企画・連載

〈未来対談〉 テーマ③“福祉”は政治が与えてくれるもの? 2025年5月19日

創価学会青年世代 × 慶應義塾大学 井手英策教授

 連載「未来対談」――3回目のテーマは「“福祉”は政治が与えてくれるもの?」です。池田大作先生と松下幸之助氏の対談集『人生問答』(『池田大作全集』第8巻所収)をひもとき、慶應義塾大学経済学部の井手英策教授と勉強会を行いました(本年2、3、4月)。福祉の在り方について、読者のみなさんと一緒に考えたいと思います。

 〈青年世代〉
 これまで「競争」(4月11日付)や「平等」(5月1日付)などをテーマに、勉強会を行ってきました。競争から振り落とされたとしても、不運や不平等に直面したとしても、守り合い・支え合いの中で、自分の力を最大限に発揮することができる――「だれもが安心して生きられる社会」。そんな社会の実現は可能なのか。そこで着目したいのが“福祉”です。日本では“福祉”というと、病気や障がいへの支援、貧困の是正などに限定した意味で捉えられがちですが、本来の“福祉”の意義は広く、“すべての人が幸福で人間らしい生活を送れるようにする”ことです。今回は、広義の福祉の視点から日本社会の未来を考えたいと思います。
  
 〈井手教授〉
 いいですね! 愉しく語り合いましょう。みなさんがおっしゃる“福祉”を実現するには、医療、介護、教育、住宅など、私たちが生きていくための土台が必要です。だから私は「ベーシックサービス」を無償化して、だれもがサービスを利用できる社会をつくろうと訴えてきました。財源は税金です。でも日本では、税は「搾取されるもの」とされ、負担感ばかりが強調されてきました。ここまでは、前回のテーマで確認し合いましたね。
  
 〈青年世代〉
 私たち自身も、ネットやSNSなどの膨大な情報に触れる中で、税は「暮らしを守り合うために払う」ものではなく、国から「取られてしまう」ものと考えてしまいがちです。それはつまり、心のどこかで、社会は「自分がつくるもの」ではなく、「政治がつくってくれるもの」という意識をもってしまっているともいえます。だから、本来、自分たちの幸福をつくるための“福祉”なのに、人ごとになってしまう。『人生問答』第4章(繁栄への道)のなかで、池田先生は「福祉が完備して“生の倦怠”が出はじめるというのは、本質的には自己の生命が外界に紛動されている姿であり、生命そのものの主体性がなくなっている状態ともいえましょう」と語っています。松下氏も、福祉は単に国家から“与えられるもの”ではなく、国民一人一人が“築き上げ、引き上げるもの”だ、と。半世紀前に池田先生と松下氏が指摘した問題意識が、令和の時代にますます問われています。
  
 〈井手教授〉
 今の日本で残念なのは、出来事をながめるように、国民が政治を「見て」いることです。関心は目前の損得ばかり。不平不満を言ったかと思えば、突然、熱狂したりして、自分たちが社会をつくる主体者であることを忘れかけています。一方、池田会長と松下氏は、“私たち一人一人が、つくりだす福祉”の大切さを説かれました。では、どうすれば実現できるのでしょう。ヒントは、みなさんの学会活動のなかにある、と私は見ています。
  
 〈青年世代〉
 私たちの学会活動は、“お節介”といわれることもありますが(笑)、「お元気ですか?」「最近どうですか?」と、周りの人にお声がけをする。困っている方がいれば、すぐに飛んでいく。縁したお一人お一人を徹底して大切にする実践です。

 
ソーシャルワーク

 〈井手教授〉
 そこです! みなさんは、あまり意識したことがないかもしれませんが、学会活動には「良いことをしています」「仏法を語っています」というレベルにとどまらない、人と人を結びつける「社会的な価値」があると思うんです。福祉の世界で求められていることは、みなさんの宗教活動と重なる部分がとても多い。みなさんは「ソーシャルワーク」(注)や「ソーシャルワーカー」という言葉を知っていますか?
  
