企画・連載

〈青年想Ⅱ〉第9回 心を動かすものとは何か 2024年2月4日

北海道・札幌音楽隊隊長 川島健法
豊かな境涯から発する音声で

 創価の哲学や生き方が社会にどんな価値をもたらし、いかなる意味を持つかを青年世代が訴える「青年想Ⅱ」。今回は、北海道音楽隊の書記長で、札幌音楽隊の隊長を務める川島健法さんが「心を動かすものとは何か」をテーマにつづりました。
  

なぜ? どうして?

 幼い頃からの私を知る札幌市東区の創価家族の中には、「ずっと素直に信心をしてきた」印象を抱いている方々が多いと思う。けれどそれは、私が内気なだけで、“心の声”を口にできないだけだったからかもしれない。
  
 両親から勧められるまま勤行はしていたし、未来部の会合にも誘われれば参加していた。しかし心の中にはモヤモヤが日に日に募っていたのである。“なぜ、勤行しなければいけないんだろう”“どうして、会合に行かなければならないんだろう”――と。だがその言葉を、私は胸の奥に沈めていた。
  

  
 「信心で戦う時だ」。この言葉を父と母が振り絞るように幾たびも口にしていたのは、私が中学生の頃。父が営むオートバイの販売店が苦境に陥り、多額の借金を背負った時である。長男の私をはじめ育ち盛りの3人の子どもを抱えた両親の苦悩は、いかばかりだったか。
  
 ところが当時の私は、朝な夕なに仏間から聞こえてくる両親の唱題の声にも、モヤモヤを一層、募らせていた。“幸せになれる信心のはずなのに、なぜ?”と。さらに、親友と仲違いをして人間不信に陥ったことも重なり、“勤行してきたのに、この結果かよ!”と不満をためこんでいたことも関係していただろう。
  
 かといって両親から信心を強制された記憶はない。二人とも“親の背中を見せて伝えよう”としていたのだと思う。父は北海道の元音楽隊長。休日は広大な道内を同志の激励に駆けつつ、仕事にも一歩も引かない。“よくやるなあ”と感じていたのも確かである。地域の創価家族も、温かい人ばかり。もしもあの頃、私の心の中に充満していた“なぜ”“どうして”を両親や誰かにぶつけていたら、ちゃんと向き合ってくれたに違いない。
  

理屈ではない

 自分の本音をうまく表現できない私が、夢中になったものがある。トランペットだ。高校の吹奏楽部に入り、その千変万化の音色のとりこになった。放課後の部室に、初心者ゆえの“かすれた音”が連日響く。帰宅をすると、わが家の宿命転換をかけて御本尊に向かう両親の唱題の声を背中に受けながら、私は居間でテレビを見ていた。
  
 父はバイク本体の販売から、タイヤなど消耗部品をメインに扱う業態へと舵を切った。雪の多い北海道では、長い冬を迎えるとオートバイの利用を控える人が増えるため、バイクはほとんど売れなくなる。一方で、この間にこそメンテナンスに時間をかける愛好者は少なくない。父は祈りを重ねる中で「冬将軍を味方にしてみせる!」と覚悟を決めたという。私は高校卒業後、父のもとで働くようになった。
  
 「大好きなトランペットは続けていきたい」。その願いをかなえてくれる場所があった。創価学会の音楽隊である。学会の先輩に誘われるまま入隊した。正直に言うと、信心は二の次。そんな私の心根も、分かった上だったのだろう。先輩たちの関わりには、厳とした中にも“この人たちは、何があっても自分を信じ続けてくれるんだろうな”と思わせる温かさがあった。先輩たちの指導のもと、トランペットのベル(音の出口)から生まれる音が、日に日に豊かになっていく確かな手応えもあった。
  

  
 時を同じく親身に関わってくれた男子部の人がいる。地区リーダーの先輩だ。足しげく私の家に通ってくれた。私が露骨に面倒くさそうなそぶりを見せても、いつも変わらぬその笑顔。行く宛てのないドライブに連れ出してくれては「実は僕も未来部時代はね……」と、赤裸々に体験を話してくれる飾らない人柄。苦労もたくさん重ねてきたらしい。私も次第に、胸のうちにとどめてきた“心の声”を、先輩に少しずつ打ち明けるようになっていた。
  
 働き始めて4年目に、事故は起こった。バイクのタイヤの整備中、自分の不注意が原因で、利き手である右手の人さし指をチェーンとギアの間に挟んでしまったのである。治療したものの第1関節から先を欠損。トランペット奏者にとっては致命的だ。けがの痛みと胸の痛み。“勤行も少しはしていたのに!”と、怒りさえ湧いてくる。
  
