企画・連載

〈ストーリーズ 師弟が紡ぐ広布史〉第33回 創価学会は校舎なき総合大学 御書編⑤ 2023年6月25日

師弟の重書

 「700年間、誰もされなかった甚深の生命哲学を講義する」――池田大作先生の言葉を、その場に集った男女学生部のメンバー40数人は、真剣な眼差しで心に刻んだ。1962年8月31日、先生は学生部に「御義口伝」の講義を開始した。
 「御義口伝」は、日蓮大聖人が末法の御本仏としての境地から、法華経を自在に講義された言々句々を、日興上人が筆録した“師弟の重書”と伝えられている。
 池田先生は、「この“師弟一体”の口伝書は、戸田先生と私にとっても、ことに思い出の深い御書である」と記している。恩師のもとで、池田先生が教学を学び始めた時、最初に取り組んだのが「御義口伝」であった。
 講義が開始された62年の1月、先生は4年半、84回に及ぶ公判を経て、大阪事件の無罪判決を勝ち取る。権力の迫害から民衆を守る指導者の育成、さらには社会の各分野で活躍する人材の輩出は、広布の未来を展望する上で、重要な焦点の一つだった。
 また、この年、学生部は部員数が1万人を突破。その報告を受けると先生は、「私が直接、学生部を本格的に訓練していこう」と語り、まず学生部との語らいの場を持った。
 2回の懇談で、学生部から御書講義の要望が出された。先生は「御書を拝して、日蓮大聖人の仏法の奥底を究めていかなければ、学生部の存在価値はない」と述べ、「御義口伝」講義を行うことにしたのである。
 「日蓮大聖人の仏法の奥底」――それは、「師弟」である。先生の講義は学生部に対して、師弟の大切さを繰り返し強調し、全人格をかけて仏法の実践を促すものだった。

理念と実践は一体

 講義は受講生が御文を拝読、通解し、研究発表を行った後、先生が講義するという形で進められた。最初の講義の時、「御義口伝」の冒頭を拝読したメンバーの声が弱々しかった。先生は厳しい口調で語った。
 「あまりにも安直な読み方です。御書を拝読する場合は、まず“真実、真実、全くその通りでございます”との深い思いで、すなわち、信心で拝し、信心で求め、信心で受けとめていこうとすることが大事です」
 「御書は、身口意の三業で拝していかなければならない。御書に仰せの通りに生き抜こうと決意し、人にも語り、実践し抜いていくことです。理念と実践とは、一体でなければならない」
 最初の講義を終えた日の夜から、先生は『妙法蓮華経並開結』に、揮毫をしたため始めた。受講生に贈るためである。表紙をめくると、「贈呈」との文字と日付が記されていた。さらに、受講生の名も書いてある。
 ある日、数人の受講生が、同書を見せ合った。すると、日付が異なっていることに気付いた。先生は激務の合間を縫って、何日もかけて、揮毫をしたためていた。
 師の慈愛を研さんへの情熱に変え、受講生たちは千載一遇の機会に真剣勝負で臨んだ。

嫡々の弟子

 「御義口伝」講義の折、池田先生は質問の時間を設けた。1回目の講義では、20ほどの質問を受けている。受講生だった松山久夫さんは、この時、日ごろから疑問に思っていたことを思い切って質問した。
 「御義口伝」の冒頭に、「色心不二なるを一極と云うなり」(新984・全708)とある。
 「本日の講義で、肉体と精神は一体であり、色心不二であることは分かりましたが、死後の生命の場合、色心不二については、どのように考えればよろしいのでしょうか」
 先生は、松山さんに答えた。
 「死の問題をどうとらえるかは、極めて大事なテーマです。私も、特に会長に就任してから、死後の生命について、御書に照らし、経文に照らして、一生懸命に思索してきました」
 「この問題は理論的に理解するというより、信心によって、生命で実感していくことです」
 そして、こう続けた。
 「私も、この問題については、これからさらに深めていきます。一緒に二人で勉強し、研究していこう」
 一人の青年を、どこまでも信じ、期待を寄せる師の慈愛の言葉に、感動が松山さんの全身を貫いた。
 松山さんが入会したのは、1958年9月3日、大学1年生の時。生来の気の弱さや吃音の克服を願い、先に信心を始めていた母に続いた。
 東京・国分寺市の下宿に御本尊を御安置し、“やるからには、中途半端ではなく、徹底してやろう”と決めた。「1日1人の対話」を目標に、毎日、仏法対話に駆けた。
 その中で入会したのが、後に妻となる八洲子さん。八洲子さんも「御義口伝」講義を受講している。
 広宣流布に青春を懸けて1年が過ぎた頃、松山さんは初めて池田先生との出会いを結んだ。「私の頭の中は“どうやって広宣流布を進めるか”という知恵の嵐が吹き荒れている。共に正義の戦いをやろう」との激励を受けたことは、今も胸に鮮やかだ。
 大学卒業後、聖教新聞社に勤務。英語版機関誌「セイキョウ・タイムズ」の編集作業などに携わった。また、海外総局(当時)などでも重責を担い、師と共に「正義の戦い」に駆けた。
 73年、先生は編年体御書に揮毫をしたため、松山さん夫妻に贈った。そこには、こう記されていた。
 「創価学会 嫡々の弟子に 此の一書の弘教を託する也」
 師の入魂の激励から今年50星霜。この半世紀、「嫡々の弟子」であろうとする自分自身であるかを問いながら、師弟一筋の大道を真っすぐに進んできた。その誓願の歩みを、松山さん夫妻は続ける。

