短期連載「立正安国と民衆の幸福――池田先生の指導に学ぶ」では、小説『新・人間革命』をはじめ、先生の著作、スピーチから、「立正安国」の本義と、学会の社会建設の活動の意義について確認する。
短期連載「立正安国と民衆の幸福――池田先生の指導に学ぶ」では、小説『新・人間革命』をはじめ、先生の著作、スピーチから、「立正安国」の本義と、学会の社会建設の活動の意義について確認する。
〈1971年6月、牧口初代会長の胸像が聖教新聞社(当時)で除幕。山本伸一は先師の立正安国の大闘争をしのぶ〉
日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ――それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(全31・新44)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。(小説『新・人間革命』第15巻「開花」の章)
◇ ◆ ◇
〈伸一は78年1月、香川の四国研修道場を訪問。夜の瀬戸内海を見つめ、源平の「屋島の戦い」を思い描く〉
“大聖人は、民の世をめざされたことは明らかだが、単に制度的な次元での民の世ではない。万民が平和と繁栄を享受し、幸せに暮らすことができる世であった……。
社会の制度や仕組みは大切である。しかし、より重要なのは、それらを運用していく人間の心である。いかに制度が整っていても、人間のいかんによって、制度は悪用、形骸化されてしまう危険をはらんでいるからだ。
大事なことは、為政者も民衆も、人間は等しく尊厳無比なる生命をもっているという、生き方の哲学を確立できるか否かである。また、人びとの苦しみに同苦し、他者の苦を取り除こうとする慈悲を、生き方の柱にできるか否かである。さらに、自己のエゴイズム、肥大化する欲望を、いかにして制御し、昇華していくことができるか否かである。
その戦いが「立正安国」の「立正」といえる。そして、そうした生き方、考え方のもとに、社会の進むべき方向性を見いだし、政治のみならず、経済、文化、教育など、あらゆる分野で、人びとの幸福と繁栄と平和を築き上げていくことが「安国」となるのだ。
「立正」なくしては、真実の「安国」はない。また、「安国」なき「立正」は、宗教の無力を裏づけるものとなろう”(小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章)
〈1971年6月、牧口初代会長の胸像が聖教新聞社(当時)で除幕。山本伸一は先師の立正安国の大闘争をしのぶ〉
日蓮仏法は「立正安国の宗教」である。
「立正安国」とは、「正を立て国を安んずる」との意義である。
正法を流布し、一人ひとりの胸中に仏法の哲理を打ち立てよ。そして、社会の平和と繁栄を築き上げよ――それが、大聖人の御生涯を通しての叫びであられた。
一次元からいえば、「立正」という正法の流布が、仏法者の宗教的使命であるのに対して、「安国」は、仏法者の社会的使命であるといってよい。
大聖人は「一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を禱らん者か」(全31・新44)と仰せになっている。「四表の静謐」とは社会の平和である。現実に社会を変革し、人びとに平和と繁栄をもたらす「安国」の実現があってこそ、仏法者の使命は完結するのである。(小説『新・人間革命』第15巻「開花」の章)
◇ ◆ ◇
〈伸一は78年1月、香川の四国研修道場を訪問。夜の瀬戸内海を見つめ、源平の「屋島の戦い」を思い描く〉
“大聖人は、民の世をめざされたことは明らかだが、単に制度的な次元での民の世ではない。万民が平和と繁栄を享受し、幸せに暮らすことができる世であった……。
社会の制度や仕組みは大切である。しかし、より重要なのは、それらを運用していく人間の心である。いかに制度が整っていても、人間のいかんによって、制度は悪用、形骸化されてしまう危険をはらんでいるからだ。
大事なことは、為政者も民衆も、人間は等しく尊厳無比なる生命をもっているという、生き方の哲学を確立できるか否かである。また、人びとの苦しみに同苦し、他者の苦を取り除こうとする慈悲を、生き方の柱にできるか否かである。さらに、自己のエゴイズム、肥大化する欲望を、いかにして制御し、昇華していくことができるか否かである。
その戦いが「立正安国」の「立正」といえる。そして、そうした生き方、考え方のもとに、社会の進むべき方向性を見いだし、政治のみならず、経済、文化、教育など、あらゆる分野で、人びとの幸福と繁栄と平和を築き上げていくことが「安国」となるのだ。
「立正」なくしては、真実の「安国」はない。また、「安国」なき「立正」は、宗教の無力を裏づけるものとなろう”(小説『新・人間革命』第26巻「勇将」の章)
なぜ、現実社会の真っ直中で、労を惜しまず「広宣流布」「立正安国」の挑戦を続けるのか。
その意義を、恩師は故郷の北海道の同志に語ってくださったことがある。
第一に、地域と社会への貢献を果たしながら、多くの人びとと仏縁を結んで、自他共に功徳を広げていくことができる。
第二に、戦いを通して組織の隅々まで力を漲らせ、異体同心のスクラムを強くすることができる。
第三に、目標に向かい、一人ひとりが「自分らしく悔いなく戦い切った」と御本尊に報告できる清々しい歴史を残し、勝利の喜びをつかめる。
使命の激戦を一つ一つ、勝ち越えながら、わが同志が「功徳」と「和楽」と「歓喜」の実証を、いやまして仲良く賢く、朗らかに開いていくことが、先生の願いであられたのだ。(2012年12月の「随筆 我らの勝利の大道」)
なぜ、現実社会の真っ直中で、労を惜しまず「広宣流布」「立正安国」の挑戦を続けるのか。
その意義を、恩師は故郷の北海道の同志に語ってくださったことがある。
第一に、地域と社会への貢献を果たしながら、多くの人びとと仏縁を結んで、自他共に功徳を広げていくことができる。
第二に、戦いを通して組織の隅々まで力を漲らせ、異体同心のスクラムを強くすることができる。
第三に、目標に向かい、一人ひとりが「自分らしく悔いなく戦い切った」と御本尊に報告できる清々しい歴史を残し、勝利の喜びをつかめる。
使命の激戦を一つ一つ、勝ち越えながら、わが同志が「功徳」と「和楽」と「歓喜」の実証を、いやまして仲良く賢く、朗らかに開いていくことが、先生の願いであられたのだ。(2012年12月の「随筆 我らの勝利の大道」)