信仰体験

〈Seikyo Gift〉 子宮頸がんを乗り越え、リンパ浮腫と闘う美容師〈生きるよろこび 信仰体験〉 2025年11月29日

幸せは自分の中にある

 【茨城県牛久市】あかね色の夕空が、夏の名残を浮かべる。美容師の加藤由香さん(52)=支部女性部長=は、店の明かりを落とすと、母と並んでウオーキングを楽しむ。草むらの虫が弦を弾き、マリーゴールドが風に身を揺らす。ありふれた景色がいとおしい。群青へと移ろう空の下、加藤さんは「歩く喜び」を踏み締める。(9月23日付)

 28歳の春だった。車で遠出をしていた時、突然、腹部の激痛に襲われた。トイレに駆け込むと、おびただしい出血。大学病院で精密検査を受けた結果は、ステージ3の子宮頸がんだった。
 自宅に帰り、病院で書き取ったメモを開く。〈5年生存率は17%以下〉。マラソンが趣味で健康一色だった人生に、不吉な死の色が浮かび上がった。
 父母に心配をかけまいと明るく振る舞っていたが、自分の部屋で一人になると涙が止まらなかった。
 私、死んじゃうのかな……。
 「どこでもいいから逃げ出したくなった」
 
 そんな時、病と闘う祖母を訪ねた。病室に置かれたノートには、題目の記録がびっしり。「祈りのかなわないことは、絶対にないんよ」。祖母の確信に引っ張られるように、加藤さんも題目で恐怖を押し返した。
 隣で一緒に祈ってくれた母・悦子さん(78)=地区副女性部長=や同志、手術前には未入会の父も手を合わせてくれた。「みんなの題目が、私を抱き締めてくれた」

 2001年(平成13年)6月、13時間に及ぶ広汎子宮全摘出術を受けた。子宮と左側の卵巣、そけい部にあるリンパ節を切除した。
 手術は成功し、また母と並んで美容室でハサミを握ることができた。5年後には寛解を迎えた。しかし、病魔は形を変えて、執拗に追いかけてきた。
 リンパ節を切除した影響で、浮腫の症状が現れた。
 片脚10キロずつ増えた脚は、「まるでゾウのよう」。足の裏も腫れ上がり、バランスを崩して体中にあざをつくった。
 スカートをはかなくなった。ズボンも大きいサイズの専門店を訪ねたが、4Lでも脚が通らず、何も買わぬまま店を後にする。好きだったオシャレを遠ざけるようになった。
 体温調節もうまく働かなくなり、40度以上の発熱に悩まされ、入退院を繰り返した。理学療法を根気よく続けたが、たいした効果は得られなかった。

●見えない幸せを探して

 むしばまれる体も苦しかったが、それ以上に心が泣いていた。
 小学生の頃、文集に「普通のお母さんになりたい」とつづった。手術台に上る時、もう子どもは望めないと覚悟を決めた。それでも同級生に子どもが生まれ、幸せそうなママのほほ笑みを見ると、おなかの手術痕がキリリと痛む。一度は結ばれた伴侶も去っていった。
 加藤さんは、自分の人生に幸せを求めるのをやめた。
 
 ある時、華冠グループ(美容関係に携わる女子部〈当時〉の集い)の会合で闘病の体験を語った。
 その日、池田先生から伝言が届いた。“幸せになりなさい”との一言だった。
 当時は、幸せが何かも、もう分からなかった。それでも池田先生の言葉を抱き締め、その意味を探した。

 同志の家へ激励に訪ねる。玄関先で脚のむくみがひどくなり、車に戻る頃には、フェンスにしがみつきながら一歩を踏み出すのがやっとだった。それでも同志の元へ足を運んだ。
 「臨終只今」の言葉をかみ締める。
 この脚で立てるのは今日が最後かもしれない。この人に会いに行けるのは、今日が最後になるかもしれない。
 だったら今日を大切に、悔いなく生きよう。そう決めて歩みを進めた。
 体はボロボロ。でも心は晴れやかだった。苦悩する同志が、信心で宿命を打ち破り、とっておきのスマイルを見せてくれる。「これが私の幸せなんだ」と気付くことができた。
 
 ある時、髪を短くしたいと美容室を訪れた若い女性が、「今度、抗がん剤治療が始まるんです」とつぶやいた。無理に繕う笑顔が自分と重なり、「実は私も」と話しかけた。女性の目に涙がにじんだ。新しいヘアスタイルで店を後にする頃には、その顔に、やわらかな笑みが浮かんでいた。
 これまでの涙の歩みが、自分の言葉が、少しでも人の希望になれていると思うと、たまらなくうれしかった。
 「法華経を信ずる人は、さいわいを万里の外よりあつむべし」(新2037・全1492)。
 幸せは追いかけるものじゃなくて、自分の中にあるのだと知ることができた。

●「広布のために歩ける脚になりたい」

 脚がむくむ「リンパ浮腫」との闘いも20年がたった。いよいよ立ち作業も難しくなり、車いすの購入を考えていた頃、セカンドオピニオンで訪れた病院で、医師から「リンパ管を静脈につなぐ手術」を提案された。
 新しい治療法で症例も少なく、リスクもある。一度はためらったが、女性部の先輩の一言に背中を押された。
 「『広宣流布のために歩ける脚にしてください』と祈るのよ」
 
 手術前、細身のズボンを買って病室の棚に置いた。“絶対に、はいてみせる”。病魔への勝利宣言だった。
 半日がかりの手術を終え、ベッドの上で目を覚ました。そっと脚を触ると「自分の脚じゃないみたいに細かった」。
 ベッドから下りられるようになると、ズボンに脚を通してみた。これまでの20年がウソのように、すんなりはけた。うれしくてうれしくて、病院の鏡の前で何度も自分の姿を眺めた。
 5年間で6回の手術を受けた。脚はどんどん細くなった。ここまで頑張ってくれた自分の脚に、感謝の題目を送り、恩返しだと広布に歩いた。
 今もテーピングやサポーターは欠かせないし、定期的な通院も必要となる。だが、加藤さんは「今も闘っていることが私の誇り」と笑う。

 美容室の鏡が映す、お客との笑顔のひととき。隣にはどんな時も祈り、支え続けてくれた母がいる。店を閉めた後は、大好きな同志の元へ歩みを弾ませて向かう。生きる喜びが胸いっぱいにあふれている。
 この夏、24年ぶりにスカートをはいた。趣味でエレキギターも始めた。暑さが和らいだら、マラソンも再開しようと決めている。(茨城支局)