ユース特集

電子版連載「著者に聞いてみよう」――“夜回り先生”こと水谷修先生に、学生記者が若者の居場所について聞きました 2025年8月31日

優しさと「ありがとう」の一言が、君の生きる力になる

 夜間高校の教員として働いていた時から現在まで、夜の繁華街を回り、子どもたちと関わり続けてきた“夜回り先生”こと水谷修さん。『新編 夜回り先生』(鳳書院)が、初版から21年の時を経て、大幅に加筆され、再び出版されました。今回の電子版連載「著者に聞いてみよう」では、「若者の居場所」と「教育」をテーマに、本社所属のスチューデントリポーター・らおん(ペンネーム)が話を伺いました。

待望された再びの出版

 ――2025年6月、鳳書院から『新編 夜回り先生』を出版されました。本書は、『夜回り先生』の改訂版です。
  
 私が最初に『夜回り先生』という本を出したのは、2004年の2月でした。ミリオンセラーとなり、フランス、韓国、インドネシア、台湾でも翻訳され、海外を合わせると400万部ほど読まれました。日本では「最も本を読まない子どもたちが、最も読んだ本」と言われたんです。それはなぜか? 〈俺窃盗やった――いいんだよ、私援助交際やってる――いいんだよ〉。その「いいんだよ」という言葉を、苦しむ子が待っていたんです。
 それほど、当時も今も、子どもたちは、いいんだよと言ってもらっていない。「ダメだよ」「何やってるの!」という否定から入る。悩みや苦しみの渦中にいる子どもたちにとって、大人が自分を肯定してくれたということが、心に響いたのだと思います。
 その後も多くの人に安価で読んでもらえるよう、試行錯誤を続けましたが、「紙の本」からの読者離れも相まって、5年前から、『夜回り先生』は電子書籍での販売になりました。
  
 ――どうして今回、紙での改訂版の出版を決められたのでしょうか?
  
 ある時、少年院等で教育を担う法務教官の先生から「紙の『夜回り先生』が出版されなくなって困っている」と言われたんです。少年院や少年鑑別所等では、タブレットやパソコンを扱うことができないので、「紙の本がないと読ませられないが、限られた冊数を皆で回し読みするものだから、もうボロボロなんです」と。
 講演会などで全国を回っていると、声をかけてくれる子どもたちが、数多くいます。なぜ私のことを知っているのか尋ねると、少年院で私の本を読んだと教えてくれます。そうした子どもたちのためにも、紙の書籍を再び出版したいと思ったんです。
 そして、元の書籍の内容を生かしながら、加筆し、改訂版を出すことを決めました。初版から約20年がたち、社会の状況も変わってきた。また、これまで関わってきた子どもたちから、こう尋ねられたことも理由の一つです。“自分たちは、苦しんでいる時に先生に助けてもらって、共に生きてきた。でも、先生って、どういう子ども時代を過ごしてきたの?”と。
 正直、自分のことを書くのは好きではないのだけれど、苦しかった幼少期や貧しかった家庭、肉親の話も含めて加筆しました。私という人間についても正直に書こうと思い、出来上がったのがこの本です。

 ――水谷さんは、どんな青年時代を過ごされたんですか。
  
 私は学生時代を「70年安保闘争」の真っただ中で過ごしました。資本主義社会の中で差別を受けてきた人たちと触れ合うたび、社会に対する憤りを感じ、差別のない社会をつくりたいと思うようになり、マルクスをはじめとする数々の書籍を読みあさりました。そして、安保闘争が終わりを迎えていく中で、いくら体制を変えても、人間が変わらなければ社会は変わらないと気付いた。それができるのは教育者と宗教者だと思い、私は教育者としてその道を歩もうと決めました。
 教育者と言ってもいろいろです。例えば、優秀な子をもっと優秀にする教員もいれば、大きな流れから外れてしまった子に寄り添う教員もいます。私の場合は、大学卒業後に配属された特別支援学校での経験が、岐路になりました。授業だけでなく、重度の障がいがある子どもたちの生活の介助や仕事の訓練も行う中で、ある先輩教員に言われたんです。「お前は何様のつもりだ。この子が頼れるのは、お前しかいないんだ」。その一言で目が覚めたんです。あるべき教員の姿とは、自分がその時にお預かりした生徒に対し、その生徒が必要としているものを提供し、さらに、その子どもたちの明日をつくる知識や経験、触れ合いの機会を与えるものなのだと。そう気づいてから、私の教育に対する姿勢や生徒への態度は大きく変わりました。それは信仰者の態度にも通じると思います。

