「つながり」の創出が政策課題に
「つながり」の創出が政策課題に
「孤立」と「孤独」が社会問題として認識されるようになって久しいです。一般的に孤立は客観的なもの、孤独は主観的なものと分類されます。ですから、孤立対策は、失業や不登校など客観的状態への支援として実施される面があります。
一方で、孤独は、必ずしも客観的状態だけでは判断できないケースがあり、わかりにくいです。たとえば、働いていて経済的に困っていなくても孤独を感じる、あるいは人と話す機会がほとんどなくても孤独を抱かない場合などです。
孤独対策の難しいところは2点挙げられます。1つは、主観的な心の領域に対して、政府や行政にできることはあるのかという点。もう1つは、できることがあったとしても、個人の心の中に行政が介入すべきか悩ましい点です。
しかし近年、国際的な流れが変わってきました。“心の問題”とされてきた孤独の問題を各国政府が政策課題として取り上げるようになったのです。孤独は、心のみならず身体にも健康被害をもたらす公衆衛生上の課題として扱われるようになりました。
また、GDP(国内総生産)が高水準になると幸福度との相関が見られなくなるという研究があり、先進諸国で人々の生活の質がどれくらい向上しているかといった豊かさ(ウェルビーイング)に関する議論が深まりました。
そこで、個人の心の領域に直接触れることなく、ウェルビーイングを高めるものとして浮上したのが、「つながり」です。さらに、つながりを築く“居場所”も注目されるようになります。
日本政府の「経済財政運営と改革の基本方針2024」(骨太の方針)では、「孤独・孤立対策推進法に基づく重点計画に沿って、(中略)予防の観点から緩やかなつながりを築ける居場所づくり、人と人とのつながりを生むための分野横断的な連携の促進などの取組を着実に推進する」と記述されました。
じつは、“居場所”に該当する言葉は、欧米諸国では見当たりません。
震災からの復興過程における世界銀行レポートは、居場所の重要性に着目していて、タイトルは「IBASHO」でした。また、今年8月に日本のこども食堂を視察した米国公衆衛生局長官で医師のヴィヴェック・H・マーシー氏は、一般市民、特に女性たちが自発的に立ち上げたこども食堂が全国9000カ所にまで広がっていることに感嘆し、のちにSNSで「日本でIBASHOという新しい言葉を学んだ」と投稿しています。
世界で孤独・孤立の問題が政策課題として浮上する前から、日本の地域社会では“緩やかなつながりを築ける居場所づくり”が、営々と行われていたのです。現在のこども食堂をはじめとして、人との緩やかなつながりをつくりだしてきた“居場所”の伝統は、日本の強みであるといえるでしょう。
「孤立」と「孤独」が社会問題として認識されるようになって久しいです。一般的に孤立は客観的なもの、孤独は主観的なものと分類されます。ですから、孤立対策は、失業や不登校など客観的状態への支援として実施される面があります。
一方で、孤独は、必ずしも客観的状態だけでは判断できないケースがあり、わかりにくいです。たとえば、働いていて経済的に困っていなくても孤独を感じる、あるいは人と話す機会がほとんどなくても孤独を抱かない場合などです。
孤独対策の難しいところは2点挙げられます。1つは、主観的な心の領域に対して、政府や行政にできることはあるのかという点。もう1つは、できることがあったとしても、個人の心の中に行政が介入すべきか悩ましい点です。
しかし近年、国際的な流れが変わってきました。“心の問題”とされてきた孤独の問題を各国政府が政策課題として取り上げるようになったのです。孤独は、心のみならず身体にも健康被害をもたらす公衆衛生上の課題として扱われるようになりました。
また、GDP(国内総生産)が高水準になると幸福度との相関が見られなくなるという研究があり、先進諸国で人々の生活の質がどれくらい向上しているかといった豊かさ(ウェルビーイング)に関する議論が深まりました。
そこで、個人の心の領域に直接触れることなく、ウェルビーイングを高めるものとして浮上したのが、「つながり」です。さらに、つながりを築く“居場所”も注目されるようになります。
日本政府の「経済財政運営と改革の基本方針2024」(骨太の方針)では、「孤独・孤立対策推進法に基づく重点計画に沿って、(中略)予防の観点から緩やかなつながりを築ける居場所づくり、人と人とのつながりを生むための分野横断的な連携の促進などの取組を着実に推進する」と記述されました。
じつは、“居場所”に該当する言葉は、欧米諸国では見当たりません。
震災からの復興過程における世界銀行レポートは、居場所の重要性に着目していて、タイトルは「IBASHO」でした。また、今年8月に日本のこども食堂を視察した米国公衆衛生局長官で医師のヴィヴェック・H・マーシー氏は、一般市民、特に女性たちが自発的に立ち上げたこども食堂が全国9000カ所にまで広がっていることに感嘆し、のちにSNSで「日本でIBASHOという新しい言葉を学んだ」と投稿しています。
世界で孤独・孤立の問題が政策課題として浮上する前から、日本の地域社会では“緩やかなつながりを築ける居場所づくり”が、営々と行われていたのです。現在のこども食堂をはじめとして、人との緩やかなつながりをつくりだしてきた“居場所”の伝統は、日本の強みであるといえるでしょう。
誰でも受け入れることが予防につながる
誰でも受け入れることが予防につながる
孤独に対するセーフティネットを構築する上で、そのネットからこぼれ落ちてしまう人を出さないことが大切です。
居場所づくりには、公的セーフティネットに捕捉されない人をケアする“事後救済”の機能も含まれますが、“事前予防”の側面もあり、それこそが孤独へのアプローチの肝になります。
“事前予防”が機能するためには、誰でも受け入れる場であることが重要です。
