信仰体験
〈信仰体験〉 農業で不登校の子どもたちに寄り添う 2026年8月5日
【埼玉県白岡市】古民家から、にぎやかな笑い声が聞こえてくる。のんびり、ゆったり、心のままに。まるで“田舎のおばあちゃん家”でくつろぐように、子どもたちが思い思いの時間を過ごしている。「寺子屋えん」は、不登校の子どもたちが農業や自然との触れ合いを通して、「生きる力」を培う支援プロジェクトの一つ。主宰するコミュニティー「結耕舎」で、茂呂美枝子さん(53)=支部女性部長=は、理事を務める。「畑って、すごいんですよ。落ち込んでる時でも、土に触れてるうちに、どんどん心が潤されて、元気になるんです」。茂呂さんには、過去に心を枯らした日々があった。
2011年(平成23年)4月、手足のしびれが起こり、体は疲れているのに一睡もできない状態が続いた。「適応障害」の診断を受け、会社を休職することになった。
激しい頭痛と嘔吐を繰り返した2カ月は「全身が自分の体じゃない感覚だった」。家に引きこもりっ放しの自分を責め続けた。
涙の心を、優しく温めてくれたのは池田先生だった。
〈自分を卑下したり、引いてしまったら、負けである。何があろうと、自分自身が強くなるしかない。自分自身が境涯を広げるしかない。そうすれば、必ず道が開ける〉
「負けるな」と心に響く先生の言葉に引き寄せられ、茂呂さんは心と体を休めながらも、題目を唱えた。
祈るほどに、“焦らずとも、必ず良くなる”“この苦しみにもきっと意味がある”と信じられる自分になっていく。半年後、体は快方へと向かった。
その頃、東日本大震災から半年がたっていた。復職も果たした茂呂さんは、自分も誰かの力になりたいと、復興ボランティアに参加する。
宮城県石巻市で一人の女性と出会った。彼女の家族は津波の犠牲になっていた。がれきを片付ける気にもなれず、自宅の跡地は、震災の日の傷痕をそのまま残していた。過酷な心痛は察するに余りある。それでも彼女は笑みを浮かべて言った。
「いつかまた、ここで野菜を作りたい」
茂呂さんは言葉に詰まった。自身の両手を見つめた。病気になって、部屋から一歩も出られなかった悔しい日々を思い出した。
「荒れ地から希望をつくる。私もこの手で、希望を育てる人になりたい」
帰宅して、庭先の土に触れた。手のひらに伝わるぬくもりに、不思議と心が落ち着いた。茂呂さんは決意した。退職届を出し、40歳から農業学校に通い始めた。
農業の基礎を学び、栽培技術を身に付ける。14年に、埼玉県伊奈町で初めて自分の畑を持った。
トマト、キュウリ、ナスなどの野菜の苗を植えた。ふかふかの土に両手が沈み込む。“地球のぬくもり”に包まれているようで、心がやわらいでいく実感があった。
ある時、知り合いが、わが子の不登校で悩んでいると聞いた。ふと思った。農業には、そんな子どもたちを、ありのままに包んでくれる力がきっとあると。23年(令和5年)、「寺子屋えん」を立ち上げた。
子どもたちと肩を並べて畑にスコップを入れ、額に汗を浮かべながら野菜の苗を植える。水やりをし、雑草を抜く。「今のつらさは“こやし”だよ。絶対に大丈夫」。そう語りかけ、“芽吹き”の時を見守ってきた。
ある不登校の少年は、畑を耕し続けた。野菜が茎や葉を伸ばし、ぐんぐん成長する。いつしか少年の顔を覆っていた前髪も短くなり、目を輝かせて話をしてくれるようになった。少年は今、通信制の高校に進み、青春を目いっぱい楽しんでいる。
茂呂さんは、「人のために火をともせば、我がまえあきらかなるがごとし」(新2156・全1598)の御文を常に抱き締めてきた。子どもたちの笑顔に触れるたび、自分の心にもやわらかな光が差す。「私も信心を教えられている。それが一番の喜びです」と、ほほ笑む。
今年からは、代表理事・情野雄太郎さんの主導で、生きづらさを抱える大人を支援するプロジェクトも立ち上げ、「結耕舎」へと事業体制を拡充した。
誰が来てもいい、何をしてもいい。そんな居心地の良さがSNSを通じて評判を呼び、県外からも人が集まっている。
子どもたちが帰ると、畑は静けさに包まれる。茂呂さんは夕暮れ時の畑を見つめ、一人一人の顔を思い浮かべては祈りを込める。「必ず幸せになってほしいから」
今年もまばゆい夏が来た。茂呂さんは子どもたちと虫を追いかけ、夏野菜を収穫し、一緒に人生を学ぶ。古民家に飛び切りの笑い声が響き渡っている。