 〈青年世代〉
 はい、井手先生の本(『ベーシックサービス』小学館、『ソーシャルワーカー』筑摩書房)にも詳しく書かれていました。ソーシャルワーカーは、国際的な定義によれば、社会福祉士や精神保健福祉士といった専門的な資格をもつ人のことを指し、一人一人がかかえている生きづらさを改善するために仕事をしている人たちのことであると理解しています。
  
 〈井手教授〉
 その通り。でもね、僕は生きづらさの解消が「資格をもっている人」に委ねられている現状に、やや違和感があるんです。考えてみてください。資格をもっている数少ない専門家だけで、一人一人のニーズを把握できますか。例えば、ひとり親家庭の子が「不登校」に苦しんでいて、親のネグレクト(育児放棄)が疑われたとします。この問題に対応するために、小・中学校にはスクールカウンセラーがいますが、人数は少なく、多くが非常勤で、子どもの悩みを聞く時間を十分に確保できない。スクールソーシャルワーカーも同じで、ネグレクトを解決するには、家庭のなかに入っていって、児童相談所や保健所、子ども家庭支援センターなどと連携しなければなりません。でも現実には人も時間も足りないんです。
  
 〈青年世代〉
 たしかに、個人や家庭によって困りごとは違うし、その原因もさまざまです。解決するには、近隣や地域といった網の目のような人と人のつながりと、その人のそばで寄り添い続けていくという、継続的な関わりが欠かせませんね。

 
 〈井手教授〉
 だれも孤立しないように、ケアし合う(=気にかけ合う)。問題を発見し、寄り添い、解決できない困りごとについては、活用できる制度や専門家につないでいく――そんな「接着剤」のような活動の集まりが、ソーシャルワークであり、その担い手がソーシャルワーカーだと思うのです。もうお気付きかもしれませんが、これって、創価学会のみなさんが日常的に実践されていることですよね。
  
 〈青年世代〉
 私の住んでいる地域に、お母さまが仕事で留守が多いため、おばあちゃんの介護をしているメンバーがいました。彼女は大学への通学を諦め、介護や家事に専念していたんです。
 私は女性部の先輩と共に、彼女とお母さまのもとに何度も足を運びました。どうすれば、彼女が家族を支えつつも、自分の人生を楽しんでいけるか――一緒に悩み、考えました。出会った時の彼女は「自分の人生」を諦めていましたが、対話を重ねる中で「私も自分の人生を歩みたい」と前向きな心に変わっていきました。
  
 〈井手教授〉
 それです。それこそ、まさに「ソーシャルワーク」そのものです。日本では、介護の専門職が家庭を訪問して、ヤングケアラーや引きこもりの実態を見つけて支援に動いても、それらは“報酬の対象外”となってしまいます。だから、善意ある現場の人たちは、どんどん“無償で”働くことになり、バーンアウト(熱心に仕事をしていた人が、突然やる気を失ってしまうこと)してしまう。みなさんの宗教的信念に基づく実践は、困っている人の支えになるだけでなく、現場で戦っている専門職の人たちの身体的・精神的な負担軽減にもつながっています。
  
 〈青年世代〉
 私の友人は、家族との関係に悩んでいました。ご両親が離婚して、再婚相手の方からも家を追い出され、居場所を失ってしまったんです。私は「彼女が心から安らげる“居場所”をつくれるように」と祈り、彼女を学会の会合に招待しました。初対面なのに、まるで家族を迎えるように歓迎してくれた学会員さんの姿に触れ、彼女も心から感動していました。
  
 〈井手教授〉
 私たちは「世の中」全体が変わってほしいと願います。でも、本当は、一人でいいんです。信じて寄り添ってくれる人がいてくれれば。「孤独」に震えなくてすむのですから。じつは、僕は不登校児だったんです。ある日、母と学校に呼び出され、先生たちから散々怒られたことがありました。母は、ずっとうなだれて話を聞いていたのですが、最後に声をしぼり出すようにこう言ったんです。「先生、申し訳ありません。でも、私は息子を信じています」って。どれほどうれしかったか。今でも涙が出ます。僕は決めたんです。母だけは泣かすまい、信じてくれた母のために、勉強だけは死ぬ気で頑張り抜こう、と。

 
 〈青年世代〉
 お母さまの深い愛情に感動しました。私も、ひとり親家庭で育ちました。経済的に大変ななか懸命に育ててくれた母への感謝は尽きません。私は小学生の頃、野球チームに入りたかったのですが、お金のことで母に負担をかけたくなくて、諦めました。そんな時、学会の少年少女部の合唱団に誘われ、練習に参加するようになりました。みんなと一緒に歌うことが楽しくて、気付いたら合唱が大好きになっていました。社会人になった今も、音楽隊の「しなの合唱団」で活動しています。東日本大震災や能登半島地震の被災地でも歌わせていただき、被災者のみなさんに喜んでいただけたことが忘れられません。「わずかでも力になれれば」と思って歌ったのですが、私の方が、被災者のみなさんの笑顔に元気をもらい、励まされました。
  
