企画・連載

〈ブラジル教育リポート〉④ 数学は人を幸せにできるか 2025年8月22日

サンタナ・デ・パルナイーバ市

 数学は好きかと聞かれたら「いえ、あまり……」。そんな記者がブラジルの数学教師を取材しました。彼女は、ポルトガル語でこんな問いを立て、生徒と探求します。「A matemática pode tornar as pessoas felizes?(数学は人を幸せにできるか)」(記事=大宮将之、写真=種村伸広)      

 ブラジルの学校の新年度は、主に2月から始まる。サンタナ・デ・パルナイーバ市の公立マリア・フェルナンデス・マシャド・デ・オリベイラ初等教育学校(日本の小・中学校)では、そこで「折り紙」の活動を行うという。

 だからだろうか。本年3月に同校を訪れた際、生徒たちから次々に「プレゼントです!」と渡されたのも、折り紙の作品だった。自分たちで考えて用意したらしい。

 折り紙の活動を学校に根付かせたのが、数学教師のシェイラ・アビダラさん(婦人部本部長)である。ブラジル創価学会の教育本部が長年にわたり全土で展開してきた、初代会長・牧口常三郎先生の教育学説に基づく「牧口教育プロジェクト」を応用したそうだ。
  
 折り紙は、半分ずつに折る動作を通して「2分の1」「4分の1」といった分数を視覚的に理解できたり、線対称(二つに折るとピッタリ重なること)や回転対称(ある点を中心に回転させると、元の図形にピッタリ重なること)を体感できたりと、数学的な概念を自然に楽しく学べる。
  
 それだけではない。友達や親と一緒につくって仲を深め、誰かにプレゼントして喜んでもらう中で「価値」が生まれる。「“価値創造の過程”を体験し、日常の行動に良い変化が生まれてこそ創価教育です」とシェイラさんは言う。
  
 数学の授業が面白く、人格の価値を高めるものとなるよう、心を砕いているのが「教材開発」だ。

■創価教育学の3スローガン

 教材開発と授業に当たり、シェイラさんが心がけるのは、創価の人間教育者である三代の会長――すなわち初代・牧口常三郎先生、第2代・戸田城聖先生、第3代・池田大作先生なら「どうされるか」と考え、祈り、教育現場で試行錯誤を重ねることである。

 牧口先生は「創価教育学の三つのスローガン」を掲げた。
 「①経験より出発せよ」
 「②価値を目標とせよ」
 「③経済を原理とせよ」

 ――である。
 それぞれ――
 ①「身近な生活」や「経験」に根差した学びから出発すること
 ②美・利・善の「価値」を創造できる人間への成長を目標とすること
 ③経済的・時間的な無駄を省き、教師の教育力や子どもの学習力を合理的・効率的に引き出すこと
 ――と解釈できよう。
  
 数学者でもあった戸田先生の信念は「どんなできない生徒でも、できるようにしてみせる」。教え方は具体的で分かりやすく、面白い。シェイラさんが模範とするものだ。

■戸田先生は子どもたちにどう教えたか

 戸田先生は1923年、「時習学館」という私塾を都内で開いた。ここが師匠・牧口先生の教育学説を実証する場となったのである。
  
 例えば数学の授業の際、戸田先生は「犬の欲しい人はいないか?」と語りかけることから始めた。教室のあちこちから手が挙がる。先生は目を細めて見渡し、「さあ、誰にあげようか」と言いつつ、黒板にチョークで「犬」と大きく書いた。
  
 「これは、なんだ?」
 「イヌ!」
 「そう、確かに犬だね」
 「ハーイ!」
 「さあ、欲しい人は持っていきなさい」
  
 子どもたちは一瞬、困惑する。ややあって一人が「なんだ、字か!」。どっと笑い声が上がる。
  
 先生は面白い実例を通して、黒板の字が抽象化された「記号」であることを理解させる。「数学は数の記号の上に成立している」という概念が、小さい頭に知らず知らず、染み込んでいく。そして子どもたちの頭は、自らの力で活発に応用を始めるのだ。
  
 池田先生は、つづった。
 「優れた教育理念を根底にもち、独創的な教育技術を身につけた教師は、ぐいぐい生徒を引っ張っていくことができる。そうした教育者から、物事を認識する訓練を受け、いつしか人格の高みにまで導かれた人は、まことに幸福者といわなければなるまい」

