企画・連載

〈Seikyo Gift〉 「声なき人」の「声」になる――「アフリカの歌姫」 イボンヌ・チャカチャカさん 2023年3月5日

〈SDGs×SEIKYO〉 インタビュー:感染症や差別と戦う

 「アフリカの歌姫」として国際的に活躍するイボンヌ・チャカチャカさんは、アパルトヘイト(人種隔離)が行われていた南アフリカ共和国で歌手となり、音楽の力で人々に勇気と希望を送ってきました。2006年には慈善団体「プリンセス・オブ・アフリカ財団」を設立。エイズ・結核・マラリアなど感染症の問題解決にも尽力しています。SDGs(持続可能な開発目標)の目標3には「すべての人に健康と福祉を」が掲げられています。人種差別との戦いを越えて人類貢献の活動を続ける彼女に、財団の取り組みや思いを聞きました。(取材=山科カミラ真美、福田英俊、1月17日付)

◆「何かが間違っている」

 ――チャカチャカさんは、南アフリカ最大の黒人居住区だったヨハネスブルクのソウェト地区で育ち、厳しい人種差別の時代を生き抜いてこられました。
    
 私は1965年に生まれました。母は白人の家で家政婦として働き、父は会社で車の運転手を務めていました。

 当時、黒人が置かれた状況は過酷なものでした。
私が11歳の時、父が亡くなりました。政府は黒人女性が不動産を所有することを禁止していたため、母は理不尽にも家を没収されてしまったのです。

 私は母、2人の姉と一緒にソウェト地区を出て、母の雇い主だった白人の家の隅にある部屋で暮らさざるを得なくなりました。

 町には多くの白人専用の商店やレストランがありました。学校はすぐ近くにありましたが、私は通うことができませんでした。白人専用の学校だったからです。私は毎朝5時ごろに起き、長時間、バスに乗って、ソウェト地区にある黒人専用の学校まで行かなければならなかったのです。疲れ果て、勉強ができる状況ではありませんでした。

 この頃から私は、「この国は何かが間違っている」と思うようになりました。「なぜ肌の色の違いだけで、私は劣った存在にされているのだろう?」と疑問を持つようになったのです。
    

 ――81年、黒人の子どもとして南アフリカで初めてテレビに出演し、その後、19歳で歌手デビューを果たしました。
   
 じつは、歌手になる気は全くなかったんです(笑)。私の母はとても賢明な人で、私たち姉妹に高い教育を受けさせようとしていました。

 「南アの人種差別はひどい。でも教育さえあれば、世界中、どこにでも行ける。どこにでも住める」と。母は、私に弁護士になってほしいと願っていました。

 でも、南アで黒人の女性が大学に進むのは困難なことでした。友人と一緒に奨学金の申請をしようと出かけたとき、たまたまレコード会社の経営者から声をかけられたんです。

 まさか自分が音楽の道に進むなんて、考えもしていませんでした。いや、音楽が仕事になること自体、想像もできなかったんです。アパルトヘイトの中で、黒人女性である私の歌が放送されるなんて、ありえないことでしたから。

 アパルトヘイトでは、私たち黒人は存在そのものを否定されました。

 “お前は存在しない。お前は物事を考えることができない。お前は、自分のことなど何一つできない。なぜなら肌の色が違うからだ”――こう言われていたのです。

 人間が人間に対して、こんな非道を行う。あまりに残酷で悲しいことでした。

 私は自分が歌手になったとき、南アで起きている「残虐行為」を世界に伝えるチャンスだと思ったのです。歌手になり、私は多くの国を訪れ、さまざまな人と会えるようになりました。アパルトヘイトの悲惨な実態を語りたい。世界に伝えたい。その思いは、ますます強くなりました。

 だから私は、「私が音楽に巡り合った」のではなく、「音楽が、私を見いだしてくれたのだ」と感じています。音楽によって、私は“自分が本当にやりたかったこと”ができるようになったのです。

◆「分かち合う」精神が重要

 ――歌手として活躍する一方、「プリンセス・オブ・アフリカ財団」を通じて感染症対策の活動も行われています。きっかけは何だったのでしょうか。
   
 2005年にアフリカ中部のガボン共和国を訪れた際、バンドの仲間がマラリアに感染し、亡くなってしまったのです。この悲しい出来事をきっかけに、マラリアについて学び、自分に何ができるかを模索するようになりました。

 アフリカを旅する中で、感染症の悲惨な現状を目にしました。例えば、ウガンダに行ったときのことです。エイズに感染した人とは「話してはいけない」「同じコップで水を飲んではいけない」「触れてはいけない」という誤った情報が広まっていました。

 エイズ患者への多くの差別が存在していることを知り、偏見を克服するための教育の重要性を痛感したのです。

 エイズ、結核、マラリアの三大感染症をはじめ、感染症との戦いにおける最大の武器は、人間の「声」です。私は、「声なき人」の「声」となって感染症と戦おう――そう心に決めたのです。

 その後、「プリンセス・オブ・アフリカ財団」を立ち上げ、他の団体とも協力して活動を進めてきました。具体的には、支援金を集めるとともに、学校で子どもたちに手洗いの大切さを教えたり、日本企業の協力のもと、(蚊が病原体を媒介する)マラリア対策の一つとして、蚊帳の配布を行ったりしています。
   

