日本は今、「希望が持てない時代」といわれています。なぜ、そうなってしまったのでしょうか。どうしたら希望が持てるのでしょうか。私たちはもう一度、池田大作先生の思想に立ち返り、「未来が楽しみ」「生きていて良かった」と言える社会をつくりたい。そのために“今、何が必要か”“何を変えるべきか”について、考えたいと思います。初回のテーマは「『競争』は人を幸せにするの?」――学会の青年世代(20~40代)が、慶應義塾大学経済学部の井手英策教授と勉強会を行い、語り合いました(本年2、3月)。新連載「未来対談――これからの社会を語り合おう」。読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
日本は今、「希望が持てない時代」といわれています。なぜ、そうなってしまったのでしょうか。どうしたら希望が持てるのでしょうか。私たちはもう一度、池田大作先生の思想に立ち返り、「未来が楽しみ」「生きていて良かった」と言える社会をつくりたい。そのために“今、何が必要か”“何を変えるべきか”について、考えたいと思います。初回のテーマは「『競争』は人を幸せにするの?」――学会の青年世代(20~40代)が、慶應義塾大学経済学部の井手英策教授と勉強会を行い、語り合いました(本年2、3月)。新連載「未来対談――これからの社会を語り合おう」。読者の皆さんと一緒に考えていきたいと思います。
〈青年世代〉
「失われた30年」という言葉をよく耳にします。日本の経済は長い間、不況のトンネルから抜け出せず、最近は物価高も重なって、多くの人が生活に苦しんでいます。将来への希望が持てず、不安が増しています。そんな社会状況を乗り越えるヒントを得たいと、今回の勉強会の教材に、池田先生と松下電器産業(現・パナソニック)の創業者である松下幸之助氏の対談集『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)を選びました。この本が出版されたのは、50年前(1975年)ですが、当時の日本も、オイルショックによる激しい物価上昇の中で高度経済成長の時代が終わりを迎え、先が見通せない状況にありました。今、改めて『人生問答』に知恵を求め、どうしたら社会を良くしていけるか考えたいと思います。
〈井手教授〉
『人生問答』を読んで、最初に心を揺さぶられたのは、池田会長の「競争」への評価でした(第4章「繁栄への道」)。会長は、競争原理が「文化、文明の発展をもたらす力」となってきた一方、「他者の抹殺と破壊を通じて、人類の歴史に汚点を刻みつづけてきた」と確信を持って発言されています。日本社会は、1990年代半ば以降、新自由主義的な政策を積極的に取り入れてきました。自由競争によって効率化が進み、幸せになれる、と多くの日本人が信じてきました。でも、本当にそうでしょうか。池田会長は、競争の良さを認めつつも、“競争の中で生じている歪みを是正する努力と知恵が必要”だと訴えられています。私たちの思想を支配する「競争」という言葉について、皆さんの本音を聞かせてください。
〈青年世代〉
「失われた30年」という言葉をよく耳にします。日本の経済は長い間、不況のトンネルから抜け出せず、最近は物価高も重なって、多くの人が生活に苦しんでいます。将来への希望が持てず、不安が増しています。そんな社会状況を乗り越えるヒントを得たいと、今回の勉強会の教材に、池田先生と松下電器産業(現・パナソニック)の創業者である松下幸之助氏の対談集『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)を選びました。この本が出版されたのは、50年前(1975年)ですが、当時の日本も、オイルショックによる激しい物価上昇の中で高度経済成長の時代が終わりを迎え、先が見通せない状況にありました。今、改めて『人生問答』に知恵を求め、どうしたら社会を良くしていけるか考えたいと思います。
〈井手教授〉
