2020年の本連載スタート時、性的マイノリティーの研究者である池田弘乃さんに話を聞きました。「SOGI」(性的指向・性自認)は、あらゆる人にとって「性の在り方」と向き合う手助けになる――その視点を紹介してから4年。多様な性への理解における、日本社会の“現在地”と展望を伺いました。
2020年の本連載スタート時、性的マイノリティーの研究者である池田弘乃さんに話を聞きました。「SOGI」(性的指向・性自認)は、あらゆる人にとって「性の在り方」と向き合う手助けになる――その視点を紹介してから4年。多様な性への理解における、日本社会の“現在地”と展望を伺いました。
――前回インタビューでは、LGBT――レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(複数の性に惹かれる在り方)、トランスジェンダー(生まれた時に登録された性別と異なる性別を生きる、あるいは生きようとする人)――の連帯の歴史や、多様な性の在り方を包摂する試みの中で生まれたSOGI(性的指向と性自認)の概念を教えていただきました。その後、日本社会はどのように変化したのでしょうか。
特筆すべき一つは、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(以下、理解増進法)が成立し、2023年6月に公布・施行されたことです。今回、初めて多様な性について正面から扱う法律ができました。理解増進法は、「性的指向」「ジェンダーアイデンティティー(性自認)」という言葉を名に冠しています。マスコミ報道では、「LGBT理解増進法」「LGBT法」といった略称が使われることが多いですが、同法が強調しているのは、性的マイノリティーへの温情ではなく、全ての人にとっての多様な性の理解です。
これまでも包括的な差別禁止法を作る議論は行われてきましたが、まずは、今回の理解増進法をきっかけに、学校や職場、医療機関等あらゆる場で、多様な性についての理解を共有する取り組みを進めることが、全ての人が生きやすい社会をつくるための第一歩になると考えています。その法的な後ろ盾ができたという点で、小さくはあっても重要な進展であると感じています。
――理解増進法成立に至るまでに、SNS上や一部メディアの報道で、トランスジェンダー女性へのバッシングが行われました。
公衆トイレや公衆浴場の利用にばかり注目が集まり、不確かな情報を元にトランスジェンダーの生活実態からかけ離れた「問題」ばかりが喧伝されました。日本では、トイレは社会生活上の実態の性別によって区分され、浴場は外性器の形状によって区分されています。施設区分の指標は性自認ではないのです。社会の変化にばく然とした不安があれば、事実を元に検証し、解消していく態度こそが重要です。
また、“炎上”は、一部の声が何倍にも増幅される、SNS特有の現象だと思うのですが、それでもトランスジェンダーバッシングにおいて、“女性の安全”というキーワードが注目を集めたということは、裏を返せば、日本における女性差別の問題が十分に対処されてこなかったということではないでしょうか。
多様な性と「男女平等」というテーマは分けて論じられることもありますが、私はこの二つの問題は平たんではないけれど地続きの問題だと考えています。男女平等も、男性集団と女性集団が、グループとして対等ということではなく、性別にかかわらず、「個人として尊重される」ということに行きつくと思うんです。突き詰めれば、個人が“男らしさ”や“女らしさ”を強要されてはならないという点で、「男女平等」の理念は多様な性を尊重することにつながると考えています。
――前回インタビューでは、LGBT――レズビアン(女性同性愛者)、ゲイ(男性同性愛者)、バイセクシュアル(複数の性に惹かれる在り方)、トランスジェンダー(生まれた時に登録された性別と異なる性別を生きる、あるいは生きようとする人)――の連帯の歴史や、多様な性の在り方を包摂する試みの中で生まれたSOGI(性的指向と性自認)の概念を教えていただきました。その後、日本社会はどのように変化したのでしょうか。
特筆すべき一つは、「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(以下、理解増進法)が成立し、2023年6月に公布・施行されたことです。今回、初めて多様な性について正面から扱う法律ができました。理解増進法は、「性的指向」「ジェンダーアイデンティティー(性自認)」という言葉を名に冠しています。マスコミ報道では、「LGBT理解増進法」「LGBT法」といった略称が使われることが多いですが、同法が強調しているのは、性的マイノリティーへの温情ではなく、全ての人にとっての多様な性の理解です。