■美・利・善の価値を創る学び

 実際に、シェイラさんの教材や授業を見せてもらった。担当は、6年生から8年生(日本の小学6年生から中学2年生に相当)である。
  
 6年生のプロジェクトは「数学プラネット」。宇宙のどこかにある「幸福の星」を探して、数々の惑星を旅するというRPG(ロールプレーイングゲーム)型の学びだ。教室に、一つ一つの星に見立てたスペースをつくる。生徒たちは複数のグループを組み、いざ出発――。

 星に到着すると「モンスターが現れた!」。やつらは、数学的な問題を出してくる。
 ほかにも、必要な道具を店で買うために金額の計算をしたり、次の目的地までの距離と時間を測ったりもしなければならない。
 シェイラさんは、考え方のヒントを出す。子どもたちは、知恵と力を合わせる。効率的な学び合いが生まれる。

 クリアした生徒たちの、うれしそうな顔といったらない。数学を「楽しい」と感じて「好き」になる――創価教育学の「美」の価値に通じるだろう。「『幸福の星をつくる力は、みんなの中にあるんだよ!』と伝えるまでが、授業です」(シェイラさん)
  
 7年生では「数学は解決策」と掲げ、「利」の価値を追求する。取り上げるテーマは「お小遣いの使い方や貯金、貸し借り」といった身近なものから、「経済格差」や「難民問題」までさまざまだ。
  
 どうすれば「得」をするのか。どうして「損」してしまうのか。自分も人も、互いに「利」を生むには? 真剣に学び、語り合う生徒たちにシェイラさんは訴える。「そうした問題を解決するための技術と考え方が、数学だよ」

 そして8年生は「善の数学」だ。「善」とは「社会的価値(公益)」のこと。
 例えば、障がいのある人も安心して過ごせる学校や社会をつくるため、数学を活用する。車椅子の人が「スロープ」を安全に使える角度を算出したり、点字ブロックの設置距離と費用対効果の関係をグラフ化したり。実際の学校環境の改善にも生かされる。
  
 シェイラさん自身、発達特性のある生徒も分かりやすく学べるよう、教材の工夫を惜しまない。

 市の教育局からの表彰も、一度や二度ではない。
 カルラ・クリスチナ・ボルジェス・デ・ソウザ校長は言う。「シェイラ先生は学力と共に人格も育むんです。確かな教育技術に加え、深い人生哲学があるからでしょう」

「よく分かる」ことは楽しい
「よく生きる」ことは嬉しい

 その人生哲学の師匠こそ、池田先生にほかならない。シェイラさんが生き方に迷った10代の時も、経済苦に直面し、家庭教師として働きながら学んだ学生時代も――先生からの激励に、どれほど勇気をもらっただろう。
  
 誰もが本来、「よりよく生きたい」と願っている。その人間の心と力を信じ抜き、励まし続け、無限の可能性を開いていける「学び方」「生き方」を会得できるようにする。その創価教育の本質を、池田先生は教えてくれた。
  
 シェイラさんは授業のモットーに「今日も幸せ!」と掲げる。
 「よく分かる」ことは楽しい。
 「よく生きる」ことは嬉しい。
 それを日々、実感できる子どもは幸せだ。

■数学と人生の答え合わせは

 学校の読書教育の一環で、池田先生の『少年とさくら』を取り上げた。空襲で焼け残った桜を巡る創作童話だ。
 桜守の老人が、少年にこう語る。「毎年、毎年、冬にたえぬいて、さくらはおおきくなっていく。そしてみごとな花を枝いっぱいにひろげていく。人間もおなじだ。きびしい環境にあったほうが、強くもなるし、おおきなこころの人にもなれる」
  
 この読書を、数学の「立体」の学習に展開した。生徒がそれぞれ「心に残った場面」を描き、立体として組み立てる。
  
 ある生徒は、「雪」の面の反対側に「桜」を配した。悩みと喜びは表裏一体。だから「何があっても、希望を信じて生きようと決めました」と。

 母校に貢献する生き方を選んだ教え子もいる。かつてシェイラさんのもとで学んだカミラ・ヘケナさんは今、校内にある「メイカースペース」(子どもたちが最先端の技術を活用し、ものづくりを協働して行う場)の指導員を務めている。
 「数学を通して、創造することの楽しさと喜びを教えてくれたのが、シェイラ先生でした」

 取材を終えて、率直に思う。自分もここで、学んでいたら……。「いつでも歓迎します!」と笑うシェイラさん。
 数学は人を幸せにできるか。
 答え合わせは、ずっと続いていくのだろう。

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