『人生問答』を読んで、最初に心を揺さぶられたのは、池田会長の「競争」への評価でした(第4章「繁栄への道」)。会長は、競争原理が「文化、文明の発展をもたらす力」となってきた一方、「他者の抹殺と破壊を通じて、人類の歴史に汚点を刻みつづけてきた」と確信を持って発言されています。日本社会は、1990年代半ば以降、新自由主義的な政策を積極的に取り入れてきました。自由競争によって効率化が進み、幸せになれる、と多くの日本人が信じてきました。でも、本当にそうでしょうか。池田会長は、競争の良さを認めつつも、“競争の中で生じている歪みを是正する努力と知恵が必要”だと訴えられています。私たちの思想を支配する「競争」という言葉について、皆さんの本音を聞かせてください。
〈青年世代〉
私たちは、競争の世界で生きています。競い合い、切磋琢磨することで、自身の能力が向上したり、心が鍛えられたり、成長する上で良い面も多くあると思います。一方で、「比べられること」に苦しんでいる人もいます。本来、人にはそれぞれ「絶対的な価値」があるはずなのに、学校受験や就職試験、職場での出世競争など、社会からの評価は相対的なものばかりで、矛盾を感じています。
〈井手教授〉
私は「団塊ジュニア(1971~74年生まれ世代)」の一人ですが、高度経済成長を知る大人たちに導かれ、受験競争を勝ち抜けば、いい大学、いい会社に入れる、将来幸せになれるという成功モデルをたたきこまれてきました。でも、それはまったくの幻想でした。日本経済は失速し、正社員にすらなれない。不安におびえながら競争を強いられ、誰もが「生きづらさ」を感じている。私たちは人間の絶対的価値を忘れ、他人の評価に右往左往させられています。
〈青年世代〉
私たちは、競争の世界で生きています。競い合い、切磋琢磨することで、自身の能力が向上したり、心が鍛えられたり、成長する上で良い面も多くあると思います。一方で、「比べられること」に苦しんでいる人もいます。本来、人にはそれぞれ「絶対的な価値」があるはずなのに、学校受験や就職試験、職場での出世競争など、社会からの評価は相対的なものばかりで、矛盾を感じています。
〈井手教授〉
私は「団塊ジュニア(1971~74年生まれ世代)」の一人ですが、高度経済成長を知る大人たちに導かれ、受験競争を勝ち抜けば、いい大学、いい会社に入れる、将来幸せになれるという成功モデルをたたきこまれてきました。でも、それはまったくの幻想でした。日本経済は失速し、正社員にすらなれない。不安におびえながら競争を強いられ、誰もが「生きづらさ」を感じている。私たちは人間の絶対的価値を忘れ、他人の評価に右往左往させられています。
〈青年世代〉
企業の利潤追求にせかされ、人が「機械」のように動かされている現実もあると思います。例えば、配送の仕事で考えても、企業間の競争によって消費者の利便性は高まっていますが、一方で配送する人たちの労働環境は悪化しているとの声もあります。私たちは、従業員の幸福があってこそ企業の発展があると考えます。そもそも、社会を中心に人間を見るのではなく、人間を中心に社会を考えることが大切なのではないでしょうか。
〈井手教授〉
『人生問答』で、池田会長が一貫して語っておられるのは、人間は手段ではなく「目的」だということ。「尊厳」を備えた「価値」ある存在だということ。ところが現実の世界は、まるで人間の尊さがお金で測られているよう。「人間を手段化しない」という哲学は、現代社会で最も見失われている視点です。皆さんには、宗教の垣根を越えて、この思想を広げてほしい。
競争社会で人間を評価する基準は「有用性」です。役に立つかどうかでしか人間を見ないから、生産性の低い人たちの全価値が否定されます。高齢者や障がい者、子どもたちをコスト扱いする。「人間の非人間的使用」と言っていいでしょう。
〈青年世代〉
企業の利潤追求にせかされ、人が「機械」のように動かされている現実もあると思います。例えば、配送の仕事で考えても、企業間の競争によって消費者の利便性は高まっていますが、一方で配送する人たちの労働環境は悪化しているとの声もあります。私たちは、従業員の幸福があってこそ企業の発展があると考えます。そもそも、社会を中心に人間を見るのではなく、人間を中心に社会を考えることが大切なのではないでしょうか。
