仏法の教え

〈Seikyo Gift〉 夜は明かりを手がかりに〈鎌倉時代をつまみ読みっ!〉 2026年2月28日

 鎌倉時代の夜――今と比べてずっと暗い中でも、当時の人々は、知恵や工夫を光らせ、部屋や夜道を照らしていたようですよ。いったいどんな暮らしだったのでしょうか。それでは早速、かいつまんでいきましょう。いざ、鎌倉時代!

「灯台なんてどうだい?」 もう寝ないと…グッドナイト!

 まだまだ寒い冬の夜。ネコたま殿は、仲間と灯台のもとに集合するそうです。
 「夜は灯台なんて、どうだい?」――そんな調子で仲間に声をかけています。一体、何をするのでしょうか?
 厚着をして外に出かけるかと思いきや、暗い和室に入っていきました。
 すると、障子越しに、ぼんやり明かりが。中の様子を見ると、火がともった小さなお皿が、高さ1メートルほどの台の上にのっています。
 実はこれ、れっきとした“灯台”。古くから照明として使われていたものです。
 ことわざの「灯台下暗し」と聞くと、岬の灯台を思い浮かべがちですが、この室内用の明かりのことなんです。
 さすが、鎌倉時代の生活事情に明るいネコたま殿。当時の雰囲気を感じながら、仲間と読書会をしています。
 さて、鎌倉時代の人々は、どのように夜を過ごしていたのでしょうか。
      ◆
 明るく光る電球や、LEDライトなんて、影も形もない時代のこと。夜になれば、家の中は真っ暗でした。
 ろうそくは、古くから使われていましたが、中国からの高価な輸入品であり、鎌倉時代には、まだまだ貴重なものでした〈注1〉。
 そこで、油を注いだ皿に入れた灯芯に火をともし、照明としていたのです〈注2〉。
 火が弱まれば、「お皿に、さらに油を!」なんて言っていたのでしょうか。
 当時の絵巻物には、貴族が灯台を使って本を読んだり、文章を書いたりする様子が描かれています。
 とはいえ、こうした照明を使えるのは裕福な身分の人々。庶民は、いろりやかまどの火を照明がわりに「わずかな明かりが手がかりです!」と、静かに夜を過ごしていました。
 それでも夜が更ければ、寝るしかありません。
 「暗いし、もう寝ないと。グッドナイト!」――ある意味、自然と共に生きる、無理のない生活リズムだったのかもしれませんね。
 スイッチひとつで、部屋中が明るくなる現代。
 夜、小さな明かりで過ごし、光に慣れた目をそっと休める――当時の人々の暮らしに思いをはせるのも、時にはいいかもしれませんね。

「たいまつが燃えるまで待つ!」 夜道を照らす安心の炎

 どんなに暗くても、どうしても夜に出かけないといけないこともあります。
 現代のように「夜道を照らしてくれて、ありがとう! 街灯!」なんて感謝を述べている場合ではありません。
 屋外で使う照明として活躍したのが、たいまつです。
 これは、燃料として木を用いて火をつけたもの〈注3〉。現代でいう、懐中電灯のようなものでしょうか。
 特に、樹脂を多く含む松が、重宝されていました。
 「夜のお出かけは、たいまつがよく燃えるまで待つ!」――そんなことを言いながら、炎に照らされ、歩いていったことでしょう。
 たいまつは、お祭りやイベントなど、庶民の楽しみにも欠かせませんでした。
 また、物騒な世情の中、夜になれば治安が心配です。
 歴史書『吾妻鏡』には、事件が起きた際に、「付近の住民が、ただちにたいまつを用意するように」と、幕府が呼びかけていたことが記されています。
 武士だけでなく、住民も巻き込んでのパトロールだったようです。
 「やけに夜警が多いな。事件でもあったのかい?」なんて、ひそひそ話が飛び交う夜もあったかもしれませんね。
 防犯のため、鎌倉幕府は京都や鎌倉の街に、かがり屋という警備の拠点を設置しました。ここでは、鉄などでできたかごにまきを入れて、かがり火をたき、人々が警備にあたっていました。
 闇に包まれた夜。たいまつやかがり火の明かりが、安心を守っていたんですね。

 〈注1〉平安時代に、中国との正式な国交がとだえ、ろうそくの入手が困難になった。そのため、平安時代後期には国内で松の樹脂を用いたろうそくが作られ始めたと考えられているが、一般にはまだ流通していなかった。
 〈注2〉かわらけ(土器)の皿が多く用いられ、荏胡麻などからとれた油を入れていた。灯芯には麻や綿が使われていた。
 〈注3〉手火(たび)、炬火(きょか)、焚松(たきまつ)などとも呼ばれていた。
 【参考文献】『あかり博物誌』(朝日新聞社)。『図説 日本庶民生活史 第2巻』(河出書房新社)。

その時、日蓮大聖人は――

 御書には、当時、貴重だった油を供養した門下に対する、日蓮大聖人の感謝がつづられています〈※1〉。
 火が照明の役割も果たしていた時代のこと。「ともしびは油をさせば光が増す」〈※2〉「油が尽きれば、ともしびは消える」〈※3〉と大聖人も仰せのように、明かりを得るための油は、欠かせないものだったのです。
 わずかな明かりの中で、大聖人は門下へのお手紙を執筆したり、経典を読んだりされたことでしょう。
 求道と弘法の生涯を歩み抜かれた大聖人の胸には、“社会の闇を照らし、人々の心に希望をともしたい”との、炎のごとき熱い誓いが燃えていました。
 「百千万年の間、闇に閉ざされていた所でも、ともしびを入れれば明るくなる」〈※4〉――妙法の功徳を説き、門下を励まされた一節です。
 まさに大聖人の仏法は、仏の智慧と大慈悲によって、永遠に万人を、そして社会を照らしゆく、大いなる光源なのです。

〈※1〉御書新版1814ページ・御書全集1464ページ
〈※2〉御書新版1897ページ・御書全集1562ページ、趣意
〈※3〉御書新版2052ページ・御書全集1596ページ、趣意
〈※4〉御書新版2100ページ・御書全集1403ページ、趣意

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