これまでも包括的な差別禁止法を作る議論は行われてきましたが、まずは、今回の理解増進法をきっかけに、学校や職場、医療機関等あらゆる場で、多様な性についての理解を共有する取り組みを進めることが、全ての人が生きやすい社会をつくるための第一歩になると考えています。その法的な後ろ盾ができたという点で、小さくはあっても重要な進展であると感じています。
――理解増進法成立に至るまでに、SNS上や一部メディアの報道で、トランスジェンダー女性へのバッシングが行われました。
公衆トイレや公衆浴場の利用にばかり注目が集まり、不確かな情報を元にトランスジェンダーの生活実態からかけ離れた「問題」ばかりが喧伝されました。日本では、トイレは社会生活上の実態の性別によって区分され、浴場は外性器の形状によって区分されています。施設区分の指標は性自認ではないのです。社会の変化にばく然とした不安があれば、事実を元に検証し、解消していく態度こそが重要です。
また、“炎上”は、一部の声が何倍にも増幅される、SNS特有の現象だと思うのですが、それでもトランスジェンダーバッシングにおいて、“女性の安全”というキーワードが注目を集めたということは、裏を返せば、日本における女性差別の問題が十分に対処されてこなかったということではないでしょうか。
多様な性と「男女平等」というテーマは分けて論じられることもありますが、私はこの二つの問題は平たんではないけれど地続きの問題だと考えています。男女平等も、男性集団と女性集団が、グループとして対等ということではなく、性別にかかわらず、「個人として尊重される」ということに行きつくと思うんです。突き詰めれば、個人が“男らしさ”や“女らしさ”を強要されてはならないという点で、「男女平等」の理念は多様な性を尊重することにつながると考えています。
――池田さんの新著『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』でも「二分法をトランスする(乗り越える)」視点の一つとして、「男女平等」との関係性に言及しています。著作を通して、記者個人の「性の在り方」を考えることができました。
「コモン・センス」(common sense)とは、「人々が共有する/共通に持つ(common)」「感覚や判断力(sense)」という意味で、常識や良識と訳されます。書籍では、LGBTという言葉を手掛かりに、多様な性に関する常識の「編み直し」を、読者の皆さんと一緒に始めたいと考えました。「性」について、幼少期から、心身の成長に伴い外見や内面で悩むといったことは、多くの人になじみ深い経験だと思います。それが、LGBTという言葉に接した際に“どこかにいるらしい少数派の話”となるのか、“私自身のより良い生き方とつながる話”と感じるのか――自分のこととして皆が考えられる社会が望ましいと思っています。
――記者には、同世代にLGBTをカミングアウトする友人や、“男性と女性それぞれの交際経験を経て、現在は性的指向が分からない”と語る友人がいます。私も友人も20代前半ですが、周囲にそうした「性」に関する思いを語ることに対しては、親世代に比べると、オープンになってきている気がします。
世論調査にも表れていますが、若年世代の感覚は、フラットになってきています。学校においては、むしろ教職員が“自分の学校には性的マイノリティーの児童・生徒がいないと思っているが、生徒間では知っている”という状況も生まれています。その意味では、教職員への理解促進が大切になってきます。また、人権学習の中で、「性の在り方」について、子どもたちが議論するという場合にも、プライバシーの保護など、誰もが安心して学べる環境を保障していくという姿勢が重要です。
また、学校教育を通じて粘り強く多様な性への理解を促進していくことと同時に社会全体としては、同性カップルの共同生活の法的保障が、喫緊の課題だと考えています。シスジェンダー(出生時に登録された性別と性自認が一致し、それに沿って生きる人)で異性愛カップル以外のカップルもいる、という前提での社会設計が急務です。
そして、自分あるいはパートナーが病となった際の、面会やみとりなどの医療の場面。書籍の中で「全ての人が大切な人を看取れる世の中かどうか」という言い方で表現しましたが、つまりは就学、就職、家族生活、老後といった人生全般を通して、人々の意識の変化とそれに伴った社会制度の整備が必要です。
――他方で、LGBTという言葉が浸透してきたからなのか、若者の一部には、SNS上で“性的マイノリティーに理解がある”ということをことさらにアピールしたり、他者を一方的に決めつけてやゆしたりする言動も見受けられます。