〈井手教授〉
『人生問答』で、池田会長が一貫して語っておられるのは、人間は手段ではなく「目的」だということ。「尊厳」を備えた「価値」ある存在だということ。ところが現実の世界は、まるで人間の尊さがお金で測られているよう。「人間を手段化しない」という哲学は、現代社会で最も見失われている視点です。皆さんには、宗教の垣根を越えて、この思想を広げてほしい。
競争社会で人間を評価する基準は「有用性」です。役に立つかどうかでしか人間を見ないから、生産性の低い人たちの全価値が否定されます。高齢者や障がい者、子どもたちをコスト扱いする。「人間の非人間的使用」と言っていいでしょう。
運で決まるなんて
運で決まるなんて
〈青年世代〉
そうした現状は、絶対に変えないといけません。さらに、競争の勝敗は、運や出自といった、自身の努力とは無関係の要素によって決まることもあります。事故や病気、障がいなど、思いもよらぬことによって、競争社会から振り落とされてしまう人もいます。これは、とても不条理なことですが、誰しもが当事者になり得ることでもあります。
〈井手教授〉
共感します。2011年4月、私は脳内出血で倒れました。幸い、後遺症もなく、元気に働くことができていますが、もし障がいが残っていたら、働けなくなり、子どもたちも進学できなかったはずです。どんなに努力しても、人生は、運・不運で簡単に左右される。私は、皆さんと今、魂の会話をしています。こんなに愉快なことはありません。でも、だから悔しいのです。私は幸運だった。だけど、この社会には、不運というだけで「絶望」しなければいけない人がたくさんいます。競争と成長に頼りきってきた社会を変え、たとえ競争に敗れても、不運に見舞われても、誰もが安心して暮らせる社会をつくらなければいけない。私が「ベーシックサービス(税を財源として、全ての人々に、教育、医療、介護、子育て、障がい者福祉などのサービスを提供する)」を提唱した理由はシンプルです。それは不条理への怒りです。
〈青年世代〉
そうした現状は、絶対に変えないといけません。さらに、競争の勝敗は、運や出自といった、自身の努力とは無関係の要素によって決まることもあります。事故や病気、障がいなど、思いもよらぬことによって、競争社会から振り落とされてしまう人もいます。これは、とても不条理なことですが、誰しもが当事者になり得ることでもあります。
〈井手教授〉
共感します。2011年4月、私は脳内出血で倒れました。幸い、後遺症もなく、元気に働くことができていますが、もし障がいが残っていたら、働けなくなり、子どもたちも進学できなかったはずです。どんなに努力しても、人生は、運・不運で簡単に左右される。私は、皆さんと今、魂の会話をしています。こんなに愉快なことはありません。でも、だから悔しいのです。私は幸運だった。だけど、この社会には、不運というだけで「絶望」しなければいけない人がたくさんいます。競争と成長に頼りきってきた社会を変え、たとえ競争に敗れても、不運に見舞われても、誰もが安心して暮らせる社会をつくらなければいけない。私が「ベーシックサービス(税を財源として、全ての人々に、教育、医療、介護、子育て、障がい者福祉などのサービスを提供する)」を提唱した理由はシンプルです。それは不条理への怒りです。
〈青年世代〉
私たちも同じ思いです。「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」「誰も置き去りにしない」――そうした心を社会の隅々にまで浸透させていきたいです。
そのためにも、行き過ぎた競争を是正しなければなりません。池田先生は、『人生問答』の中で、競争には2種類あると語っています。一つは「エゴを貫くための競争」。権力欲、名誉欲、征服欲といった人間生命に内在する「悪」が付きまとう競争です。