こども食堂も、その8割が「参加条件なし」の場として、あらゆる人を受け入れて運営されています。しばしば「食べられない子どもが行く場所」と事後救済的イメージが想起されることがあるのですが、そのようなスティグマ(偏見)は予防機能を発揮しづらくさせてしまいます。
私は、事後救済を行う「支援としての居場所」に対して、事前予防を目的とする「交流としての居場所」があると考えています。これは駄菓子屋をイメージすると、わかりやすいでしょう。
駄菓子屋は、さまざまな子どもが集う場所です。友達同士、あるいは店の人との交流を楽しみ、ネガティブな気持ちを和らげてくれます。
大人にとっては地域の銭湯なども、誰もが行ける居場所だと思います。誰でも受け入れる場だからこそ、抵抗感なく行けて、そこでつながりが生まれ、ソーシャル・キャピタル(社会・地域における人々の信頼関係やネットワーク)が豊かになり、孤独を防ぐことにつながっていきます。
孤独に対するセーフティネットを構築する上で、そのネットからこぼれ落ちてしまう人を出さないことが大切です。
居場所づくりには、公的セーフティネットに捕捉されない人をケアする“事後救済”の機能も含まれますが、“事前予防”の側面もあり、それこそが孤独へのアプローチの肝になります。
“事前予防”が機能するためには、誰でも受け入れる場であることが重要です。
こども食堂も、その8割が「参加条件なし」の場として、あらゆる人を受け入れて運営されています。しばしば「食べられない子どもが行く場所」と事後救済的イメージが想起されることがあるのですが、そのようなスティグマ(偏見)は予防機能を発揮しづらくさせてしまいます。
私は、事後救済を行う「支援としての居場所」に対して、事前予防を目的とする「交流としての居場所」があると考えています。これは駄菓子屋をイメージすると、わかりやすいでしょう。
駄菓子屋は、さまざまな子どもが集う場所です。友達同士、あるいは店の人との交流を楽しみ、ネガティブな気持ちを和らげてくれます。
大人にとっては地域の銭湯なども、誰もが行ける居場所だと思います。誰でも受け入れる場だからこそ、抵抗感なく行けて、そこでつながりが生まれ、ソーシャル・キャピタル(社会・地域における人々の信頼関係やネットワーク)が豊かになり、孤独を防ぐことにつながっていきます。
行政は信用力を生かした後方支援を
行政は信用力を生かした後方支援を
つながりの創出が政策課題となってきている今、こども食堂をはじめとする、住民の自発的意思のもとで行われる“居場所づくり”の取り組みに対して、行政はどのように支援していくべきか。ポイントとなるのは、①型にはめない②予算をかけない③「みんなまんなか」の包摂的な地域づくりにつなげる――の3点です。
まず、型にはめないこと。行政サービスは特定の対象者に特定のサービスを行うことで成り立っています。委託事業はもとより、補助であっても、補助条件が設定されます。それによって、多様な形で表れる地域住民の自発性が損なわれないよう、注意が必要です。
次に予算をかけないこと。「共助」の領域に税金が使われると、議会や住民への説明責任が生じ、居場所づくりの自由さが制限されてしまいます。とはいえ民間の自助努力だけでは、継続的な運営は安定しづらい。であれば、行政が発揮すべきは、資金力ではなく、信用力を生かした後方支援ではないでしょうか。「行政も支援している」という信用力をもって、民間の資金循環を促進し、「支え合いの地産地消」が、うまく回っていくような支援が求められます。
そして最後のポイントは、「みんなまんなか」の包摂的な地域づくりにつなげていくこと。子どもだけでなく、みんなの居場所であることを掲げているこども食堂では、子どもか大人かといった明確な境界はありません。「こどもまんなか」を推進しつつも、そこに携わる大人たちが交流を通じて、自らが元気をもらっていることを考えれば、「みんなまんなか」の居場所でもあるのです。行政は、そのような包摂的な地域づくりへとつながる回路を地域社会の中で構想していくことが必要です。
公助と共助が、車の両輪のようにまわっていく社会が実現することを期待します。
つながりの創出が政策課題となってきている今、こども食堂をはじめとする、住民の自発的意思のもとで行われる“居場所づくり”の取り組みに対して、行政はどのように支援していくべきか。ポイントとなるのは、①型にはめない②予算をかけない③「みんなまんなか」の包摂的な地域づくりにつなげる――の3点です。
まず、型にはめないこと。行政サービスは特定の対象者に特定のサービスを行うことで成り立っています。委託事業はもとより、補助であっても、補助条件が設定されます。それによって、多様な形で表れる地域住民の自発性が損なわれないよう、注意が必要です。
次に予算をかけないこと。「共助」の領域に税金が使われると、議会や住民への説明責任が生じ、居場所づくりの自由さが制限されてしまいます。とはいえ民間の自助努力だけでは、継続的な運営は安定しづらい。であれば、行政が発揮すべきは、資金力ではなく、信用力を生かした後方支援ではないでしょうか。「行政も支援している」という信用力をもって、民間の資金循環を促進し、「支え合いの地産地消」が、うまく回っていくような支援が求められます。
そして最後のポイントは、「みんなまんなか」の包摂的な地域づくりにつなげていくこと。子どもだけでなく、みんなの居場所であることを掲げているこども食堂では、子どもか大人かといった明確な境界はありません。「こどもまんなか」を推進しつつも、そこに携わる大人たちが交流を通じて、自らが元気をもらっていることを考えれば、「みんなまんなか」の居場所でもあるのです。行政は、そのような包摂的な地域づくりへとつながる回路を地域社会の中で構想していくことが必要です。
公助と共助が、車の両輪のようにまわっていく社会が実現することを期待します。