 ――2020年には世界で2億4100万人がマラリアに感染し、62万7000人が命を落としたといわれています。その95%がアフリカで発生し、犠牲者の多くは5歳以下の子どもたちです。
   
 病気には国境がありません。南アはマラリア患者はそれほど多くありませんが、ジンバブエやモザンビークと国境を接しており、人々の往来とともに病気も入ってくるのです。重要なのはワクチン接種の推進です。また室内での殺虫剤の使用や、蚊帳の中で寝るといった基本的な対策を継続することが大切です。

 資金の援助とともに、「どうすれば感染症を防げるか」という知識、教育が必要です。ただお金を渡して、去っていく――そうした支援の在り方では、真の助けにはなりません。私たちの財団が取り組んでいるのは、こうした生涯にわたって人々の力となる「教育」なのです。

 人間こそが最大の「資源」です。人々が健康でなければ、国家といっても、何も生み出すことはできません。そして、健康であれば人々はより幸福になり、より社会のために働くことができます。

 新型コロナウイルスのパンデミックも、世界に深刻な被害をもたらしました。多くの人が命を落とし、仕事を失いました。日々の食事にさえ、事欠く人もいます。私は今こそ「分かち合い」の精神が重要だと感じています。

◆「音楽のおかげで 生き抜けた」

 ――チャカチャカさんの歌は、アパルトヘイトと戦って投獄されていたネルソン・マンデラ氏(黒人初の南アフリカ大統領)の心の支えにもなったと聞きました。マンデラ氏との交流について教えてください。
   
 当時の政府は、反アパルトヘイト闘争の象徴であったマンデラ氏の写真を、人々が見られないようにしていました。

 本を見ても彼の写真はありませんでした。だから若い頃の私は、彼がどんな顔をしているのか、まったく分からなかったのです。

 彼の風貌を知っているのは、昔の同級生や家族、同じ地域で育った人々だけでした。アパルトヘイトを行っていた政府は、「ネルソン・マンデラ」という存在そのものを、社会から抹殺しようとしていたのです。

 1990年にマンデラ氏が出獄したとき、招待を受けて、彼に会う機会を得ました。この偉大な人物に会えることは、大きな喜びでした。

 彼はこう言いました。「あなたの音楽のおかげで、私は牢獄で生き抜くことができた」と。私はそれを聞き、本当に感動し、うれしく思いました。私の音楽が、アパルトヘイトと戦う人々に、生きるための力を送ることができたと知ったからです。

 その後も、マンデラ氏との親子のような関係は続きました。彼が「ネルソン・マンデラ子ども基金」を創設した時には、初代の親善大使になるように頼まれました。

 祖国の全ての人々の自由のために戦った、偉大な人物と交流を結ぶことができたことを、私は心から誇りに思っています。
 多くの偉大なリーダーたちのおかげで、私は今日、自由な南アフリカ人として、胸を張って歩くことができるのです。
   

 ――池田SGI会長はマンデラ氏と90年、95年の2度にわたり会見するなど、交流を重ねてきました。池田会長は、「『人間』として見ない、『レッテル』で見る――これは南アだけの特殊事情ではない。人権抑圧の根っこには、いつも、この錯誤がある」と指摘しています。
   
 白人にだって「いい人」もいれば「悪い人」もいる。黒人にも「いい人」も「悪い人」もいます。さらにいえば、一人の人間の心にも「善」と「悪」が同居しています。

 しかし、ひとたび一つの「システム」が動き出すと、人間は分類されてしまうのです。「白人は上」で「黒人は下」。「○○人は善」で「○○人は悪」というように――。

 「悪い人間」とは、人を殺したり、物を盗んだりする人間です。人権や自由を否定し、権力の腐敗を許す人間です。人種や民族で「優劣」「善悪」が決まるわけではありません。

 私たち人間は皆、異なった姿で生まれてきます。目の形や鼻の形も違います。花々もそうです。黄色い花も、緑色の花も、紫色の花もある。だから素晴らしいのです。もし私たちが全員、全く同じだったら、世界は退屈なものになってしまうでしょう。

 私たちは、一人一人が異なる存在です。だからこそ、寛容の精神が大切なのです。だからこそ、互いに学び合い、感謝し合う必要があるのです。そうした努力の中で、差別や争いのない、多様性と尊厳の輝く社会が築かれていくのではないでしょうか。

 イボンヌ・チャカチャカ 1965年、南アフリカ生まれ。19歳で歌手デビューし、国際的な人気を得る。音楽活動のほか、貧困や感染症問題の解決に向けた活動も推進。自ら立ち上げた「プリンセス・オブ・アフリカ財団」を通じた運動のほか、国連児童基金(ユニセフ)マラリア親善大使などを務めた。2012年の世界経済フォーラムで、アフリカ人女性として初のクリスタル賞を受賞。

●ぜひ、ご感想をお寄せください。
sdgs@seikyo-np.jp

●聖教電子版の「SDGs」特集ページが、以下のリンクから閲覧できます。
https://www.seikyoonline.com/summarize/sdgs_seikyo.html

●海外識者のインタビューの英語版が「創価学会グローバルサイト」に掲載されています。
https://www.sokaglobal.org/resources/expert-perspectives.html