池田先生

〈池田先生 永遠の指針〉 「創価学会永遠の五指針」を発表 「海外・第2総東京代表協議会」のスピーチから 2026年1月6日

師子として立て! 師子として叫べ!

 1957年(昭和32年)12月25日、戸田城聖先生は全同志を一人ももれなく幸福へと導くため、信心の肝要を明確にした三指針を発表した。時を経た2003年(平成15年)12月11日、池田大作先生は、恩師の三指針に、新たに2項目を加えることを提案し、「創価学会永遠の五指針」を確立した。指針発表に際しての池田先生のスピーチ(2003年12月11日の海外・第2総東京代表協議会、『池田大作全集』第95巻所収)を抜粋して紹介する。

 
 それは、一九五七年(昭和三十二年)の十二月度本部幹部会でのことであった。この月、戸田先生が生涯の願業とされた七十五万世帯の弘教が、ついに達成された。
 その歴史的な幹部会で示されたのが、「三指針」であった。
 つまり――
 一、一家和楽の信心
 二、各人が幸福をつかむ信心
 三、難を乗り越える信心
 この三点である。
 以来、私たちは、これを「学会の永遠の三指針」として胸に刻み、前進してきた。
 わが同志が、それぞれの境遇において、それぞれの家庭で、職場で、地域社会で、それぞれの人生で、困難に負けず、現実の不平や不満に流されず、希望に燃えて生きぬき、勝ちぬいていくための指標である。

 
●一家和楽の信心

 指針の第一は「一家和楽の信心」である。
 日蓮大聖人は、「法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(全1492・新2037)と仰せである。さらに、伝教大師の文「家に讃教の勤めあれば七難必ず退散せん」(全1374・新1807)を引いておられる。その家に、妙法の声が響くということが、どれほどすばらしいことか。
 強き信心とは、強力な磁石のように、幸いを万里の外より集める力である。鉄壁の守りとなって、いかなる災難をも退散させていく。
 この大確信をもって、わが家を幸福と安穏の城に築き上げていくことである。
 家族が信心していない場合も、多々ある。しかし、心配することはない。あせることもない。一人が真剣に、厳然と信心に立ち上がれば、縁する人を皆、幸福の方向へ、希望の方向へとリードしていくことができるからだ。
 ちょうど、暗夜の海に一つの灯台が厳然と光を放てば、無数の船が、安全な航路を進んでいけるようなものである。
 大聖人は、こうも説いておられる。
 「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う、上七代・下七代・上無量生下無量生の父母等存外に仏となり給う、乃至子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生・三悪道をはなるるのみならず皆初住・妙覚の仏となりぬ」(全1430・新2026)と。
 ゆえに、信心のことで家族が争う必要など、まったくない。
 深く祈りながら、大きく賢い心で、仲よく朗らかな、笑いさざめく和楽のわが家を、堅実に、また着実につくっていっていただきたい。

 
 ◇ ◆ ◇
 
 家族を亡くされた方もおられる。しかし、仏法の眼で見れば、必ず、深い深い意味がある。絶対に悲しみに負けてはいけない。
 中国の周恩来総理の夫人、鄧穎超氏は最愛の夫に先立たれた。だれよりもつらく、悲しかった。しかし、多くの人が涙を流すのを見て、こう言った。
 「強くなりましょう。泣くのはよしましょう。泣いても人は生き返りません。私は三回だけ泣きました。もし泣いて恩来が生き返るのなら私は死ぬほど泣き続けます。私たちがやらねばならないことは、涙をぬぐい、恩来の遺志を継ぐことです」(西園寺一晃『鄧穎超』潮出版社)
 私は、これまで数えきれないほど多くの体験を見てきた。いざという時、信心で立ち上がった人は、必ず、皆、幸福になっている。
 「祈りとして叶わざるなし」の御本尊である。妙法は「変毒為薬」の大法である。あらゆる苦難を「薬」に変えて、大きな境涯を開いていけるのである。
 大聖人は、父の信心を毅然と受け継いだ南条時光を讃えておられる。そして「同じく法華経を信じさせ給へば・同じところに生れさせ給うべし」(全1509・新1838)とも言われている。
 信心こそ最高の財産である。わが子に正しき信心を継承しゆくことこそ、親子して、また家族ともどもに、永遠の幸福の軌道を歩みゆく最も確かな道である。
 その意味からも、家庭でも、地域でも、未来部の育成に、さらに力を入れてまいりたい。

 
●幸福をつかむ信心

 第二の指針は、「各人が幸福をつかむ信心」である。
 大聖人は、法華経を引かれて仰せである。
 「此の経を持つ人は百人は百人ながら・千人は千人ながら・一人もかけず仏に成る」(全1580・新1913)と。
 必ず「幸福をつかむ」ことができる。これが、大聖人のお約束である。
 「信心即生活」である。現実の社会の中で格闘しながら、法のため、人のために広宣流布へ前進する。そこに大功徳がわく。縁する人々をも救っていける。
 有名な御聖訓には、こうも仰せである。
 「冬は必ず春となる。いまだかつて、冬から秋に戻ったということは、聞いたことも見たこともありません。同じように、いまだかつて、法華経を信ずる人が凡夫のままで終わったなどということも聞いたことがありません」(全1253・新1696、通解)
 この希望の大仏法を、私たちは一人でも多くの人に語り伝え、幸福への仏縁を広げていきたい。
 幸福は、人から、また外から与えられるものではない。自分自身の「心」で、つかみとっていくものである。まさしく「心こそ大切なれ」(全1192・新1623)である。
 御書には、「さいわいは心よりいでて我をかざる」(全1492・新2037)とも記しておられる。
 一人一人の「心」を最大に強め、深めていく力が、「信心」である。