もう一つは、「共存し共栄することを前提とした競争」。他者との競争を通じて、切磋琢磨しつつ、共に利益を享受する競争です。身近な言葉に言い換えると「協力し合うことを前提とする競争」といえます。私たちは、こうした「善の競争」を社会に広げたいと決意しています。
〈井手教授〉
「善の競争」ですね。池田会長は「学問、知識、知恵の集積と開発」「人類生存のための努力、文化交流の促進、苦悩する者へのエゴにとらわれないかたちでの援助」などを挙げ、「人びとの幸福に奉仕することに定められ、それを貫く競争のみが、人類の必要とするもの」だと述べられています。「共存し共栄することを前提とした競争」。この困難な課題に、皆さんはどう取り組まれているのですか。
〈青年世代〉
真っ先に思い浮かぶのは、私たちの日常の学会活動です。学会の中では、いつも「人のため」「社会のため」という生き方を教わっています。訪問・激励に歩いたり、悩む友人を励ましたり――。「自分さえよければ」と独りで走るのではなく、「一緒に」歩いていく。小さなエゴを乗り越えて、より良い地域・社会をつくるために、自分ができる精いっぱいのことをしていきたい。そういう思いの人が、学会の中にはたくさんいます。「自他共の幸福」のために尽くす人材をどれだけ育てられるか――創価学会が行ってきた「競争」はまさに、そうした「人材育成競争」であったとも言えます。かつて、国家間の対立を乗り越える道として、創価学会の初代会長・牧口常三郎先生は「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(『牧口常三郎全集』第2巻)という「人道的競争」の重要性を強調されました。この理念は今、私たちの学会活動や地域・社会貢献の活動の中に息づいていると思います。
〈青年世代〉
私たちも同じ思いです。「他人の不幸の上に自分の幸福を築くことはしない」「誰も置き去りにしない」――そうした心を社会の隅々にまで浸透させていきたいです。
そのためにも、行き過ぎた競争を是正しなければなりません。池田先生は、『人生問答』の中で、競争には2種類あると語っています。一つは「エゴを貫くための競争」。権力欲、名誉欲、征服欲といった人間生命に内在する「悪」が付きまとう競争です。
もう一つは、「共存し共栄することを前提とした競争」。他者との競争を通じて、切磋琢磨しつつ、共に利益を享受する競争です。身近な言葉に言い換えると「協力し合うことを前提とする競争」といえます。私たちは、こうした「善の競争」を社会に広げたいと決意しています。
〈井手教授〉
「善の競争」ですね。池田会長は「学問、知識、知恵の集積と開発」「人類生存のための努力、文化交流の促進、苦悩する者へのエゴにとらわれないかたちでの援助」などを挙げ、「人びとの幸福に奉仕することに定められ、それを貫く競争のみが、人類の必要とするもの」だと述べられています。「共存し共栄することを前提とした競争」。この困難な課題に、皆さんはどう取り組まれているのですか。
〈青年世代〉
真っ先に思い浮かぶのは、私たちの日常の学会活動です。学会の中では、いつも「人のため」「社会のため」という生き方を教わっています。訪問・激励に歩いたり、悩む友人を励ましたり――。「自分さえよければ」と独りで走るのではなく、「一緒に」歩いていく。小さなエゴを乗り越えて、より良い地域・社会をつくるために、自分ができる精いっぱいのことをしていきたい。そういう思いの人が、学会の中にはたくさんいます。「自他共の幸福」のために尽くす人材をどれだけ育てられるか――創価学会が行ってきた「競争」はまさに、そうした「人材育成競争」であったとも言えます。かつて、国家間の対立を乗り越える道として、創価学会の初代会長・牧口常三郎先生は「他のためにし、他を益しつつ自己も益する」(『牧口常三郎全集』第2巻)という「人道的競争」の重要性を強調されました。この理念は今、私たちの学会活動や地域・社会貢献の活動の中に息づいていると思います。
効率的な方法は?
効率的な方法は?
