本年3月にリニューアルした沖縄研修道場(恩納村)の新展示が反響を呼んでいる。アメリカの核ミサイル基地跡に建設され、発射台の遺構が今も残る同研修道場には、これまで国内外から多くの人が訪れており、戦争の悲劇の教訓を伝え、平和の心を育んできた。ここでは、新装なった展示の主な見どころを紹介する。
本年3月にリニューアルした沖縄研修道場(恩納村)の新展示が反響を呼んでいる。アメリカの核ミサイル基地跡に建設され、発射台の遺構が今も残る同研修道場には、これまで国内外から多くの人が訪れており、戦争の悲劇の教訓を伝え、平和の心を育んできた。ここでは、新装なった展示の主な見どころを紹介する。
沖縄にはかつて、最大1300発もの核兵器が配備されていた。沖縄研修道場の敷地は県内4カ所に置かれていたアメリカの核ミサイル「メースB」の発射基地の跡地の一つであり、東西冷戦下では中国やソ連と対峙する拠点であった。米ソの核戦争が危ぶまれたキューバ危機(1962年)の際には、核ミサイルの発射命令が誤って出されたものの、現場の指揮官の判断で発射されずに済んだことが関係者の証言で明らかになっている。
77年に創価学会沖縄研修道場として開所した後も、敷地内には廃虚となったミサイル発射台が残っていた。撤去の計画が進む中、83年に研修道場を初訪問した池田先生は「『人類は、かつて戦争という愚かなことをした』との一つの証しとして」「『戦争を二度と起こさない』との誓いを込めて」そのまま残すことを提案。その後、翌84年に発射台の上に6体のブロンズ像が設置され、かつての核ミサイル発射台は「世界平和の碑」として除幕された。
沖縄に現存する核ミサイル発射台としては唯一のものであり、平和を望む人々が国内外から見学に訪れる。
今回のリニューアルで、八つある発射口の一つが当時の状態のまま内部を見学できるようになった。別の発射口内部にはシアターを新設し、沖縄と核に関する史実や「世界平和の碑」誕生の歩みなどを紹介する映像を上映している。
さらに、研修道場内の沖縄池田平和記念館には、特別展示「命どぅ宝」を新たに設置。池田先生の沖縄での足跡や、世界の識者との語らいなどを紹介しているほか、沖縄戦の体験者が描いた「沖縄戦の絵」の常設展もリニューアルした。
※開館時間は午前10時から午後4時。火曜休館。入場無料。
沖縄にはかつて、最大1300発もの核兵器が配備されていた。沖縄研修道場の敷地は県内4カ所に置かれていたアメリカの核ミサイル「メースB」の発射基地の跡地の一つであり、東西冷戦下では中国やソ連と対峙する拠点であった。米ソの核戦争が危ぶまれたキューバ危機(1962年)の際には、核ミサイルの発射命令が誤って出されたものの、現場の指揮官の判断で発射されずに済んだことが関係者の証言で明らかになっている。
77年に創価学会沖縄研修道場として開所した後も、敷地内には廃虚となったミサイル発射台が残っていた。撤去の計画が進む中、83年に研修道場を初訪問した池田先生は「『人類は、かつて戦争という愚かなことをした』との一つの証しとして」「『戦争を二度と起こさない』との誓いを込めて」そのまま残すことを提案。その後、翌84年に発射台の上に6体のブロンズ像が設置され、かつての核ミサイル発射台は「世界平和の碑」として除幕された。
沖縄に現存する核ミサイル発射台としては唯一のものであり、平和を望む人々が国内外から見学に訪れる。
今回のリニューアルで、八つある発射口の一つが当時の状態のまま内部を見学できるようになった。別の発射口内部にはシアターを新設し、沖縄と核に関する史実や「世界平和の碑」誕生の歩みなどを紹介する映像を上映している。
さらに、研修道場内の沖縄池田平和記念館には、特別展示「命どぅ宝」を新たに設置。池田先生の沖縄での足跡や、世界の識者との語らいなどを紹介しているほか、沖縄戦の体験者が描いた「沖縄戦の絵」の常設展もリニューアルした。
※開館時間は午前10時から午後4時。火曜休館。入場無料。