 真っ先に駆けつけてくれたのが、地区リーダーの先輩だった。「痛いだろう。つらいだろう……けれど、もしかしたら全部の指がなくなっていたかもしれない。これは『転重軽受(重きを転じて軽く受く)』なんだよ。むしろこの苦難を乗り越えて、たくさんの人を励ましていく使命があるんだよ」。そして先輩は、ハッキリと言葉を継いだ。「信心で戦う時だ」
  
 幼い頃からわが家で、学会の庭で、何度も聞いてきたはずの、その一言。だがこの時ほど、心のひだに染み込んだことはなかった。理屈ではない。その声の響きによって、私の心の何かが動いたのだ。先輩は私の隣に座り、一緒に唱題を重ねてくれた。何時間たった頃だろう。目にあふれてくるものがあった。私が発心した瞬間だった。
  

妙音菩薩のドラマ

 音楽隊を通して「妙音」という言葉を何度、耳にしただろう。法華経に登場する菩薩の名前である。金・銀など七つの宝に彩られた台に乗り、天の音楽を響かせながら娑婆世界に現れる。実はこの「妙音」、元のサンスクリット語の意味の一つは“聞きづらい”声の人だという。それがなぜ“妙音”の人になったのか。経文にその説明はない。だが、「そこには一個の『人間革命のドラマ』があったのではないだろうか」と推察されたのが池田先生であることを、先輩から教えてもらった。
  
 推察の背景は、法華経の妙音菩薩品第二十四に説かれる妙音菩薩の過去世にある。仏に十万種の伎楽(舞踊と音楽)、そして八万四千もの七宝の鉢を供養した功徳によって妙音菩薩として生まれ、多彩な神通力や福徳を具えることができたという。日蓮大聖人は、この「八万四千」とは「八万四千の塵労」(新1078・全775)と仰せだ。八万四千もの塵労とは、ありとあらゆる苦労を指す。
  

  
 池田先生は語られた。「妙音菩薩も、苦しみと戦い、戦い、また戦って、題目を唱え、人間革命したのです」。その戦い、その境涯から生まれた「友を励ます『真心の声』。それが『妙音』です。人の心を揺さぶる『確信の言葉』。それが『妙音』です」と。
  
 ああ、だからか。学会活動の中で実感してきたことに合点がいった。人が信心に抱く“なぜ?”といった疑問、思わぬ苦難に直面した時に湧く“どうして?”という不審……それらに対して道理や法理の上から、言葉を尽くして語ることはもちろん、大事だろう。しかし最後は「心」なんだ。たとえ疑問や不審の念が頭にあっても、心こそ大切なんだ。
  
 「心は心でしか、温めることはできない」と先生は教えてくださった。「心から発する声」を響かせる同志が、学会には無数にいる。音楽隊には、心で打ち、心で吹き、心で歌う仲間が大勢いる。「この人たちのように生きたい」。それこそ、私が本気で信心しようと決めた理由だったのだ。
  

意味あるものにする

 右手の欠損した人さし指でトランペットを吹き続けること20年。「勝つとは 深き祈りと 人の三倍 努力することだ」――池田先生が北海道青年部に贈ってくださったこの指針に、どれほど支えられたか分からない。音楽隊として「勇気を届けよう」との思いで道内各地の会合に出動をさせていただくたび、宿命の嵐と戦いながら広布に走る同志の姿に、私自身がどれほど勇気をもらってきただろう。
  
 昨年9月、北海道吹奏楽コンクール「職場・一般小編成の部」に、私の所属する札幌吹奏楽団は臨んだ。選んだ演奏曲は「古都――四季の彩り」(八木澤教司作曲)。「人間革命のドラマ」の意味をこの曲に重ね、練習に励んできたのである。
  

  
 自然に春夏秋冬の四季があるように、人生にも四季がある。試練の冬に耐えてこそ、勝利の春を迎えた生命は妙音を響かせることができる――結果は、5年ぶりの金賞! 前年に全道大会出場を逃した悔しさを越え、全員の力でつかんだ栄冠だった。
  

  
 父と共に営む店舗は、購入層を全国に拡大。一家で経済革命を成し遂げた。父は、その経験を通して多くの同志を励ましている。今なら、両親が「信心で戦う時だ」と語った理由が分かる。苦難を乗り越えるためだけではなく、全てを“意味あるもの”にするために、信心で戦うのだ。私自身、音楽隊の未来部員と接する上で、また区の未来部長として活動する中で、かつての自分の体験に意味を見いだす日々に、大きな功徳を感じてならない。
  
 私も、2人の子を持つ親になった。長男は札幌創価幼稚園の年長生。次男は今春から同園に入園する。この子たち、そしてわが地域の未来部員の心にどれだけ「温かな声」「確信の声」という豊かな“妙音の響き”を、届けていけるか。これもまた、私にとっての「信心の戦い」である。
  

  
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