信仰体験
〈Seikyo Gift〉 耳の障がいは私の強み〈信仰体験〉 2024年8月31日
【千葉県船橋市】ハキハキと、よくしゃべる。アイドルの推し活に夢中で、この前は有名アーティストの音楽ライブに行った坂本寧子さん(24)=華陽リーダー。人生をエンジョイしきっている――。だが、彼女の右耳は全く聞こえず、補聴器をつけた左耳も周囲の一番大きな音しか拾えない。「そんなん、気にしてられへん!」と自然体で語る寧子さんと話していると、みんな笑顔になる。
1999年(平成11年)、両親が育った関西の地で、寧子さんは生まれた。耳の入り口から鼓膜までの外耳道が生まれつきふさがっている「先天性外耳道閉鎖症」、そして耳の形が不完全に生まれる「小耳症」が、両耳で発症していると診断を受けた。
「覚えているのは、お母さんが、よく遊びに連れて行ってくれたことです」
母・弓子さん(57)=支部女性部長=は、動物園や水族館、ショッピングモールに大きな駅など、人が行き交う場所でいろんな音を聞かせた。寧子さんの思い出の中の母は、いつだって笑顔だった。
6歳で両耳に穴を開ける手術を受けた。左耳にわずかな聴力が確認された。ただ、生後半年からつけていたカチューシャ型の骨伝導補聴器は、少しでも位置がずれると相手の言葉が理解できない。兄姉が支えてくれた。兄・祐樹さん(30)=男子地区副リーダー=が付きっきりで勉強を見てくれ、姉・瞳さん(28)=華陽リーダー=が発音や音程を何度も教えてくれた。
そんな3きょうだいの姿が、母には、本紙で連載されていた小説『新・人間革命』第24巻「母の詩」の章と重なった。
障がいがある子を、姉妹が支えとなり共に進む様子がつづられ、師匠は、どんな子も「使命ある子」と訴えていた。
「まさに私たち家族への激励でした。いま目の前で、子どもたちが池田先生の言葉通りに振る舞ってくれている、と感じました」
ただ、寧子さんは「人の輪に入っていくのが、ずっと怖かったんです」と。大人数で話す時には、一番大きな音しか拾えない。友達が一人ずつ、ゆっくり話してくれるのも心苦しく、聞こえるふりをしてやり過ごした。
逆もあった。陰口は、聞こえても聞こえないふりをした。「耳は見られたくない」と、すっぽりと耳を覆うように、いつも髪を切ってもらう母にお願いした。
10歳で耳介の形成手術を行い、はた目からは耳の違和感に気付かれなくなっても、不安は拭えなかった。そんな胸の内を、両親には相談できなかった。心配をかけたくなかった。
転機は2018年、春。創価大学に入学し、マーチングバンド部「プライド・オブ・ソウカ」の演奏を見学した時のこと。約100人による、圧倒的な音のシャワー。一糸乱れぬ動き。全員の表情が自らを表現する輝きに満ちていた。
「めっちゃカッコエエやん!って。みんなで青春っていうのも“大学生”って感じで、憧れちゃいました(笑)」
寧子さんは、人の輪に飛び込んだ。朝練のために午前4時前に起き、創大に向かう生活が始まった。「“大変”よりも、楽しくて」
全国大会も経験し、2年生に上がるとパートリーダーに。しかし、責任者のプレッシャーは想像以上だった。
逃げ出したくなった時、部活のみんなで読み合った池田先生のエッセー「雪柳 光の王冠」が浮かんだ。
〈あなたが初めて声たてて笑った時、初めて歩いた時、どんなに両親は幸せでいっぱいになったか〉
創立者の言葉が「声」になって、体いっぱいに響いた。寧子さんは御本尊に向かった。両親を思った。
午前4時の出発に合わせて食卓におにぎりを並べ、帰れば「おかえり」と迎えてくれた母。大会や演奏会の際、必ず応援に駆けつけてくれた父・圭さん(56)=地区幹事(創価長〈ブロック長〉兼任)。
何よりも背中を押してくれたのは、一日たりとも欠かさずに、寧子さんの幸せを祈り続けてくれた両親の題目の音声だった。その音は、寧子さんの耳を通して、心の奥深くまで確かに届いた。感謝の涙があふれてくる。
“自分のためだけの部活じゃない。支えてくれた両親に「私は大丈夫」という気持ちを伝えるための舞台なんだ”
寧子さんは最後の演奏会で、動きやすいように長い髪を後ろで束ねた。両耳を出して、ソロパートを披露した。堂々たる音色は、会場の片隅で見守る両親の心を揺らした。
友情を育んだ4年間。池田先生を求め、仲間と語り合った。自分でも気付かなかった夢や希望を教えてくれた。「支えとなる声が心に届けば、どこまでも可能性は開けると学びました」
寧子さんは現在、介護施設で働いている。将来は、医療や福祉などの業界で相談支援業務を行うソーシャルワーカーとして働くことが目標だ。自分の「強み」がここにあると思い、進路を決めた。「周囲の人の理解と手助けのおかげで、今の私がいますから」
人との違いにとらわれ、また、周りへの気遣いから、心の奥底に隠した希望や夢が誰しもきっとある。だから私は、ホントの心の声を聞ける人を目指したい――そう語る寧子さんの声は、さわやかだった。
施設の利用者には、いろんな人がいる。誰に対してもムスッとしているおじいさんが、寧子さんには「ありがとう」と言ってくれた。「そんなことの一つ一つがうれしいんです」。傍らの母も、うれしそうに笑った。
温かな声に育まれた寧子さんが、今度は、誰かのために心を尽くしていく。(6月16日付)