〈井手教授〉
教育の現場でも、「競い合う」だけではなく、「協力し合う」ことの大切さをしっかり伝えねばなりません。恩師である神野直彦東京大学名誉教授は、私にこうおっしゃいました。「高い山に登るには、一人では危険だからチームが必要だ。大切なのは役割分担。誰か一人でも取り残すと山頂に到達できない。だから、自分のためにも、みんなのためにも、歩みの一番遅い人を大事にしなければいけないよ」と。「自他共の幸福」を追求すれば、効率的に高みにたどり着ける。勝者は……みんなです。創価学会の皆さんは、こうした価値を日常の中で学び、実践されている。恩師は違えども、私たちは、「競争社会」に変わる「古くて新しい教え」を社会にどう浸透させるのか、大きな宿題を分かち合っています。
〈青年世代〉
そうですね。どうすれば、協力し合うことの価値を社会に広げていけるでしょうか。松下氏は、池田先生に「すべてが共存していける道というものがあるのでしょうか」と質問しています。
それに対し、池田先生は“二つの道”を示しました。第一に「政治的、社会的な相対的次元から人びとを幸福にしていく道」。第二に「人間の内面的な絶対的次元から人びとを救済していく道」です。
政治的な相対的次元からのアプローチは、「小さい者、弱い者は犠牲にされてもやむをえないのだという面が強調されがち」になってしまいます。政治の世界が、多数決の論理を重視する以上、こうした性質を持つことはあります。だからこそ、内面のエゴを乗り越える「宗教的次元」からのアプローチが必要となります。
〈井手教授〉
教育の現場でも、「競い合う」だけではなく、「協力し合う」ことの大切さをしっかり伝えねばなりません。恩師である神野直彦東京大学名誉教授は、私にこうおっしゃいました。「高い山に登るには、一人では危険だからチームが必要だ。大切なのは役割分担。誰か一人でも取り残すと山頂に到達できない。だから、自分のためにも、みんなのためにも、歩みの一番遅い人を大事にしなければいけないよ」と。「自他共の幸福」を追求すれば、効率的に高みにたどり着ける。勝者は……みんなです。創価学会の皆さんは、こうした価値を日常の中で学び、実践されている。恩師は違えども、私たちは、「競争社会」に変わる「古くて新しい教え」を社会にどう浸透させるのか、大きな宿題を分かち合っています。
〈青年世代〉
そうですね。どうすれば、協力し合うことの価値を社会に広げていけるでしょうか。松下氏は、池田先生に「すべてが共存していける道というものがあるのでしょうか」と質問しています。
それに対し、池田先生は“二つの道”を示しました。第一に「政治的、社会的な相対的次元から人びとを幸福にしていく道」。第二に「人間の内面的な絶対的次元から人びとを救済していく道」です。
政治的な相対的次元からのアプローチは、「小さい者、弱い者は犠牲にされてもやむをえないのだという面が強調されがち」になってしまいます。政治の世界が、多数決の論理を重視する以上、こうした性質を持つことはあります。だからこそ、内面のエゴを乗り越える「宗教的次元」からのアプローチが必要となります。
〈井手教授〉
気を付けてください。池田会長は、これらは“二つの異なる次元”であり、どちらか一方を取ろうとはしていません。会長は、皆さんの日常の実践――つまり、宗教活動を基盤としつつも、より良い社会を築いていくために積極的に政治に参加しなさい、いや政治そのものを変えていきなさい、そう語りかけられているのではないでしょうか。
〈青年世代〉
その点は強く自覚しています。私たちは「善の競争」「人道的競争」を軸とした社会をつくりたい。そのためには、宗教的次元にとどまるのではなく、政治的な相対的次元、すなわち、地域・社会のために尽くせる人材をどれだけ育てられるか――その競争が大切だと思います。私たちが政治の分野に人材を送り出し、応援する意義もここにあります。人材育成競争をどう活発にしていけるか。そこが、私たちが考えるべき次の課題です。引き続き考えながら、足元から挑戦を始めたいと思います。
〈井手教授〉
気を付けてください。池田会長は、これらは“二つの異なる次元”であり、どちらか一方を取ろうとはしていません。会長は、皆さんの日常の実践――つまり、宗教活動を基盤としつつも、より良い社会を築いていくために積極的に政治に参加しなさい、いや政治そのものを変えていきなさい、そう語りかけられているのではないでしょうか。
〈青年世代〉
その点は強く自覚しています。私たちは「善の競争」「人道的競争」を軸とした社会をつくりたい。そのためには、宗教的次元にとどまるのではなく、政治的な相対的次元、すなわち、地域・社会のために尽くせる人材をどれだけ育てられるか――その競争が大切だと思います。私たちが政治の分野に人材を送り出し、応援する意義もここにあります。人材育成競争をどう活発にしていけるか。そこが、私たちが考えるべき次の課題です。引き続き考えながら、足元から挑戦を始めたいと思います。
プロフィル
プロフィル
いで・えいさく 1972年、福岡県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学経済学部教授。著書に『ベーシックサービス』(小学館)など。
いで・えいさく 1972年、福岡県生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。現在、慶應義塾大学経済学部教授。著書に『ベーシックサービス』(小学館)など。
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