“夜回り先生”と創価教育

 ――創価学会の牧口常三郎初代会長も、戸田城聖第2代会長も、教員であり、池田大作第3代会長は「私の人生の最後の事業は『教育』である」と宣言しました。
  
 私は創価学会について、相当勉強してきました。創価学会がどうしてここまで大きな組織になったのか。それは、苦しんだ人たちの声をどこまでも聞き、行動してきたからだと思います。社会から忘れ去られた人をつくらない。だれも置き去りにしない。私も同じ思いで“夜回り先生”として活動してきました。家庭や学校教育から置き去りにされ、傷ついた子どもたちに、もう一回、生きる夢や明日への希望を持ってもらうために、寄り添おうと決めた。
  
 池田先生は、どんな時も、自ら、困っている人のもとへ足を運んで励ましを送ってきました。戸田先生も牧口先生もそれは一緒です。牧口先生は教員として、貧しくて食事もままならない子どもたちのためにご飯を用意し、どうしたら幸せになれるのかを考え、実践されました。創価学会の原点はそこにあると思います。エリートがいて、何かを授ける“教会”ではない。苦しみの中で切実に信仰を必要とする人たちと共に学ぶ、“学会”なんです。だから私は応援しているんです。

 ――水谷さんが、創価学会へ最も期待することは何ですか。
  
 今の時代に求められる、苦しむ人々への“寄り添い方”を形にしてほしいと思います。例えば、もっと各地域の会館を、一般に開放してほしいですね。防犯等の面から課題もあるかと思いますが、家庭に居場所がない子や不登校の子どもたちを地域で受け入れられる場所にできるのではないかと考えています。
 実際、創価学会の青年部の方々と関わる中で、そうした場面を見てきました。以前、知り合った学会員の方で、共に視覚障がいがある夫妻がいらっしゃいました。整体の仕事をされているのですが、ある時、里親として女の子を迎えられたんです。しかし、娘さんが小学校、中学校と進学するうちに、両親の目が見えないことでいじめに遭い、それから彼女は非行に走るようになりました。私も何度かご両親から相談を受けましたが、その娘さんを励ましてくれたのは、創価学会青年部のメンバーたちでした。話を聞き、勉強もみてくれ、彼女は再び学校へ行くようになりました。学会には、本当に心ある青年がたくさんいる。会館へ行けば、地域の青年部のお兄さん、お姉さんが悩みを聞いてくれたり、勉強をみてくれたりする――そんな場所が実現できたら良いと思っています。
  
 ――水谷さんにとって「教育」とは、どのように言い表せるものでしょうか。
  
 私にとっての教育は“育む”ことです。100人の子どもがいたら、それぞれ100の未来があります。しかし、学校教育ではそれを画一化してランク付けしようとします。だから、ゆがみが生まれてしまうんです。私がこれまで絶対に使わなかった言葉は、「やればできる」と「頑張れ」です。「やればできる」って言われても、運動が得意な子、数学が得意な子、美的感覚に優れている子……。人には人の分がある。人間ですから、やってもできないことがあるのは当然です。それに、普段から頑張っていない子どもなんていません。多くの大人からの期待や、画一化された社会の中で生きること自体が、子どもたちにとっては大変なことです。
 子どもたちに、いろいろな可能性を提示しながら、生きるのに必要な知識を教えたり、人や本との出あいをつくったり、成長を手助けしたりするのが、教育の本質だと考えています。

