企画・連載

〈教育本部ルポ・つなぐ〉第3回=不登校③ 2024年7月29日

“心の声”に“温かな声”で応え

 何十分たっただろう。中学1年の恵美さん(仮名)は校門に立ったまま動かない。セミの鳴き声が聞こえてくる。針ケ谷乃里子さん(地区副女性部長)が「そろそろ入ろうか」と言っても、黙ったまま。2人の汗と時間だけが流れていく。

 針ケ谷さんは、埼玉・加須市の中学校で「さわやか相談員」を務めている。子どもたちが気軽に話せる相談相手・遊び相手だ。恵美さんは小学5年の時、友人関係で傷ついたことをきっかけに学校を休みがちになった。中学に進むと腹痛などが続き、不登校に。心療内科に通うようになる。治療が奏功してきた頃、相談室登校が始まった。
  
 ところが、校門からやっと相談室に移っても、恵美さんは泣き出してしまう。そんな毎日の繰り返しに針ケ谷さんは「心が何度、折れそうになったか」。恵美さんは自分の気持ちを言葉でうまく表現できない。彼女の母親も、わが子との関わりに悩んでいた。

 「身体言語」という言葉がある。心の状態を表現する“身体の不調”や“行動の癖”のことだ。それは、身体が訴える“心の声”にほかならない。不登校の子は皆、言葉にならない感情を抱えている。池田先生はかつて、“子どもの「精神の心音」を「よく聞くこと」――今ほどそれが、教育界に必要な時はない”と語った。
  
 子どもの“身体の不調”や“行動の癖”を、ただ表面的に見て終わるのか。その姿から“不安の音”“苦悩の音”を聞き取るのか。試されているのは大人の境涯だ。「だから朝の唱題が勝負と決め、真剣に祈りました」(針ケ谷さん)。恵美さんの気持ちが分かる自分にしてください――と。
  
 彼女が、校門に立ったままでいるのも、相談室に入ってまず泣くのも、“心の整理”をするための営みではないか。針ケ谷さんは「信じて待てる」ようになった。
  
 「心の音」を聞き取ってもらえる。その安心感が子どもの側に生まれて初めて、心はつながるのだろう。恵美さんは相談室で少しずつ勉強ができるようになった。針ケ谷さんの声も一段と温かさを帯びた。「おはよう」「ありがとう」「すごいね」「頑張ったね」――恵美さんは言われるたびに、はにかんだ。
  
 この相談室を豊かな声で満たしたい。針ケ谷さんは学校の先生たちに、積極的に来室してあいさつしてもらうようお願いした。恵美さんがあいさつを返すと、先生方はたくさん褒めてくれた。恵美さんに笑顔が増える。
  
 やがて目標ができた。「合唱祭に出たい」。実は歌うことが大好きだという。相談室で個別練習を重ねた。音楽室での全体練習にも、ドアを一枚挟む形で合流した。迎えた当日――舞台には、誰よりも一生懸命歌う恵美さんの姿が。客席では母親が何度も涙をぬぐっている。恵美さんのクラスは「金賞」に輝いた。
  
 恵美さんにとって、相談室は“つながり”の場となった。先生や遊びに来る生徒たちと談笑し、自分の気持ちを言語化できるようになった。念願の修学旅行にも行けた。彼女は自らの頑張りを実感するたび、針ケ谷さんに確認する。「大勝利?」――針ケ谷さんの口癖がうつったらしい。「頑張ったね! もちろん大勝利だよ!」
  
 恵美さんは、授業に復帰。卒業式を迎え、通信制高校へと進んだ。

 今月14日、加須文化会館で行われた学会の家庭教育懇談会に、針ケ谷さんの姿があった。子育て世代の保護者の話をじっくり聞き、温かな声で応えている。それだけで、皆がホッとする。
  
 針ケ谷さんは思う。「これって、学校の相談室と同じなんです」。地域でも、子どものためにできることがある。
  
  
  
 ※ルポ「つなぐ」では、子どもや保護者と心をつなぎ、地域の人と人とをつなぐ教育本部の友を取材しながら、「子どもの幸福」第一の社会へ私たちに何ができるかを考えます。