 〈井手教授〉
 どんな境遇にあっても「自分の居場所」が得られる。「だれかの居場所づくり」に関われる。「励ます人」と「励まされる人」に分かれるのではなく、「励まし合う」。お互いが「かけがえのない存在」だと認識し合う。それは、創価学会の良さであるのと同時に、ソーシャルワークの本質でもあります。みなさんの日頃の実践には、宗教的価値にとどまらない「社会的価値」がある。この実践が日本中、世界中に広がっているとすれば、すごいことです。みなさんは、まさに「身近を革命する人たち」だ。もっと自信と確信をもってほしい。

 
連帯を幾重にも

 〈青年世代〉
 私たちの学会活動が、そのまま地域・社会貢献になっているということを改めて実感し、ますます勇気が湧きました。地域社会のなかに「小さな連帯」を広げていくことが大切ですね。
  
 〈井手教授〉
 それだけではありません。みなさんの地域、身近な場所の連帯にくわえて、社会や国、世代間と、幾重にも連帯の波を広げていかなければ。哲学者ハンナ・アーレントは『人間の条件』のなかで、古代ローマでは「人と人の間にいること」は「生きる」ことと同義だったと言いました。私たちは物理的に生きていますが、社会的にも生きています。みなさんが声を上げ、だれもが医療や介護などのサービスを利用でき、安心して生きていける社会をつくってください。孤独に震えないように声をかけ続け、目の前の人の「居場所」をつくってください。一人一人が尊厳をもって社会に参加できる、そんな誇り高き国をつくってください。
  
 〈青年世代〉
 まさに『人生問答』のなかで、池田先生も「人間の無限の創造性を引きだしていく」社会をつくり上げることを提唱しています。励まし合いながら、地域へ社会へ未来へと「連帯」を広げていくことが、“一人一人が、つくり出す福祉”ということですね。
 福祉は決して政治が与えるものではない。私たち自身がつくり上げていくもの。私たちは、日々の活動を通して、この意識をさらに社会に広げたいと思います。
  
 〈井手教授〉
 これまでの社会保障は、マイナスの状態を“ゼロ”に戻すためのものでした。でも、みなさんのソーシャルワークは、それを超えている。社会への参画をうながし、「共に生きる」連帯を生み、ウェルビーイング(身体的、精神的、社会的に良好な状態。心身ともに満たされ、充実した状態)を高めようとする。マイナスをプラスに転じる「価値創造」の福祉。それは、これまでの常識を覆す、大逆転の発想です。私たちが社会をつくる「主体者」の自覚をもてれば、財政も、制度も、真に価値あるものとして、使いこなせるようになります。
 「そんなのきれいごとだよ」と笑う人がいるかもしれません。でも、笑わせておけばいいんです。学者が、宗教者が「きれいごと」を言わなければ、衰えゆくこの国の未来を、だれが変えられるのですか。私は、未来を生きる子どもたちが「生まれて良かった」と心から思える社会を、お金のためではなく、人生の充実や「生きがい」を感じられる社会を残して死にたい。私は、倒れるまで、いや、倒れてもなお、「きれいごと」を叫び続けます。みなさんと一緒に。
  
 〈青年世代〉
 私たちも、決して立ち止まりません。だれもが安心して生きられる社会、そして未来を必ずつくると決意しています。そのために、今、自分たちができることは何か、すべきことは何かを思索しながら、挑戦を続けていきます。地域社会のなかに創造性あふれる生き生きとした「主体者」の連帯を幾重にもつくり、広げていきます。
 

 注=2014年に採択されたソーシャルワーク専門職のグローバル定義には、次のようにある。ソーシャルワークは、社会の変化、開発、つながり、そして人々のエンパワーメントと解放、これらを促進するような、実践に基づいた専門職であり、学問分野である。ソーシャルワークの中心となるのは、社会正義、人権、集団的な責任、および多様性の尊重といった諸原則である。ソーシャルワーク、社会科学、人文学、そして地域や民族に固有の知からなる諸理論を土台としながら、暮らしの課題に取り組み、幸福や健康といったウェルビーイングを高めるべく、人々やさまざまな構造に働きかける。この定義は、各国および世界の各地域で拡張されうるものである。
 

 感想・ご意見はこちらから

 過去の記事はこちらから