企画・連載

〈ライフウオッチ〉 ルポ 就職氷河期世代と信仰⑤ 2026年1月22日

 1990年代半ばから2000年代前半の雇用環境が厳しい時代に就職活動を行い、現在も多くの困難に直面している「就職氷河期世代」。
  
 転職やキャリア形成(仕事を通じて、経験やスキルを蓄積し、自己実現を追求していくこと)においても、逆境に立たされてきました。
 どのような苦難を越えてきたのでしょうか。一人の壮年部員の歩みを追いました。(記事=中谷光昭)

■深刻な就職難

 2000年代に入ると就職難は厳しさを増し、大卒の就職率は50%台に下がった。
  
 大阪府の山本正広さん(東住吉大光区、地区部長)が府内で就職活動を始めたのは、就職率が最も冷え込んでいた2003年のこと。
  
 当時、大学院への進学を目指していたが「入学の翌年から学費が上がることになり、経済的な理由で進学を断念せざるを得ませんでした」。
  
 入試の勉強から一転、就活へ舵を切ったのは、大学4年の秋。ただでさえ求人が少ない状況での出遅れが重くのしかかった。
 「エントリーシートを出しても、通ったのは1割ほど。面接に進んでも全て不採用でした」
  
 大学の就職支援センターに通いつめ、応募した企業は138社。それでも採用に至らなかった。

■139社目で

 大学卒業の1カ月前、最後の望みを託した139社目。“ここがダメなら、就職浪人するしかない”――土俵際の採用試験で、朗報が届く。
  
 「派遣社員」としてではあったが、一定期間働いた後に「正社員」として迎えてもらう契約で、内定を得た。
 学生部の仲間たちから喝采を浴び、山本さんの頰を涙が伝った。「内定の喜びより“やっと終わった”という、安堵が大きかったです」
  
 入社したのは、従業員50人ほどのIT企業。パソコン機器の設置やネットワークの整備を任され、営業にも飛び回った。
 仕事の手順が分からず、手ほどきを求めたが「見て覚えろ」とだけ言われた。「僕が派遣社員だったからか、業務研修を行ってもらえず、少しでも間違えると怒声が飛んできました」
  
 働き始めて2カ月後、山本さんをさらに襲ったのは、放置すれば失明の危険性もある円錐角膜の発症だった。
  
 山本さんは、病院で医師の診察を受けた。両目に鋭い痛みが走ったが、「クビになるのが怖くて、仕事は休みませんでした。やっとつかんだ職場ですから絶対に手放したくなかった」。痛みで涙がにじんでも「ドライアイです」とごまかし、食らいついた。
  
 苦しい胸の内を男子部の先輩に打ち明けると、「今、病気になったことにも必ず意味がある。ここで信心の確信をつかもう!」と肩を抱いてくれた。多くの仲間が一緒に完治を祈ってくれた。
  
 “絶対に病を治す”――湧き上がった決意を、山本さんは友人にも語るように。その心意気に、信仰の力強さを感じた一人の友人が、御本尊を受持した。

■病と闘いながら

 病の発症から3カ月後――医師も驚く回復を見せ、円錐角膜の症状は治まった。
 山本さんは喜びを胸に、仕事にいっそう打ち込んだが、上司や先輩の叱責は強まり、やがてパワハラは深刻さを増していった。
  
 入社して10カ月、“これ以上、我慢すると自分が壊れてしまう”と感じた山本さんは失意の中、辞職願を出した。
 「あと数カ月働けば正社員になれるというところでした。言葉に表せないほど悔しく、つらかったです」
  
 ハローワークに通い、正社員を目指した。だが、どの会社の面接でも「正社員としての経験がないので採れない」と言われた。
  
 第一生命経済研究所の首席エコノミストである永濱利廣氏は“当時の企業が評価したのは正社員としてどこに何年勤めたかであり、非正規雇用の経験はキャリアとして認められにくかった”と振り返る。(『就職氷河期世代の経済学』)
  
 正社員の職を得られず、山本さんは2005年、派遣会社に登録する。
 短期の職を転々としながら将来を模索する日々。そんな時、大学時代の友人が「山本君は、ゼミの幹事として一人一人への気配りが丁寧で、お店の手配も上手だから、旅行関係の仕事が向いているのでは?」と声をかけてくれた。
  