 
 ◇ ◆ ◇
 
 「各人の幸福」は、全部、広宣流布に連動している。
 戸田先生は、よくユーモアをこめて言われた。
 「あなた方のためにやることが、結局は広宣流布のためであり、世界のためになるのである。
 だから皆さんの信心の努力の大半を自分自身の幸福のために使って、その残りを広宣流布のためにこっちへよこしなさい」と。
 では、幸福のために、大事なことはなにか。大聖人は、「悪知識」にたぶらかされないことであると、繰り返し戒めておられる。悪知識は、無量の善き心を破壊してしまうものだからである。
 「御義口伝」には、「功徳」の「功」とは「幸」ということであり、それはまた「悪を滅する」ことであると説かれている。〈全762・新1062〉
 生命の無明を滅することが幸福である。「悪」との戦いなくして、真実の「幸福」はありえない。

 
●難を乗り越える信心

 第三の指針は「難を乗り越える信心」である。
 大聖人は、「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競はずは正法と知るべからず」(全1087・新1479)と仰せである。
 歴史をひもとけば、偉大な人生には、必ず障害があり、難がある。
 古代ローマの哲人セネカが「多くの人は、その英知のゆえに、また多くの者は、その正義のゆえに嫉妬されます」(『道徳書簡集』〈全〉茂手木元蔵訳、東海大学出版会)と喝破しているように、英知があり、正義であるがゆえに、嫉妬され、悪口され、迫害されるのだ。
 いわんや、広宣流布を成し遂げゆく「如説修行の師弟」には、「三類の強敵」が立ちはだかり、「猶多怨嫉」の大難が競い起こる。難を受けることこそ、正しき仏法を正しく実践している証拠である。そして、難を乗り越えてこそ、金剛不壊の成仏の大境涯を開いていくことができる。
 だからこそ、大聖人は、「三障四魔と申す障いできたれば賢者はよろこび愚者は退く」(全1091・新1488)、「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(全1448・新1720)と教えておられる。
 これが、日蓮仏法の精髄であり、学会精神の真髄である。
 戸田先生は、苦難と戦う同志を、心から励まされた。
 「大聖人の仏法は、逆境にある人が、幸せになる宗教なのだ。
 苦難にあった人ほど、それを乗り越えた時、すごい力が出るのだ。その人こそが、本当に不幸な人々の味方になれるのだよ」
 学会精神が燃えているかぎり、われらの広宣流布の前進に行き詰まりは絶対にない。

 
 ◇ ◆ ◇
 
 「師子王の如くなる心をもてる者必ず仏になるべし」(全957・新1286)である。
 師子として立て! 師子として叫べ! これが大聖人の教えである。
 これからも、いよいよ「師子王の心」で、あらゆる難を乗り越え、勝ち越えてまいりたい。

 
●健康長寿の信心

 以上、これまでの三項目の指針に、私は、新たに二項目の指針を申し上げたい。
 それは、「健康長寿の信心」である。
 そして「絶対勝利の信心」である。
 大聖人は、病気と戦うけなげな女性門下を激励なされて、仰せである。
 「命というものは、わが身にとって第一の珍宝である」
 「一日の命は、宇宙の全財宝を集めた以上の宝である」
 「あなたは法華経にめぐりあわれたのですから、一日でも生きておられれば、その分、功徳が積もるのです。なんと大切な惜しい命でしょうか。惜しい命でしょうか」(全986・新1308~1309、通解)
 何よりも大切な「命」である。どこまでも、健康で長寿で、かけがえのない一日また一日を生ききって、無量無辺の価値を創造していくことである。
 二十一世紀は「生命の世紀」である。それはまた「健康の世紀」であり、「長寿の世紀」である。
 その模範と光り輝く、創価の人生であっていただきたい。
 四条金吾の夫人である日眼女に対しても、大聖人は、ある年の新年、「年は・わかうなり福はかさなり候べし」(全1135・新1543)と激励されている。
 色心ともに、一年また一年、より若々しく、より福々しく、人生の年輪を刻んでいくのが、この妙法である。

 
●絶対勝利の信心

 「御義口伝」には、「我らが生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るのは、そのまま常楽我浄の四徳の香を吹くのである」(全740・新1031、通解)と説かれる。
 私たちは、この「常楽我浄」の人生を、堂々と晴ればれと、舞いに舞っていきたい。そのためにも、より智慧を発揮した信心即生活をお願いしたい。

 
 ◇ ◆ ◇
 
 指針の五つめは「絶対勝利の信心」である。
 これまで何度も拝してきたが、大聖人は仰せである。
 「仏法と申すは勝負をさきとし、王法と申すは賞罰を本とせり、故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり」(全1165・新1585)
 勝負をさきとする――これが、仏法の魂である。
 「仏」とは、「一切に打ち勝った人」である。仏典では「目的を達成した人」「あらゆる敵を降伏させて、なにものをも恐れることなしに喜ぶ」「ヒマラヤ山が他の山々に打ち克って輝くように」輝く人、等々と表現されている。〈『仏弟子の告白』中村元訳、岩波文庫〉
 まさしく、「仏」とは「絶対勝利の人」の異名なのである。
 大聖人は、「仏法というのは道理をもととするものである。道理というものは、主君という権力者にも必ず勝つのである」(全1169・新1590、通解)と断言しておられる。
 ゆえに、皆さま方が絶対に負けるわけがない。
 「正義の勝利」こそが大宇宙の法則である。その強き確信こそが信心の極意なのである。
 断じて勝たねばならない。勝つことが、正義である。勝つことが、幸福である。勝つことが、広宣流布なのである。

 ※編集部注 五指針では、「各人が幸福をつかむ信心」は「幸福をつかむ信心」に変更された