きょうは創価学園の7・17「栄光の日」。ここでは、中国の革命作家・魯迅の令孫で、創立者・池田先生と親交のあった魯迅文化基金会・周令飛会長へのインタビューを紹介する。
きょうは創価学園の7・17「栄光の日」。ここでは、中国の革命作家・魯迅の令孫で、創立者・池田先生と親交のあった魯迅文化基金会・周令飛会長へのインタビューを紹介する。
――創価学園や創価大学に何度も足を運んでくださっています。
創価学園や創価大学を訪れるたび、心から感動させられます。青少年が本当に礼儀正しく活発で、清新な雰囲気が感じられます。
今年の3月には、関西創価学園の卒業式に出席し、祝辞を述べさせていただきました。生徒・児童、保護者、教職員の心が一つになった式典に参加でき、晴れやかな気持ちになりました。
――池田先生との出会いについて教えてください。
2004年3月、父(魯迅の令息である周海嬰氏)と共に池田先生にお目にかかる機会がありました。父からよく、先生の中日国交正常化への貢献について聞いていました。
私たちの家族には、日本との深い縁があります。祖父の魯迅は1902年から東京に留学し、その後、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に通っていました。
私たちは日本に対して特別な思いを抱いていますし、両国の友好を推進された池田先生には、深い感謝と敬意を持っています。
出会いの際、父から、先生が創立された学校の生徒や児童の代表に「魯迅青少年文学賞」を差し上げたいと提案しました。先生はその場で即座に賛同してくださり、翌年から授与を始め、今年で20周年を迎えました。
池田先生と同じように中日友好の道を歩めることは、私にとって大きな誇りであり、幸福なことです。
かつて東京の創価学園での式典に出席した折のことです。終了後、池田先生と奥さまがわざわざ廊下で私と記念撮影をしてくださいました。その真心に胸がいっぱいになりました。写真は今でも大切に保管し、私の宝物となっています。
――お父さまが語っていたことを聞かせてください。
父は生前、「池田大作先生は中国人民の良き友人であり、魯迅家の良き友人でもある。だからこそ、創価学会をはじめ、先生が築かれた創価学園、創価大学との友情を、私たちは世代を超えて大切に継承すべきだ」と何度も話していました。
父の遺志は、私の心にも深く刻まれています。魯迅文化基金会をはじめ、中国人民対外友好協会や外交部、友人など、さまざまな場で池田先生と創価学会の話をしています。
宗教団体だからといって距離を置く人に対しても、学会が中日友好に果たしてきた功績を語り、その精神や実践に目を向ける必要があると訴えています。
中国では“前人が木を植え、後人が木陰で涼む”との言葉があります。私は、後人は木陰に甘んじるのではなく、恩恵を受けているからこそ、さらに努力して何かを創造し、恩に報いていくべきだと思います。
――創価学園や創価大学に何度も足を運んでくださっています。
創価学園や創価大学を訪れるたび、心から感動させられます。青少年が本当に礼儀正しく活発で、清新な雰囲気が感じられます。
今年の3月には、関西創価学園の卒業式に出席し、祝辞を述べさせていただきました。生徒・児童、保護者、教職員の心が一つになった式典に参加でき、晴れやかな気持ちになりました。
――池田先生との出会いについて教えてください。
2004年3月、父(魯迅の令息である周海嬰氏)と共に池田先生にお目にかかる機会がありました。父からよく、先生の中日国交正常化への貢献について聞いていました。
私たちの家族には、日本との深い縁があります。祖父の魯迅は1902年から東京に留学し、その後、仙台医学専門学校(現在の東北大学医学部)に通っていました。
私たちは日本に対して特別な思いを抱いていますし、両国の友好を推進された池田先生には、深い感謝と敬意を持っています。
出会いの際、父から、先生が創立された学校の生徒や児童の代表に「魯迅青少年文学賞」を差し上げたいと提案しました。先生はその場で即座に賛同してくださり、翌年から授与を始め、今年で20周年を迎えました。
池田先生と同じように中日友好の道を歩めることは、私にとって大きな誇りであり、幸福なことです。
かつて東京の創価学園での式典に出席した折のことです。終了後、池田先生と奥さまがわざわざ廊下で私と記念撮影をしてくださいました。その真心に胸がいっぱいになりました。写真は今でも大切に保管し、私の宝物となっています。
――お父さまが語っていたことを聞かせてください。
父は生前、「池田大作先生は中国人民の良き友人であり、魯迅家の良き友人でもある。だからこそ、創価学会をはじめ、先生が築かれた創価学園、創価大学との友情を、私たちは世代を超えて大切に継承すべきだ」と何度も話していました。