 友の言葉に勇気を得て、「旅行会社の正社員」を目標に据えた。働きながら大学の講座に通い、国家資格「総合旅行業務取扱管理者」の取得を目指した。
  
 脳に「くも膜のう胞」が見つかり、治療も並行しながらの挑戦だったが、2006年に合格。資格を携え、自信をもって旅行会社の求人を当たった。
 だが面接官の評価は変わらず、「資格をもっていても、正社員としての実務経験がなければ厳しい」と。非正規から正社員になることの難しさを、痛切に感じた。

■雪柳のように

 2007年、山本さんは、旅行会社のコールセンターに契約社員として採用された。勤勉な働きぶりが評価され、「チャンスがあれば、必ず正社員に推薦する」と言われた。
  
 いっそう力が入ったが、2008年のリーマン・ショックにより状況は一変。会社で大幅な人員整理が行われることになり、非正規雇用だった山本さんは「真っ先に切られてしまいました」。
  
 「頑張っても、頑張っても正社員になれない。面接ではいつも『正社員としての実務経験がない』と言われ、非正規からの昇格にかけても、派遣切りに遭い、望みを断たれてしまう。“初職で正社員になれていれば……”と、何度も自分を責めました」
  
 山本さんが大学を卒業した後、就職率は年々回復していき、大学院を経て社会に出た同級生の多くは正社員として働いていた。
 「正直、“うらやましいな”と思ったこともありましたし、“僕も大学院に行けていたら全然違う人生だったのではないか”と思うと悔しかったです」
  
 落ち込む山本さんの心を支えたのは、創価学会の同志だった。心ゆくまで話を聞いてくれた。相手も悩みを打ち明けてくれた。気づけば「一緒に頑張ろう」と励ましている自分がいた。
 ある日、男子部の会合で研究発表をすることになった。「参加者を元気にしたい」と思い、池田先生の指針を探していると、ある一文に目を奪われた。
  
 「雪柳は動かない。雨の日も、寒風の日も、じっと自分の場所で根を張って頑張っている。頑張り抜いたから、みんなのほうから『きれいだねぇ』と来てくれる」「ほかの花と自分を比べようなんて夢にも思わなかった。人が自分をどう思うかなんて、どうでもよかった。自分にできるかぎりのことをすること、それしか思わなかった」(エッセー「雪柳 光の王冠」)
  
 胸が震えた。“まるで、僕に言われているみたいだ”と、山本さんは思った。
 “そうだ。今いる場所で頑張れば、いつか自分を認めてくれる人が現れる。周りと比べなくていい。僕は僕の場所で咲けばいいんだ”

■履歴書に人柄が

 山本さんは決めた。面接で「弱点」と指摘されてきた「非正規の経験」を、自分の「持ち味」としてアピールしようと。
  
 「非正規で耐えてきたからこそ、さまざまな業務を経験できたし、どんな仕事にも対応できる力が身に付きました。ここを評価してもらおうと、攻めの姿勢で面接に臨むようにしたんです」
  
 一念を据えると、面接官の指摘に、たじろがなくなった。
 「非正規か正規かではなく、私のやってきた業務の中身を見てください!」と胸を張った。「もちろん、そう簡単に『そうですか』とはなりません。その後も非正規雇用が続きましたが、『よし、ここでまた新しい経験を積み、自分の武器を増やすぞ!』って前向きに捉えられるようになりました」
  
 派遣・契約社員として、旅行会社を転々としながら、プランの企画、交通や宿泊の手配、アテンド、窓口対応や社内の業務改善に至るまで、あらゆる業務を経験した。
 契約が切れた後、次の仕事が見つかるまでは日雇いのアルバイトでつなぎ、懸命に明日を目指した。
  
 気づけば、山本さんの履歴書の職歴欄は書ききれないほどに埋まり、別紙を添えるまでになった。
 ある会社の採用面接――担当者が穏やかな声で言った。「履歴書に、あなたの人柄が出ています。頑張ってこられましたね」

■福運の貯金

 契約社員として入社した旅行会社で、ついに正社員試験に挑む段階までこぎ着けた。
 上司も同僚も「大丈夫だよ」と背中を押してくれた。しかし、会社の経営不振により、採用は見送りに。直後に“派遣切り”に遭った。
  