子どもたちを取り巻く環境の変化

 ――『夜回り先生』初版から『新編 夜回り先生』発刊までの21年の間に、子どもたちを取り巻く環境はどのように変化したのでしょうか。
  
 『夜回り先生』を出版した2004年当時、非行犯罪における一番の問題は、暴走族でした。しかし現在、それらの問題は、市販薬の過剰摂取(オーバードーズ、OD)やリストカットといった心の病へと移り変わっています。
 現在はSNSが急速に普及し、直接集まらなくてもコミュニケーションが取れるようになりました。昔は、非行や犯罪といった“夜遊び”をするために「夜眠らない子」が多かった。今はSNS上のコミュニケーションで攻撃的な言葉にさらされたり、似た境遇の人だけが絶望を深め合う“負のコミュニティー”に取り込まれたりする。結果、自分の心がむしばまれて「夜眠れない子」に変化しています。
 さらにコロナ禍が、子どもたちに大きな影響を与えました。学校が休校になり、人知れず孤独を深める中で、インターネットの検索を通じて得た情報を深読みして心を病む。あるいは、間違った知識から市販薬を乱用してしまうことも加速したと感じています。

 ――私(スチューデントリポーター)の周りにも、そういった問題で悩んでいる友人がいます。相手に励ましを送りたいと思う一方で、相手と向き合うことに疲弊してしまう自分もいます。仲間のために、何ができるでしょうか。
  
 前提として、自分が相手のことを“救おう”と思わないことです。心の病には専門家がいます。専門機関を受診することを友人に勧めてあげてください。適切な処置を行うことが大切です。
 私の書籍やこの記事を読んで、何かしたいという意識を持ってくれたならば、まずは自分の家族のために何かをしてほしい。掃除や洗濯の手伝いなど、自分のできることからでいいんです。そうすればきっと、笑顔が返ってくるから。
 もう一つは、自分の周りを見渡して、本当に孤立して寂しそうな人がいたら、「どうしたの?」と、優しく声をかけてあげてほしい。優しさというものは、広がります。自分一人で“救わなければ”と思わず、そういう優しさを広げることが、仲間を救うことへとつながっていきます。
 私のもとには毎日、悩み苦しむ子どもたちから、メールが届きます。「死にたい」という内容も多い。その子たちに私は「人のために何かしてごらん。返ってくる優しさ、『ありがとう』の一言が、君の生きる力になるから」と伝えています。
 周りからは「水谷先生は大変な人生を送られていますね」とよく言われるけれど、こんな楽な人生はないと思っています。誰かのため、人のために生きるってものすごく楽なことなんです。だって、常に「子どものために何ができるか」を考えて、必死で動いているだけなんだから。それによって、どれだけ多くの「ありがとう」が返ってくることか。こんな幸せな人生はありません。いっぱい「ありがとう」をもらった人生が、一番素晴らしい人生になるんじゃないかな。「ありがとう」の数だけ、自分の明日も、相手の明日も希望に彩られる。その先に世界平和があると、私は思う。
 年齢的にも、自分が患っているがんのことから考えても、私の時代はもうすぐ終わると思います。「あなたが死んだらどうするのか」「後継者をつくらないのか」と言われることもありますが、私は“こうなろう”と思って、“夜回り先生”になったのではない。時代がそういう“先生”を必要としたから、その時に私がいただけであって、頑張っている“先生”は、たくさんいます。必ず時代が、次の人間をつくっていきます。
 自分のためだけでなく、人のために――そんな生き方を、若い人にはしてほしいです。

 みずたに・おさむ 1956年、横浜市生まれ。上智大学文学部哲学科を卒業後、1983年に横浜市立高校の教諭となる。2004年9月に退職。在職中から子どもたちの非行防止や薬物汚染防止を目的に、深夜の街を巡回する「夜回り」を続けてきたことから、「夜回り先生」と呼ばれるようになり、本年で35年を迎える。現在もメールや電話による相談に応じるほか、子ども食堂の支援や全国各地での講演活動を精力的に展開している。

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