ユース特集

〈インタビュー〉 仕事でのメンタル不調を自己責任にしないために 精神科医・産業医 井上智介(「第三文明」6月号から) 2026年6月15日

 メンタルヘルスのあり方が企業の課題になっている。その背景と、現場でできる備えを聞いた。

目立つ若手社員のメンタル不調

 ――企業におけるメンタルヘルスについて、何か最近の特徴はありますか。
 
 井上智介 目立つのは20代の若手のメンタル不調です。彼らは、コロナ禍でテレワーク中心のまま社会人生活を始めた人が多く、上司や先輩との日常的な接点が乏しい中で、仕事の進め方や職場の暗黙知を学ばざるを得ませんでした。そして信頼関係を十分につくれずに出社回帰が進み、対面のやり取りが増え、年長世代との接点も一気に増えました。さらに同年代とはSNSで常に比較され、心理的な負荷が高まりやすくなっています。
 
 ――そうした若手のメンタル不調は、どのような形で表れるのでしょうか。
 
 井上 最初から大きく崩れるというより、何となくしんどい状態が長く続く形で表れやすいです。相談するほどではないと思って我慢し、周囲も気づかず、そのまま自信を失い、仕事でも人間関係でも孤立感が深まっていきます。今の若手には能力の問題というより、職場になじむまでの土台づくりが難しかった世代特有の事情があると見ています。

 ――一方で管理職の負荷の増大も社会課題になっています。

 井上 今の管理職の多くは、プレーヤーとして成果を求められる一方で、部下の育成や労務管理を担うプレイングマネジャーです。働き方改革で部下の残業が制限された分、そのしわ寄せが管理職に集まることもあります。加えて、さまざまな場面でハラスメントにならないよう慎重な配慮が求められ、心理的負担も大きい。結果として、支える側が先に疲れ切り、その疲弊が部下など周囲へ広がる悪循環が起きやすくなっています。

職場における信頼の醸成が重要

 ――こうした企業におけるメンタル不調の背景に、何か構造的な問題はありますか。
 
 井上 やはり人手不足です。1人が休むと残った人の業務量が増え、その負荷が次の不調者を生むという連鎖が現場では起きやすくなっています。

 しかも、目の前の仕事だけでも手いっぱいなのに、AIの活用やリスキリングまで求められ、「取り残されるのではないか」という慢性的な緊張感も続いている。つまり個人の頑張りだけで吸収できる範囲を超えているのです。
 
 ――「本人の弱さ」の問題ではない、と。
 
 井上 もちろん個々の特性もありますが、それだけでは説明がつきません。コミュニケーションが希薄になり、世代間で異なる「当たり前」をすり合わせる雑談の機会も減っています。すると、孤立や行き違い、ハラスメントの受け止め方のズレも起きやすくなる。メンタルの不調は、本人の内面だけでなく、働く環境や人間関係のひずみの表れでもあるのです。
 

 ――企業でもメンタルヘルスに関するサポート体制が作られる中で、支えきれていないのはなぜでしょうか。
 
 井上 制度を知っていても、当事者が「使わないほうが得だ」と判断しているからです。典型は「相談すると評価が下がる」などの不安です。特にキャリア形成期の若手ほど、その恐れは大きいでしょう。また、ストレスチェックや相談窓口を利用しても「何も変わらなかった」という体験や、「どうせ無駄だ」という先入観も不信を根付かせます。

 制度が機能するかどうかは、制度を作り知らせる以上に、「この職場は相談する価値がある」と思える信頼を醸成できるかにかかっています。困った時に上司がどう反応するのか、業務評価は公正か、相談した人が不利益を受けていないか。そうした積み重ねが、「ここなら話しても大丈夫だ」との安心感をつくります。逆に言えば、制度だけ整えても普段の関わりが冷たければ、人は相談しません。信頼はポスター等の掲示物ではなく、日常の振る舞いの中でしか生まれないのです。

健康より大切な仕事はない

 ――経営資源の限られた中小企業等は、どんな対策から始めるべきでしょうか。
 
 井上 完璧な制度づくりを志向する必要はないと考えます。まず経営者や管理職が、「わが社はメンタルヘルスの問題から目を背けない」と明確に、継続して発信することです。何が正解か分からなくても、分からないなりに社員と共に悩み、受け止める姿勢が大切です。中小企業は社員間の距離が近い分、本音が隠れやすい面もあります。だからこそ、個人の善意や我慢に頼らず、会社として支える“空気”をつくる必要があります。

 ――働く人のメンタル不調に気づくには、どうすればよいでしょうか。

 井上 遅刻や欠勤の増加は分かりやすいサインですが、実際にはもっと小さな変化が重要です。あいさつへの返し方、声の調子、目の合わせ方など、普段との違いに気づけるかどうか。そのためには日頃から短い接触を重ね、その人の普段の様子を知っておくことが前提になります。そして気づいた時は、管理職が1人で解決しようとせず、評価せず、助言しすぎず、まず話を聞き、産業医や主治医、外部相談機関につなぐことが大切です。

 ――当事者は、いつ助けを求めるべきでしょうか。

 井上 心が疲れてくると、判断力そのものが鈍ります。ですから、「まだ大丈夫」という自己判断をあてにしすぎないでください。例えば、これまでと比べて寝つきに1時間以上かかったり、夜中に2度以上目覚める回数が増えたり、起床予定の2時間以上も前に目が覚め眠れないなど、そうした睡眠の変化が2週間以上続くなら、早めに相談してほしいと思います。

 ――企業任せ、本人任せにしないために、社会で取り組むべきことは何でしょうか。

 井上 助けを求める力を、もっと早い段階から育てることだと思います。学校で支援を求めることを学ぶ機会が増えれば、将来の職場文化も変わっていきます。また、精神疾患への偏見をなくすためには、「通院歴は評価に影響しない」「休職後に復職し、活躍している人がいる」といった具体的な事実を企業側が示すことも有効です。長時間労働や我慢を美徳とする価値観から離れ、健康に働き続けられることこそ大切だという認識を、社会全体で共有していく必要があります。

 ――最後に、読者へメッセージをお願いします。

 井上 不調を自覚した人ほど、「甘えているだけではないか」「周りに迷惑をかけたくない」と自分を責めがちです。しかし、そう思っている時点で、すでにかなりの重さを1人で抱えています。SOSを出すことは弱さではなく、自分と会社の両方を守る行動です。「健康より大切な仕事はない」ということを、ぜひ心に留めておいてほしいと思います。