 「この時ばかりは、立ち直れないほど落ち込みました。それまで積み上げてきたものが崩れたように感じ、自信を失ってしまったんです」
  
 ふさぎ込む山本さんを家から連れ出し、話を聞いてくれたのは、同世代の区男子部長(当時)だった。
 「僕の話を遮ることも、否定することもなく、『うん、うん』と最後まで聞いてくれたんです」
  
 話を聞き終えた区男子部長は自身の悩みも打ち明け、こう言った。
 「一生懸命、頑張ってきたんや。福運の貯金は絶対消えへん。定期預金になってるだけや。いつか、ためた福運を一気に引き出せる日が来る。必ず来る。その日まで一緒に祈るからな!」
  
 温かな言葉に、涙があふれた。“学会員で良かった。同志と出会えて良かった”と、心から思った。
  
 区男子部長と共に真剣に祈りながら、歯を食いしばって転職活動に駆けた。
 当時、山本さんは30代半ば。面接官から「部下や後輩を育てたマネジメントの経験がないと厳しい」と言われ、ひるむこともあったが、一つの会社が「これだけの経験があるなら、すぐ来てほしい」と採用してくれた。「1年たてば正社員になれるという旅行会社で、またとない好待遇でした」
  
 鉄道旅券の手配を任され、細かい規則や要綱も丁寧に読み込み、周りが舌を巻くほど仕事に打ち込んだ。上司が何度も会社に「山本君を正社員に」と推薦してくれた。
  
 苦節15年――ついに悲願がかなう。2019年、山本さんの正社員採用が決まった。
 「初めて自分のデスクを持てた時は、本当にうれしくて、感無量でした」。上司から「絶対に辞めないでほしい」と言われ、数年連続で昇給も果たした。

■思いやりの華

 コロナ禍で旅行業界が深刻な打撃を受ける中、会社は危機を越え、山本さんは入社から9年、順調にキャリアを積むことができている。
  
 また、会社は介護休暇への理解が深く、山本さんは「要介護4」の母・和子さんを自宅で介護しながら働くことができている。
 「前の職場は、介護休暇が普及していなかったので、介護離職していたと思います。だから今の職場には本当に感謝していますし、これまでの苦労は全て、あのタイミングで、今の会社に出合うための布石だったんだと思えるんです」
  
 就職氷河期を生きる中で、多くの苦悩を味わった。だが、その苦悩と向き合ってきたからこそ「絶対に奪われることのない幸せを得ることができました」と、山本さんは言う。
 正社員という目標を追う中で、幸福という人生の目的を実感することができた。
  
 「自分で自分をダメだと思った時、『君ならできる!』と僕を信じ続けてくれた同志がいました。“雪柳のように”と、池田先生が道を照らしてくれました。一人だったら現実を嘆き、周りをうらやみ、自分の人生を諦めてしまっていたと思います。一緒に乗り越えてくれる師匠や仲間がいることが、どれほどありがたいか。そのかけがえのない幸せを、不遇の中でつかむことができました」
  
 小説『新・人間革命』第2巻「民衆の旗」の章で、池田先生はつづっている。
  
 「金やモノを手に入れることによって得られる幸福もある。しかし、それはつかの間の幸福にすぎない。戸田は、それを『相対的幸福』と呼んだ。そして、たとえ、人生の試練や苦難はあっても、それさえも楽しみとし、生きていること自体が幸福であるという境涯を、『絶対的幸福』としたのである。この悠々たる大境涯を確立するには、いかなる環境にも負けることのない、強い生命力が必要となる。その生命力は、自身の胸中に内在しているものであり、それを、いかにして引き出すかを説いたのが仏法である」
  
 山本さんは今、「恩返しの思いで」と、地区部長、区の未来本部長として、青年部・未来部の友に自身の体験や確信を伝えている。
  
 職場では、新入社員の育成を任されるようになった。山本さんの丁寧な指導に「なぜ、そこまでできるの?」と驚く同僚もいるという。
 「僕は非正規の期間が長く、仕事を丁寧に教えてもらったことが、ほとんどありませんでした。だから、もし自分が後輩を教える立場になったら、絶対に僕と同じ苦労はさせまいと、ずっと心に決めていたんです」
  
 不遇の沼で、山本さんが咲かせた「思いやりの華」。美しさや強さを誇ることなく、周りの花々に寄り添うように咲いている。

  
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 〈参考文献〉永濱利廣著『就職氷河期世代の経済学』(日本能率協会マネジメントセンター)