父の遺志は、私の心にも深く刻まれています。魯迅文化基金会をはじめ、中国人民対外友好協会や外交部、友人など、さまざまな場で池田先生と創価学会の話をしています。
宗教団体だからといって距離を置く人に対しても、学会が中日友好に果たしてきた功績を語り、その精神や実践に目を向ける必要があると訴えています。
中国では“前人が木を植え、後人が木陰で涼む”との言葉があります。私は、後人は木陰に甘んじるのではなく、恩恵を受けているからこそ、さらに努力して何かを創造し、恩に報いていくべきだと思います。
――魯迅の普及活動に長年、取り組まれています。
池田先生が2005年3月に、聖教新聞で3回にわたり、「革命作家・魯迅先生を語る」を発表されましたよね。私は先生の語られる「奮闘」や「戦い」という言葉に注目してきました。魯迅の革命精神は、創価の精神とも響き合うものがあります。
私はもともと魯迅の研究者ではなく、父から「魯迅の精神を広めてほしい」と相談されて活動を始めました。以来25年、魯迅の学術研究ではなく、普及活動に努めてきました。
“文献の中だけの魯迅として書斎に閉じ込めてはいけない”と考え、彼の人間性や精神面を伝えるため、講演や展示活動などにも力を入れ、人々に届けてきました。
「魯迅とはいかなる人物か」という文章を発表した後、07年に香港とマカオで展覧会も開きました。当初はあまり反応されませんでしたが、著名な研究者たちが支持を表明したことで、全国放送のテレビなどでも広く報道されました。こうした努力の結果、魯迅は漫画やイラストの題材にされるなど、若者たちの心の中で今も生き続けています。
――今の時代に必要な「魯迅の精神」とは何でしょうか。
魯迅が主張した「立人」の精神です。これは、人の内面の成長・進化を求めるものです。教育でいえば、人を“こうあるべき”と型にはめるのではなく、自らの意志や創造力を引き出して自立した人間にすることです。その「立人」を成した一人一人がいれば、国や社会をより良く変えられることを魯迅は強調しました。
変化する社会を的確に捉え、自身の頭脳と行動で進むべき道を開き、新しい価値を創造する人材を育てることが、これからの時代に必要になると確信しています。
魯迅が残した多くの言葉は、今も私たちに、より良く生きるためのヒントを与えてくれます。池田先生が折あるごとに、魯迅のことをスピーチや著作などで紹介してくださったことに、深く感謝しています。
中日友好においても先人の思想や行動が、将来への重要な手がかりになります。父や池田先生の平和の遺志を受け継ぐのは、私たちの世代です。
創価学園や創価大学と共に、私も未来の友好への道を開いていく決意です。
――魯迅の普及活動に長年、取り組まれています。
池田先生が2005年3月に、聖教新聞で3回にわたり、「革命作家・魯迅先生を語る」を発表されましたよね。私は先生の語られる「奮闘」や「戦い」という言葉に注目してきました。魯迅の革命精神は、創価の精神とも響き合うものがあります。
私はもともと魯迅の研究者ではなく、父から「魯迅の精神を広めてほしい」と相談されて活動を始めました。以来25年、魯迅の学術研究ではなく、普及活動に努めてきました。
“文献の中だけの魯迅として書斎に閉じ込めてはいけない”と考え、彼の人間性や精神面を伝えるため、講演や展示活動などにも力を入れ、人々に届けてきました。
「魯迅とはいかなる人物か」という文章を発表した後、07年に香港とマカオで展覧会も開きました。当初はあまり反応されませんでしたが、著名な研究者たちが支持を表明したことで、全国放送のテレビなどでも広く報道されました。こうした努力の結果、魯迅は漫画やイラストの題材にされるなど、若者たちの心の中で今も生き続けています。
――今の時代に必要な「魯迅の精神」とは何でしょうか。
魯迅が主張した「立人」の精神です。これは、人の内面の成長・進化を求めるものです。教育でいえば、人を“こうあるべき”と型にはめるのではなく、自らの意志や創造力を引き出して自立した人間にすることです。その「立人」を成した一人一人がいれば、国や社会をより良く変えられることを魯迅は強調しました。
変化する社会を的確に捉え、自身の頭脳と行動で進むべき道を開き、新しい価値を創造する人材を育てることが、これからの時代に必要になると確信しています。
魯迅が残した多くの言葉は、今も私たちに、より良く生きるためのヒントを与えてくれます。池田先生が折あるごとに、魯迅のことをスピーチや著作などで紹介してくださったことに、深く感謝しています。
中日友好においても先人の思想や行動が、将来への重要な手がかりになります。父や池田先生の平和の遺志を受け継ぐのは、私たちの世代です。
創価学園や創価大学と共に、私も未来の友好への道を開いていく決意です。