ユース特集

〈スタートライン〉 ブラインドコミュニケーター・石井健介さん 2025年8月31日

人の優しさに気付けた。それがうれしい
突然視力を失った著者がつづる自伝エッセー『見えない世界で見えてきたこと』

 「明日の朝、目が見えなくなるとしたら最後に何を見たい?」――そんな言葉から始まる自伝エッセー『見えない世界で見えてきたこと』(光文社)。著者の石井健介さんは、ある朝、突然視力を失いました。深い悲しみを乗り越えた先に、本当に大切なものが見えてきたと言います。今、石井さんにはどんな世界が“見えて”いるのでしょうか。

現実と向き合った先に

 ――視力を失ったのは突然のことだったと……。
  
 36歳の時でした。仕事の打ち合わせで喫茶店にいた時、メニュー表の一部が白く抜けているように感じたんです。念のため眼科を受診しましたが、特に異常はなく、「疲れ目でしょう」と。その夜は、蒸しタオルで目を温めてから、当時3歳だった愛娘と一緒に眠りにつきました。

 しかし翌朝、目を覚ますと、視界の全てがにじんでいたのです。隣で寝ていた娘の顔も見えません。その瞬間パニックになり、「何も見えないよ!」と泣き叫び、大声で妻を呼びました。駆け付けた妻の大きな瞳も見ることができませんでした。

 最初は感じていた光も、時間がたつにつれて失われていきました。大学病院に入院し、後に多発性硬化症という国の指定難病だと診断されたのです。

 気持ちが安定するまで、とても時間がかかりました。完全にふさぎ込んでしまい、誰とも話す気にはなれません。不安や絶望感の波が押し寄せ、何度もどん底に落ちていきました。
  
  

 ――受け止め切れない現実と、どのように向き合おうとしたのですか。
  
 見舞いに来てくれた鍼灸師の友人が「かわいそうだね」と言ったんです。どこか、冷たい言葉に聞こえるかもしれません。でもこの時の僕には、自分でも口に出せなかった悲しみや悔しさに、初めて共感してくれたように感じて、もっと自分の感情に寄り添おうと思ったんです。

 〈何が悲しいの?〉娘の顔が見えなくなってしまったから。〈どうして見えないと悲しいの?〉彼女のことを愛しているから――と。自問自答して、一つ一つ答えを見つけていきました。その時、自分で自分を責めていることに気付いたんです。泣きながら自分を抱き締めるようにさすって「ごめんね。ごめんね」と謝りました。それが出発点でした。
  

希望をくれた出会い

 ――入院中に、現在の活動のきっかけがあったそうですね。
  
 写真家の友人が、ほとんど目が見えないアートディレクターと一緒に仕事をした時の話をしてくれました。写真がモニターに映ると、その人は見えていないのに、「いい写真撮るねぇ!」と言うような、ユーモアのある人だそうです。それを聞いて僕は“その人みたいになりたい”と思えて。自分が進む先が開けたというか、希望が湧いたのです。

 今では、集合写真の時に「誰が撮る?」と聞かれたら、僕が「撮る撮る!」と言ってみたり、何人かと自己紹介している時に、誰もいない方向を向いて「こちらの方は?」って言ってみたり(笑)。僕は「ブラインドジョーク」と呼んでいます。  

 ――SNSを通して、人の温かみを感じたそうですね。
  
 僕は、人付き合いは得意な方でしたが、目の前の人を心の底から信頼できていたかというと、そうでもなかった気がします。でも失明して、完全に無防備な自分になったことで、変化がありました。

 妻にお願いして、事の次第をSNSに投稿してもらうと、200件以上のコメントが寄せられました。

 その時、一つ一つ読み上げもらった言葉が、“本心かどうか”など考える間もなく、真っすぐに胸に届いて、涙が止まらなかったのです。同時に、疑うことなく受け入れるというシンプルなことが、どうして今までできなかったのかと思いました。

 ――現在は、見える世界と見えない世界をつなぐ「ブラインドコミュニケーター」として活動されています。
  
 さまざまな活動がありますが、視覚に障がいのある方が映画を鑑賞する際の「音声ガイド」の監修とかもしています。僕は中途失明ですので、見える人と見えない人の両方の立場を、完全ではありませんが、理解しています。ですので、見える人が書いた原稿に対して「この表現で本当に見えない人にも伝わるか」「もっとこうした方が分かりやすいのでは」と考えて、アドバイスしています。

 また、小学校で視覚障がいについて伝える課外授業もしています。

 「視覚障がい者とはこういう人です」と一方的に説明するのではなく、一緒に遊ぶ中で自然に気付いてもらうようにしています。例えば「目が見えない状態でじゃんけんをしたらどうなる? じゃんけんぽん!」とやってみる。混乱しても、やがて「チョキ!」と声を出す子が出てきます。そうやって、子どもたちが自分の頭で考え、感じることを大切にしています。

 そのほか、インクルーシブ(包摂)デザインの企画の監修や、視覚情報に頼らず内面に目を向ける企業研修の共同開発もしています。病院のベッドの上で自分と向き合ったことが、今につながっていると感じます。

もしも視力が戻ったら

 ――著書の中で、“目の前に神様が現れて、視力を戻してくれると言ったら、僕は少し戸惑う”と書かれていました。
  
 僕は、自分が一番大切にしたいものが「愛すること、愛されること」だと行き着いた時、「見えるかどうかは関係ない」と思えるようになりました。

 見えないから感じられることって、実はたくさんあって、今では見えない世界が「面白いな」とも思うんです。

 思えば36歳まで、僕は人を見た目で判断する「視覚優位」な人生を送っていました。視力を失いそれがなくなって、とても楽になったんです。もし見えるようになったら、また外見ばかりで判断する“曇った目”に戻ってしまう。そんな不安さえあります。

 また白杖を持って街を歩くようになってから、見えていた頃よりも人の優しさに触れる機会が増えました。優しくされることがうれしいというより、「こんなに優しい世界だったんだ」と感じられることが、うれしいんです。

 もちろん、嫌な思いをすることもありますが、それ以上に、以前は見落としていた優しさが、今はちゃんと心に届いてくる。そんな世界で、“うれしい”とか“楽しい”とか“この人が好き”を大切にできる今の自分を保ち続けていきたいです。

 いしい・けんすけ 1979年生まれ。ファッションやインテリア業界を経て、フリーランスの営業・PR職として活動。2016年、多発性硬化症のため視力を失う。18年からダイアログ・イン・ザ・ダークで勤務し、21年からブラインドコミュニケーターとして独立。ワークショップや講演を通じて、見える世界と見えない世界をポップにつなぐ活動を続けている。

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