聖教ニュース(紙面)

ブラジル 常勝リオ総会 池田先生の初訪問60周年を祝賀(1面から続く) 2026年3月15日

リオが世界広布の模範に

 誓願の総会では、ブラジルSGIのシラトリ理事長の後、池田先生とリオの共戦の歴史をまとめた映像を視聴した。
 続いてレネクレイデ・シルバさんが体験発表。度重なる大病を師匠への誓いと強盛な祈りで乗り越え、勝利した体験を力強く披露した。リオデジャネイロ総圏のホドリゴ・モウラ総圏長は、「地涌の使命」を自覚し、悔いなき挑戦の日々を送ろうと呼びかけた。
 西方SGI青年部長は師が示した「常勝」の意義を確認。「世界広布の新たなる前進は、リオから始まった」と言われるような圧倒的な拡大を果たそうと訴えた。
 谷川同理事長は池田先生が「世界の模範」と絶大なる信頼を寄せたリオの同志の誠実な行動と奮闘を最大にたたえつつ、参加者の質問に耳を傾けた。「青年世代に“信心のバトン”を渡すには」などの問いが寄せられ、理事長は「地道な激励」こそが広布拡大の要諦であると強調。あらゆる人の仏性を信じ抜き、どこまでも粘り強く励ましを送るとともに、師の指針を体現できる弟子に成長しようと語った。

参加者の声
◎ヴィトル・コスタさん(壮年部)

 池田先生のリオデジャネイロ初訪問から60年を、折伏の前進など地区の勝利で迎えられた喜びでいっぱいです。
 私は師弟直結の信心を40年にわたって貫く中で、仕事での昇進や長年患ったC型肝炎の完治を成し遂げ、勝利の実証を打ち立ててきました。
 最大の原点は、母を亡くした直後の日本でのSGI研修会で、先生の慈愛に触れたことです。「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え」(新1554・全1143)の御聖訓を胸に、人生の転機を乗り越えられました。
 これからも報恩感謝の行動で、地域に広布の大波を起こします。

◎ルシレネ・ナザレさん(婦人部)

 29年にわたる信仰の実践の中で、多くの功徳と実証を示してきました。
 最大の試練は長女の病でした。自己免疫疾患を発症し、入院や病状の悪化などを繰り返しました。昏睡状態で31日間も人工呼吸器をつける絶体絶命の危機にも直面したのです。
 断固たる唱題に挑み抜き、2025年に私がドナーとなって骨髄移植を実施。手術は成功し、勝利の旗を掲げることができました。
 池田先生を永遠の師匠と定め、困難な時にこそ師の指導を抱き締めて挑戦すれば、破れない壁はないと確信しています。
 次の10年を目指し、一人でも多くの人に仏法の素晴らしさを語り広げていく決意です。

池田先生とリオデジャネイロ

 池田先生のリオデジャネイロ訪問は3度。一瞬一瞬が精魂を傾けての真剣勝負だった。
 1966年3月、先生は高熱を押してリオに第一歩を刻んだ。空港の出迎えは、わずか10人ほど。過酷な宿命と闘う友を渾身の力で励まし、コルコバードの丘で小さな苗木を見つめ、「リオの組織も、今は小さいかもしれないが、10年、20年と、題目を唱え抜いて、頑張っていくならば、必ず大発展します」と未来を託した。
 しかし軍事政権下の偏見は激しく、74年には池田先生のビザが発給されず無念の入国拒否に。ブラジルの友は深い悲嘆の中、悔しさをバネに地域貢献へと走り抜く。この苦闘の中、リオで生まれたのが愛唱歌「サウダソン・ア・センセイ」だ。涙と共に口ずさみ、再び師を迎える日を夢見て前進を続けた。
 84年2月、祈りが実り、先生は18年ぶりにブラジルへ。経由地のリオ空港での滞在は1時間だったが、駆け付けた草創の同志と万感の再会を果たした。
 先生は93年2月にもリオの地へ。恩師・戸田城聖先生の生誕日・2月11日には、28年にわたる小説『人間革命』の連載を終え、「あとがき」をリオで記す。「戸田先生とご一緒に来ていると思っている」との思いでこの日、リオデジャネイロ連邦大学の名誉博士号の授与式に臨んだ。
 同13日、リオデジャネイロ文化会館を初訪問。友は歓喜を爆発させ、「サウダソン・ア・センセイ」の大合唱で迎えた。先生は“「常勝リオ」よ、世界広布の模範たれ”と永遠の指針を贈った。
 逆境の中で託されたあの日の小さな“苗木”は、限りない師の励ましを養分に、ブラジル社会に根を張る、嵐に揺るがぬ大樹へと成長を遂げた。