企画・連載

【創価学園NAVI】 卒業生の友情物語――私たち僕たちの青春は学園にある 2023年3月23日

 今月16日、東西の創価学園で卒業式が晴れやかに行われた。創立者の池田先生は、「コロナ禍をはじめ、かつてない試練を凜然と勝ち越えてくれた、わが卒業生の皆さん、誉れ高き凱歌の門出、誠におめでとう!」とメッセージを贈り、卒業生を祝福した。今回の「創価学園NAVI」は「友情物語」と題して、コロナ禍の中、青春の絆を結んだ、東西学園の卒業生たちのドラマを紹介する。

●東京・創価高校 “姉妹”のような友に出会えた

 “やっとクラスメートに会える”――2020年6月、林杏珠さんは期待と不安を胸に、中東・ドバイの空港にいた。コロナ禍によるオンライン授業期間を終えて、創価高校の下宿に入るためである。
 
 林さんは父の仕事の関係で、これまでドバイで暮らしてきた。創価学園に通う兄が人間的な成長を果たす姿に触れて志望した。日常生活では英語で会話する林さんは、中学2年から日本語を学び直し、受験勉強に挑戦。創価高校の合格を勝ち取った。

 しかし喜びもつかの間、新型コロナの感染が拡大。20年3月、日本全国の小・中学、高校で一斉休校が実施されると、創価高校の入学式もオンラインに。その後も約2カ月にわたりオンライン授業が続いた。通常登校が開始されたのは、7月のことだった。
 
 初めての登校日。緊張する林さんにクラスメートは皆、気さくに声をかけてくれた。
 
 しかし学校生活が始まると、慣れない日本語での授業、気候や食事の違いなどに悩んだ。気にかけてくれる教員や同級生の真心がありがたい半面、どうしても素直になれなかった。
 
 “いっそのこと、一人でいたほうが、みんなに迷惑をかけず、楽なんじゃないか”
 
 そう思い始めた時、「話を聞いてくれない?」と同じ下宿に住む中野渡円さんから悩みを打ち明けられた。

 快活な中野渡さんの日頃見せない一面に驚きつつも、“思っていることを素直に話してもいいのかも”と。そして林さんも、教科書の漢字が読めないこと、日本の歴史の授業が分からないことなど、初めて悩みを話した。
 
 以来、2人は一緒に漢字や日本史の勉強をした。何度も励ましの手紙も送り合った。
 
 林さんは振り返る。
 
 「いつしか、学園がどんなことでも共有し、励まし合える“私の安全地帯”になっていました。そう気付くと、多くの友達をつくれるようになったんです」
 
 林さんにとってもう一人、大切な友達ができた。同じ下宿生の郁天華さんである。

 2人は共に海外の大学を志し、切磋琢磨して学んだ仲間だ。一緒に1日の勉強の目標を立て、下宿の一室で学習した。
 
 郁さんは語る。
 
 「一緒に学んだ日々は宝物です。しかし、私は途中で進路に悩み、最終的に志望を日本の大学に変更したんです」
 
 林さんは、郁さんの複雑な気持ちを受け止めた。共に努力してきた分、どんな思いで決断したのか、痛いほど分かったのだ。郁さんも夢を託すように、林さんの受験勉強を応援し続けた。

 本年2月、林さんは、オーストラリアのニューサウスウェールズ大学など、3校の海外大学の合格を勝ち取った。郁さんが自分のことのように喜んでくれたことが一番うれしかったという。
 
 卒業を2日後に控えた放課後、林さん、中野渡さん、郁さんの3人が校内で談笑していた。いつも自然と集まり、たわいもない話で盛り上がった3人だ。

 「3人とも同じクラスに一度もなっていないのに、何でも話し合えるのって、不思議だね」と郁さんが言うと、中野渡さんは「クラスどころか、地元も全く違う! 私は北海道、天華は鹿児島、そして……ドバイ!」と笑う。
 
 林さんは「姉妹のような友達に出会えるなんて、思ってもみなかった。離れても、一生涯、つながり続けるんだろうなって思うよね!」と。
 
 3人の笑顔が一層、輝いた。

●関西創価高校 仲間を思うと何倍も力が出る

 関西創価高校の硬式野球部は昨年の夏、全国高校野球選手権大会の大阪大会で準決勝に進出。全国屈指の激戦区でノーシードから6勝し、6年ぶりのベスト4に輝いた。
 
 主将を務めた崎坂俊介さんは語る。

 「同期の20人が誰一人欠けることなく、団結して、勝ち取った結果です。特に廣田がいなければ、この歴史を刻めなかったと思います」
 
 ――昨年の6月、夏直前の練習試合。関西創価は、勝てるはずの試合に敗れた。ほんの少しのミスが原因だった。試合後、チームの集まりで、最初に口を開いたのは、レギュラー選手でなく、控え選手でもない“ベンチ外”の廣田正樹さんだった。
 
 「俺はずっと見てきたから、みんながもっとできるって分かる。もう情けない試合すんのやめようや!」
 
 おえつしながらの訴えだった。
 
 廣田さんは入部してからの約2年半、いつも朝早くグラウンドに来て、練習した。勉強にも励み、委員会の活動などにも率先して取り組んだ。

 “甲子園出場を果たして、創立者や支えてくれた家族に喜んでもらいたい”と全てに挑戦した。
 
 しかし、廣田さんは悩んだ。どれだけ練習しても、実力が追いつかない。
 
 悔しい。情けない。それでも“絶対に負けない”と必死で、もがいた。
 
 その努力を部員全員が知っていた。だからこそ、廣田さんの“涙の訴え”は、皆の心に響いた。
 
 2年からレギュラーだった橘脩耶さんは振り返る。

 「廣田が叫んでくれた時、皆が“絶対、変わりたい!”と思ったんです。それ以降、練習で少しでもミスがあれば、その場で集まり、皆でみっちり確認し合っていったんです」
 
 そして、怒濤の快進撃が始まる。

 大阪大会の初戦は、プロ注目のピッチャーが所属する強豪校との試合。八回に勝ち越し、九回表に3点を加え、5対1で勝利した。
 
 勢いに乗った関西創価は次々と勝ち上がり、準決勝へ。対戦相手は全国制覇の経験もある履正社高校。2点を許すが、六回裏、崎坂さんの執念のヒットで同点に。橘さんも二塁手として好守を見せる。廣田さんは観客席から懸命に応援した。
 
 結果は2対3。あと一歩届かなかったものの、試合後、同期全員で固く抱き合い、健闘をたたえた。
 
 夏を終えた後も、部員たちはそれぞれの場所で、勉強や委員会活動など、学園建設に励んだ。

 崎坂さんと橘さんは語る。
 
 「引退後、燃え尽きるかなって思ったんですが、廣田は一生懸命、練習に励みながら、2年の終わりから生徒会長を務めてて」「“こりゃ、俺たちももっと学校に貢献していかな”ってね(笑)」
 
 廣田さんも野球部の仲間の存在が、原動力になっていた。コロナ禍で練習時間が制限される中、皆がそれぞれ努力を重ねる姿を、廣田さんはじっと見てきた。その姿に勇気が湧いた。
 
 廣田さんは目を輝かせる。

 「友を思えば、自分では思ってもみない何倍もの力が出ることを知りました。これから、この仲間で野球をする機会は少なくなってしまうけれど、結んだ同期の絆を大切にして、もっと友情を広げながら、野球部で学んだ“どんな時も諦めない生き方”を貫いていきます」

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