんくて」。乳がんと診断され、医師から転移の可能性を告げられたのは、そんな頃だった。
 同志が駆けつけてくれた。思わず、丸山さんは漏らした。「こんな私でも幸せになれるんでしょうか」
 先輩は優しかった。「絶対に大丈夫。みんながあなたを待っとるけえ。これからが恩返しできるチャンスなんよ」。丸山さんは御本尊に向かった。
 
 がんは4センチまで肥大しており、右乳房の4分の3を切除。広範囲に転移が見られたリンパ節も取った。病理検査の結果、「がんの顔つきが悪く」、3年以内に再発した場合は「覚悟が必要」と医師は告げた。
 抗がん剤治療は過酷で、髪はごっそり抜け落ち、吐き気が止まらない。「朝なんか来なければいいのに」とさえ思うことも。そんな時、池田先生の言葉と出あった。
 
 「堂々と 生き抜け 勝ち行け 病魔をも 笑い飛ばして 長寿の 王女と」
 
 以来、苦しくなるたびに「笑い飛ばせ!」と口に出すことが丸山さんの習慣になった。「ちっちゃな声で、泣きながらですけど。でも、池田先生が言っとるんだからって、命に刻むように言い続けました」
 

 
 半年間の抗がん剤、1カ月間の放射線治療を終えた丸山さん。「でも今度は、母親になれんってことで、また悩むんです」
 術後すぐに夫と離婚した。街で目にする母子の姿に胸が締め付けられる。事情を知らない近所の人が「お子さんは、そろそろ産まんと」なんて、さらっと言ってくることも。それが一番きつかった。悪気はないと分かっていても、「周りと比べては、どうせ私なんかって家で泣きました」。
 
 そんな時、ひょっこり現れたのが、隆さん(64)=副本部長=だった。会合で顔を合わせても印象に残らなかったような人。結婚を何度も申し込まれた。「断りましたよ。一人で生きていくと決めていたし、そもそもタイプじゃなかった(笑)」
 
 ただ、時間を共にするうちに、心が軽くなっていった。丸山さんが、いびつな乳房を恥じ、好きだった大浴場に行くことをためらっていると、「深雪ちゃんが頑張った証拠じゃから、堂々としとればいいんよ」と言ってくれた。子どもが望めないだろうことも、「そもそも子どもへの接し方が分からん」と気にするそぶりもなかった。09年に再婚した。「御本尊様の計らいとしか思えません」
 ある時、丸山さんが人と比べて落ち込んでいると、隆さんは居間にあるテーブルの上で御書を開いた。
 「煩悩の薪を焼いて、菩提の慧火現前するなり」(新987・全710)
 「悩みが力になるんじゃけえ」。多くは語らない。短い言葉で何度も進む道を照らしてくれた。一方の隆さんは、「深雪ちゃんは誰よりも明るい。病も、二人なら乗り越えられると確信していました」と。互いに尊敬し合う広布のパートナーとなった。
 

 
 二人で歩み、5年間のホルモン療法を終えた。その後も、感染症の蜂窩織炎を患うなど、毎月のように微熱が続いた。そのたびに押し寄せる再発の不安。吹き飛ばしてくれたのは、池田先生だった。
 「私と同じ心で立ち上がってもらいたい」
 「断じて負けるな!」
 「愉快に進もう!」
 本部幹部会の中継行事で聞く師の声は、どんな状況でも変わらず力強かった。「くよくよするのは、弟子じゃないじゃんねえ」
 
 何度も口にしてきた言葉。「笑い飛ばせ!」。少しずつ、声が大きくなっていった。次第に、本当に笑顔で言えている自分に気が付いた。「子どもがいなきゃダメとか、病気になったら負けとか、そんな信心じゃないですもんね」
 
 中には、夫との関係や病気で悩み、自分を卑下する人もいる。丸山さんは、嘆いてばかりだった過去の自分と重なるという。「絶対に大丈夫よ! 結局は、幸せになれる信心じゃけえ」。自然と言える自分が不思議で、誇らしい。乳がんになって20年。新しい人生を得た喜びを感じる。「だから、ちょっとだけ病気に感謝しとるんよ」
 

 
 今でも、弱気が顔を出すこともある。子育てに奮闘する部員の話を聞いた帰り道、「私は母じゃないから」と思ってしまう。女性部の先輩が背中をたたいてくれた。
 「支部のみんなを、子どもと思ったらええ」
 「でも、ほとんど年上じゃん」
 「そんなん、言っちゃあ、いけん!」
 先輩が笑い、丸山さんがもっと大きな声で笑った。子どもがいなくとも、今を謳歌する笑顔がまぶしい。確信の人には何事も笑い飛ばす強さがある。
 ちなみに、隆さんはパチンコとタバコをやめ、50項目の願いは全て達成された。(10月30日付)
 

  
  
  
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