信仰体験
〈Seikyo Gift〉 元芸人 笑いへの新たな挑戦――ソーシャルワーカーとして生きる〈ターニングポイント 信仰体験〉 2024年6月29日
つまんねえ。何もかも。高校生の寺中湧飛は退屈していた。
クラスメートはただ騒いでばかりだし、授業なんて将来何の役に立つんだか、まるでサッパリ。
両親と、5人のきょうだいで住む実家の家計は、いつもギリギリ。遊びに行った記憶もあまりない。おまけに家族は創価学会員。両親は熱心で、仕事だって忙しいのに、毎日あちこち駆け回っている。
“なんか、おもしろいことねーかな……”
唯一の楽しみはテレビ。画面の中を動き回り、トークで爆笑をかっさらうお笑い芸人たちが、楽しそうに見えた。
高3の夏。「夏休みにシュノーケリングに行きます」。学校の選択授業の一環で、フィールドワークの知らせが。
めちゃくちゃ行きたくない。親しくもないヤツらと、浜辺で戯れるなんてごめんだ。
憂鬱な帰宅。食卓に、しれっとパンフレットが一部置いてある。〈創価大学〉。オープンキャンパスの案内だった。
日程に息をのんだ。シュノーケリングの日だ。“これで休める!”。進路に関わることは高3にとって、究極の“武器”だった。
初めて創大のキャンパスへ。行くには行ったが、進学なんて毛頭考えちゃいない。適当に回ったら帰るつもりだった。
だが湧飛の目は、スタッフの学生に引きつけられた。“楽しそう”。単なる楽しそうではなくて、“充実”って感じの笑顔。いつのまにか、そこにいる自分を想像していた。
「創大に行きたい」
湧飛の相談に両親は驚いた。成績は悲惨だ……。「応援する」。母が真っすぐな視線を返してくれた。人生で一番勉強した。2011年(平成23年)、合格通知を受け取った。
「落研入らへん?」
入学後、ある同級生が話しかけてきた。すでに落語研究会に入り、周りを誘っているらしい。こいつは意識高い系。気にくわない。
けれど、お笑いには興味があった。せっかく大学に来て、何もしないのはもったいない。「やるわ」
四六時中、“おもしろい”を追求する日々。夜中でもめし処や銭湯に入って、仲間とネタをひねりまくった。
だが2年が過ぎる頃、湧飛はヘタれていた。全然ウケない。テレビで少しは培ったと思っていたスキルは全く歯が立たず、客席にはいつも白けた笑い。理解されない悔しさと、腹立たしさが交錯した。
入部当初から、良くしてくれる先輩がいた。豪快なネタに定評がある人。
「どうしたらおもしろくなれるんスかね」
ネタのダメ出しをもらうつもりで、その日も声をかけた。「信心しかないよ」。ちょっと何を言っているか分からない。
先輩は真剣だった。辞めたいと悩んだ時、学会活動に励み、これで最後だと臨んだネタがハネたと、熱っぽく語る。湧飛の胸も高鳴り出した。“この人が言うなら”
学生部の活動に参加してみた。家庭訪問、仏法対話……舞台と違って目立たないし、地味なことばかり。だが、しばらく先輩にくっついていくと、励まされたメンバーや友人が、だんだん笑顔になっていく。はっとした。
自分は一人だって、笑わせられていない。観客を前にしても、それまで誰のことも見ていなかった。
「落研は/皆が喜ぶ/人のため」。創立者・池田先生が、創大落研に贈った指針。
目の前の一人から――そう思うようになると、観客に話しかける感覚が芽生え、ネタにも手応えが。客席の笑い声が、少しずつ大きくなっていった。
大学3年の3月。湧飛は大学生お笑いのコンテストで、団体戦チームの一人に選抜された。全国の大舞台。練りに練ったネタで暴れ散らかす。この年、創大落研は日本一に輝いた。
“笑いに生きる”。大学を出て芸人に。ライブ、賞レースと、忙しい日々。だが“勝つネタ”を繰り出し続けることに、湧飛は疲弊していった。相方ともすれ違った。このままでは、自分が壊れてしまう気がした。
創立者の指針と、何度も向き合った。皆が喜ぶ――そこには、もれなく自分も含まれているはず。2022年(令和4年)、キャリアに区切りを付けた。
一から職探し。ネットで、ソーシャルワーカーの存在を知る。家族が頭に浮かんだ。きょうだいの一人に、障がいがあった。大学に通うまで、ずっと避けていた。だから特別な響きがあった。
ある日。都内で、大人を頼れない若者の支援を行うNPO法人の代表が、テレビのインタビューに答えていた。
「悩みごとを楽しく解決したい」
居ても立ってもいられず、そこへ赴いた。
「絶対に向いてるよ!」。代表は湧飛の経歴に興味を持ち、快く受け入れてくれた。
家庭不和や虐待などを理由に、孤立してしまった15~25歳ほどの若者たち。一時的な居場所やシェアハウスを提供し、社会復帰の糸口を探していく。
利用者が抱える心の傷と向き合うのは、想像以上に難しかった。
仕事に就いても上司とうまくいかず、すぐ辞めてしまうことがほとんど。“甘えだ!”といった大人の目にさらされることを恐れ、余計に心を閉ざしてしまうこともある。
マニュアルはない。だから湧飛は、自分の「おもしろい」を手がかりにして、利用者へアクションを起こす。
といっても、ひたすら一緒に食事を囲んだり、銭湯で裸の付き合いをしたり。つまりは、落研や学会活動で楽しかった空間を再現しているだけ。でも利用者には、そんな“何でもない経験”さえ、ほとんどなかった。
「人生つまんない」
時間を共にしながら、ぽつりと利用者から漏れたホンネ。ふと高校生の自分が重なる。
どんな言葉をかけられたら、うれしかったのだろう――「つまんねえよな(笑)」。
きれい事じゃ済まないくらい、日常は面倒で、うまくいかないことだらけ。だからお笑いを始め、笑いを生む喜びを知った。
家族や落研との出あいが、自分に思いもよらない可能性があることを教えてくれた。若者一人一人にだって絶対にある。本人以上に、それを信じられる大人でありたい。
利用者の悩みを代わってあげることはできなくても、“こんなヤツいたな”くらいになら、なれるかもしれない。だからもっともっと、おもしろくなってやる。
(5月15日付)
てらなか・ゆうひ 1992年(平成4年)生まれ、94年入会。創価大学落語研究会に所属し、卒業後はお笑い芸人に。現在は“若者ソーシャルワーカー”として、都内のNPO法人のスタッフを務める。東京都狛江市在住。男子地区リーダー。
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