信仰体験

〈信仰体験〉 “学校に行けない”と向き合う――フリースクールなど4施設を運営 2023年9月27日

「不登校は不幸じゃない。成長のチャンスです」

 【広島市安佐北区】子どもが不登校だという一人の母親が、坂本康子さん(64)=区副女性部長=のもとへ相談に訪れた。優しいまなざしを向け、確信をもって伝える。「今は大変だと思うけれど、必ず変わります!」。学習塾、通信制高校のサポート校、放課後等デイサービス、そしてフリースクール。四つの施設を、夫・哲也さん(64)=副支部長=と運営している。「子どもの未来を預かる」教育の道。その誇りを胸に歩んできた。

 坂本さん夫婦の一日は、目まぐるしい。日中はサポート校と、3年前に開校したフリースクール「ぱれっと」で子どもたちを受け入れる。夕刻には、放課後等デイサービス「まなびの家」で療育やレクリエーションを行い、その後は「さかもと学習塾」での授業も。
 発達障がいがある子、特定の場面で話すことができなくなる場面緘黙がある子、いじめを機に学校に行けなくなった子……いわゆる“普通”とされる生活の生きづらさや、暴力に悩む子どもたちと過ごす日々だ。

 「抱える事情は、10人いれば10通り。同じなのは、周囲の視線によって自信をなくしていることです。ここでは、自分でいていい。周りと違っていても、それは少しも“間違い”じゃないことを、子どもたちにも、保護者にも伝えたい」

 教育に歩む原点は、保育士だった女子部(当時)時代にある。
 1991年(平成3年)、広島を訪れた池田先生との出会いが。そこで「大人は己なし」という荘子の言葉で、坂本さんたちに励ましを。自分でなく子どもたちのために、教育という事業に生き抜こうと誓った。

 その後、自宅で塾を営んでいた哲也さんと結婚。哲也さん自身、教員の時に心の不調で休職した経験から、学校に行けなくなった子どもたちを積極的に受け入れていた。それは勉強だけでなく、それぞれの事情でひしゃげてしまった心と向き合う作業でもあった。

 現在、発達障がいやHSP(ハイリー・センシティブ・パーソンの略。人一倍、繊細な気質の人)、ギフテッド(平均より著しく高い知能)などの多様なパーソナリティーが認められるようになり、不登校の形も、より複雑になっている。もとの学校や保護者ともコミュニケーションを取りながら、どう繊細に揺れ動く心を開き、子どもたちの生き方を後押しできるか。「決まった正解は、ありません。とにかく一人と向き合うしかない」。だが、これだけは心から言い切れる。

 「不登校は不幸じゃない。むしろ成長のチャンスです。自分の“どん底”を知っている子は、芯のある強い人になります」――そう実感するのは、一人の母としても、不登校と向き合ったからだ。

 次女の和美さん(24)=華陽リーダー=は、小学4年のある日を境に、学校へ行けなくなった。初めは事実を受け止められなかった。声をかけても、布団をかぶったまま出てこようとしない。焦りが募った。

 「甘やかしたんじゃない?」「逆に厳しすぎたとか」。周囲からは、そんなささやきが聞こえてくる。
 成績、将来……不安で気がささくれ立ち、「どうしたら行ってくれるの!」と、言葉にトゲが出てしまう。
 「あした行く」。時として和美さんの声にほっとしたかと思うと、次の日、「やっぱ行かない」と。心は余計に沈み、腹さえ立った。「もう行かなくていい」。力なく坂本さんが言うと、「本当は行ってほしいんでしょ」。心を見透かされた気がして、言葉が続かなかった。

 「仕事に家事、学会活動……自分の頭の中もグッチャグチャ。“祈っても何も変わらない”。正直そんなふうにも思って」。哲也さんや地域の同志の励ましさえ、雑音に聞こえたこともあった。
 「そもそも和ちゃんって、何も悪いことしてないよね」。それは和美さんが小学6年の頃、不登校の子を持つママ友の一言だった。
 “ストン”と腑に落ちた。それまで、学校に行かせることが“正しい”と考えていた。「でも学校に行ってなくても、本人なりに何かを見て進もうとしてるんじゃないかって」。以前、和美さんは学校で教師が怒鳴るのが怖くて、行けなくなったことを話してくれていた。それでも、どこかで娘を思い通りにしようとしていた自分に気付く。

 “不安なのは、私以上にあの子なんだ。今がどうでも、彼女にとって最善の方向に進むように祈ることはできる”。学校に行ってとも、行かなくていいとも言わない――信じて待つと決め、「おはよう」に始まり、「おやすみ」で終わる当たり前の日常を重ねていった。

 「私、行ってみる」
 和美さんは、中学2年から再び学校へ。県内の公立高校にも進学。気分転換に、坂本さんが管理者に就いた「まなびの家」も手伝うように。子どもとのやりとりを、楽しげに話すことが増えていった。そしてある日、少しはにかんで言った。
 「お母さんの仕事、私もやりたい」

 専門学校で保育士の資格を取得した和美さんは、今年から施設の正式なスタッフに。子どもたちの笑顔を引き出す姿に「学校に行けない子の気持ちは、私よりずっと分かる」と、母は頼もしく思う。
 「和美を見て、不登校は自分をさらけ出した“主張”なんだって。彼らは人一倍、自分と向き合っています」
 大人の役割は、その子たちの見ている景色を知り、答えにたどり着く時間を尊重すること。そのために、「自分も教わる対等な立場として、子どもたちと対話するんです」。

 何が好きで、何が嫌で、今どうしたいのか――心の奥に隠れてしまった素直な気持ちを、褒めたり、ぶつかったりしながら、キャッチボールのように言葉を重ね一緒に探す。施設を巣立っていく子には、「何かあってもなくても、いつでも帰っておいで」と送り出してきた。分かってくれる人がいる。その安心が、すくんだ足を再び進めると信じ、坂本さんは見守り続ける。

 「不登校でよかったよ」
 そんな言葉を、ある子は言ってくれた。「学校に行けなかった時期は、汚点でも“黒歴史”でもない。“ホンネでいられた”って胸を張ってほしい」
 そんな坂本さんのもとには連日のように、“OB”“OG”から進学や就職を知らせるうれしい報告が。恩返しがしたいと、ボランティアで施設を手伝ってくれる子もいる。
 彼らの歩む未来に、希望を見いだす。心強さを背に感じながら、目の前の子どもたちに語りかける。
 「つらい思いをしたあなたたちこそが、社会を変えていける!」

 現在、不登校の小中学生は、国内で24万人以上。高校生も5万人以上とされる。自治体、学校、保護者、地域など大人が立場を超え、団結しなくてはならないと、坂本さんは痛感する。子どもにそなわる“伸びたい”という気持ちを見つめ育む社会のために。

 「政治でも経済でもない。教育の深さが、社会の未来を決める。そして教育こそが、子どもたちの幸福の礎になる」と、池田先生はつづった。
 “生まれてきてよかった”――心からそう思える居場所。その実現のために、子どもたちが体全部で示す“サイン”と、きょうもぶつかっていく。