庶民と共に歩む労働者であれ

 1962年10月22日、2回目の「御義口伝」講義が行われた。「序品七箇の大事」の「第一『如是我聞』の事」から「第三『阿闍世王』の事」まで進められた。
 「第二『阿若憍陳如』の事」には、「煩悩の薪を焼いて、菩提の慧火現前するなり」(新987・全710)と仰せだ。池田先生は強調した。
 「これまで仏法では、煩悩を否定しているかのように捉えられてきた。しかし、ここでは、その煩悩を燃やしていく中に、仏の悟り、智慧が現れると言われている」
 「煩悩をバネにして、幸福を確立していくのが大聖人の仏法です。煩悩を断ずる必要は絶対にない」
 「学生が立派な成績を欲することも煩悩である。一生成仏を願うこともまた、立派な煩悩である」
 「さらに、“日本の国を救いたい。世界を平和にしたい”という念願も立派な大煩悩といえよう」
 この講義に、松内早智子さんは衝撃にも似た感動を覚えた。「煩悩」とは「低次元のもの」と考えていた。その見方が180度変わった。
 関西の大学に学んでいた松内さんは、大阪の地から参加した。2回目の講義終了後、帰りの鈍行列車の中で、関西の受講生と、「大煩悩とは何か」をテーマに、深夜まで語り合ったことは、青春時代の信心の思い出だ。
 講義を終えると、先生は受講生に「おなかはすいてないかい」「健康には注意するんだよ」など、こまやかな配慮を重ねた。その真心に、松内さんはいつも胸を熱くした。
 65年5月3日、「御義口伝」講義の受講生44人に修了証書が授与された。それから8年が経過した73年、受講生の大会が開かれた。
 その集いは、75年までの間に計6回開かれ、池田先生は5回出席した。5回目の時、先生は信頼する受講生に率直に語った。
 「学会が大変な時、難を受けた時、最も苦しい時に批判したり、愚痴をこぼしたり、惰弱な評論のみに終始するような卑怯な青年には、断じてなってはならない」
 さらに、“どこまでも学会員を最大限に守り、弘教拡大に徹しながら、広布の未来を頼む”“学会と共に進む不退転の勇者たれ”と訴えた。
 この厳愛の指導は、松内さんの人生の指針となった。“いかなる難が競い起ころうとも、池田先生と共に、学会と共に、同志と共に”――変わらぬ心で、地域の友と信心の喜びを語り合っている。
  
 池田先生は「御義口伝」講義の受講生に対する思いを、こう記している。
 「私は、ひとまず学歴にまつわるいっさいの装いを取り去り、なおその奥に光る人間の育成を試みることから始めた」
 「彼らにつねに言うことは、庶民と共に歩む労働者であれ、ということであった」
 63年、学生部は2万人を達成。「御義口伝」講義には、新たに誕生した部長も参加することに。先生は、最初からの受講生を「1期生」、途中から参加した友はユーモアを込めて「1・5期生」と呼んだ。
 同年7月29日、「1・5期生」が加わっての講義が開始された。
 (以下、次号に続く)

【引用・参考文献】『新・人間革命』第6巻、『私の履歴書』(聖教新聞社)

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