ユース特集

〈インタビュー〉 「地球倫理」の創造に必要な宗教性 京都大学名誉教授 広井良典(「第三文明」8月号から) 2026年8月12日

 人口減少と超高齢化が進む日本。無限の成長を目指す社会モデルに代わる、「定常型社会」という新たな社会像とは――。

持続可能な福祉社会への転換を

 明治以降の日本の歩みは、急激な人口増加と右肩上がりの経済成長を一気に駆け上がる、いわばジェットコースターの登り坂のような時代でした。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称賛された時期がその象徴といえます。しかし、2008年をピークに、日本は本格的な人口減少社会へと突入しました。この現状を前に、多くのメディアや政治の文脈では「経済縮小」や「地方消滅」といった危機論ばかりが強調されがちです。
 
 一方で私は、今の状況を悲観的に捉える必要は全くないと考えています。むしろ人口減少期こそ、過去の拡大・成長という古い成功モデルや神話から脱却し、無限の経済成長を前提としない「定常型社会」、すなわち環境・経済・福祉が調和した「持続可能な福祉社会」への歴史的な転換点であると捉えています。
 
 現在、国連の幸福度ランキングなどで日本の順位が著しく低いことが話題となっていますが、その背景には、高度経済成長期を支えてきた「会社」や「家族」という昭和型の古い共同体が脆弱化し、人々が社会的なサポートや精神的な拠り所を失って孤立しているという、移行期特有の構造的な歪みがあります。

 今、私たちに求められているのは、かつての同質的で閉鎖的な農村型コミュニティへの単なる回帰でもなければ、従来型の東京一極集中型コミュニティでもありません。独立した個人の自由を尊重しつつ、集団の枠を超えて多様な人々と緩やかにつながり、見知らぬ他者に対しても配慮や寛容さを持つことができる新たな「都市型コミュニティ」の構築なのです。
 
 実際、かつて私たちが実施したAIシミュレーションでも、日本が持続可能であるための分岐点は、東京一極集中ではなく「地域分散型(ローカル)」社会への移行にあるという明確な結果が出ました。
 
 いずれにしても、若い世代の間で地方志向や地元貢献への関心が高まっているのは、極めて希望ある兆候です。過度な集中から多極分散へと舵を戻し、それぞれの地域で豊かな関係性を結び直していくことこそが、これからの社会におけるウェルビーイング(幸福度)を根底から高めていく確かな鍵となるのです。

時代が求める「地球倫理」とは

 人類の歴史を長いスパンで振り返ると、物質的・空間的な成長が物理的な限界に達した大転換期があります。その大転換期には必ず、人間の内面における精神的・文化的な大発展が起こり、他者との共生を可能にする新たな思想や価値観が生まれてきたことがわかります。
 
 例えば、狩猟採集段階における前半期から後半期への移行期には、洞窟壁画や装飾品の制作などが行われるようになりました。すなわち、「心のビッグバン」と呼ばれる豊かな精神文化が花開いたのです。
 
 さらに、農耕文明が資源の枯渇や環境の限界に達し、各地で深刻な紛争が多発した紀元前5世紀前後には、ブッダの仏教、ソクラテスやプラトンのギリシャ哲学、孔子の儒教、そして中東での旧約思想が地球上の各地で同時多発的に誕生しました。ドイツの哲学者ヤスパースが「枢軸時代」と名付けたこの時代こそ、人類が普遍的な宗教や思想という、時代を超えた精神的な拠り所を獲得した瞬間だったのです。

 そして現代は、工業化社会が地球規模の環境制約や資源の限界に直面している、人類史上「第3の転換期」にほかなりません。ここで私たちに必要なのは、地球の有限性と多様性を深く自覚し、個人の利益追求を超えて、コミュニティ、自然、さらには地球や宇宙との大いなるつながりを感じて生きる「地球倫理」という、新しい普遍的な価値観への昇華です。
 
 現代の日本社会において最も欠けているのは、目先の経済合理性や効率性といった狭い次元だけにとらわれない、人間の生き方の根幹を支える「土台」としての精神的な拠り所や、深い意味での信仰心にほかなりません。
 
 人間の尊厳や感謝の心を忘れた社会は必然的に荒廃し、孤立と衰退を生み出します。物質主義や効率至上主義が限界を迎えている今だからこそ、人々の精神的な支柱となり、社会の道徳や倫理の土台を現場から支え直す普遍的な思想が、どうしても社会に不可欠なのです。

先見性のある「世界市民」の概念

 こうした「地球倫理」の必要性を痛感するなかで、私は創価学会の歴史とその根底にある思想に触れ、深い驚きと共感を覚えました。
 
 創価学会の初代会長である牧口常三郎氏が、日露戦争の開戦直前である1903年に、国家主義が吹き荒れるなかで『人生地理学』を著し、そのなかで、「世界市民」という極めて先駆的な概念を掲げていたと聞きました。
 
 この概念は、人間の宗教や文化、思想といった営みが、周囲の自然環境や風土と深く結びついているという現代のエコロジーにも通じる先見的な視点に立ったうえで、そこからさらに国家の枠を超えた地球規模の共生を目指したものと推察します。
 
 これは、私が現代の処方箋として提唱している「地球倫理」や、持続可能な地球定常文明のデザインという概念と通じるものであり、1世紀以上も前にこれほど壮大なマクロ理論を構築されていた先見性には、思想史の観点からも感慨を禁じ得ません。
 
 そして、こうした先駆的な人道主義の理念が、単なる書物のなかの学説にとどまることなく、現代の日本の地域社会において、地に足のついた形で力強く実践されている点に、私は大きな価値と希望を見出しています。

 身近な例を挙げさせていただくと、私の実家がある岡山県の小さな商店街などでは、コミュニティの最前線の現場において、常に創価学会の会員の方々や公明党の地方議員の姿がありました。個人がバラバラな状況になり、人々の孤立と孤独、不安が拡大している、「無言社会」と呼べるような今の日本において、彼らは日常のつながりのなかで一早くそれに気づき、手を差し伸べ合う草の根の相互扶助を実践されています。
 
 これからの定常型社会においてコミュニティや人々の幸福を再創造していくためには、経済的利益のみを追うことではなく、確固たる人道主義の理念に裏打ちされた人々の「行動」の力こそが重要です。地球規模の理念を持ちながら、同時に、地域社会の現場で人間に寄り添い続ける創価学会と公明党の実践に、これからも期待を寄せています。