そこには、“言葉を知ったから自分はフラットだ”と言って、理解した気になっているという“危うさ”があるかもしれません。「どんな人がいてもいいよね」ということは誰でも言えますが、実際に、先ほど述べたような性的マイノリティーの人生における切実な生活課題を知っている人がどれほどいるかといえば、その数は一気に下がるでしょう。また私自身への戒めも込めてですが、自分のことを「理解者」などとは、到底言えません。全員が当事者である「性の在り方」について、出会った一人一人から学びながら、考え、書き続けるつもりです。また、性という、複雑で奥行きのあるこのテーマについては、言葉を大切にしつつ、言葉の字句だけでは捉えきれないことがあるという事実を胸に刻んでいます。
――池田さんの新著『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』でも「二分法をトランスする(乗り越える)」視点の一つとして、「男女平等」との関係性に言及しています。著作を通して、記者個人の「性の在り方」を考えることができました。
「コモン・センス」(common sense)とは、「人々が共有する/共通に持つ(common)」「感覚や判断力(sense)」という意味で、常識や良識と訳されます。書籍では、LGBTという言葉を手掛かりに、多様な性に関する常識の「編み直し」を、読者の皆さんと一緒に始めたいと考えました。「性」について、幼少期から、心身の成長に伴い外見や内面で悩むといったことは、多くの人になじみ深い経験だと思います。それが、LGBTという言葉に接した際に“どこかにいるらしい少数派の話”となるのか、“私自身のより良い生き方とつながる話”と感じるのか――自分のこととして皆が考えられる社会が望ましいと思っています。
――記者には、同世代にLGBTをカミングアウトする友人や、“男性と女性それぞれの交際経験を経て、現在は性的指向が分からない”と語る友人がいます。私も友人も20代前半ですが、周囲にそうした「性」に関する思いを語ることに対しては、親世代に比べると、オープンになってきている気がします。
世論調査にも表れていますが、若年世代の感覚は、フラットになってきています。学校においては、むしろ教職員が“自分の学校には性的マイノリティーの児童・生徒がいないと思っているが、生徒間では知っている”という状況も生まれています。その意味では、教職員への理解促進が大切になってきます。また、人権学習の中で、「性の在り方」について、子どもたちが議論するという場合にも、プライバシーの保護など、誰もが安心して学べる環境を保障していくという姿勢が重要です。
また、学校教育を通じて粘り強く多様な性への理解を促進していくことと同時に社会全体としては、同性カップルの共同生活の法的保障が、喫緊の課題だと考えています。シスジェンダー(出生時に登録された性別と性自認が一致し、それに沿って生きる人)で異性愛カップル以外のカップルもいる、という前提での社会設計が急務です。
そして、自分あるいはパートナーが病となった際の、面会やみとりなどの医療の場面。書籍の中で「全ての人が大切な人を看取れる世の中かどうか」という言い方で表現しましたが、つまりは就学、就職、家族生活、老後といった人生全般を通して、人々の意識の変化とそれに伴った社会制度の整備が必要です。
――他方で、LGBTという言葉が浸透してきたからなのか、若者の一部には、SNS上で“性的マイノリティーに理解がある”ということをことさらにアピールしたり、他者を一方的に決めつけてやゆしたりする言動も見受けられます。
そこには、“言葉を知ったから自分はフラットだ”と言って、理解した気になっているという“危うさ”があるかもしれません。「どんな人がいてもいいよね」ということは誰でも言えますが、実際に、先ほど述べたような性的マイノリティーの人生における切実な生活課題を知っている人がどれほどいるかといえば、その数は一気に下がるでしょう。また私自身への戒めも込めてですが、自分のことを「理解者」などとは、到底言えません。全員が当事者である「性の在り方」について、出会った一人一人から学びながら、考え、書き続けるつもりです。また、性という、複雑で奥行きのあるこのテーマについては、言葉を大切にしつつ、言葉の字句だけでは捉えきれないことがあるという事実を胸に刻んでいます。
――著作に収められたルポには、性的マイノリティーの当事者が、パートナーと共同生活を始める際、アライ(支援者)の女性から「お嫁さんに行くんだね。あの人なら、大丈夫だね。仲よくやるんだよ」と言われる場面があります。当事者は、この言葉が、大変うれしかったそうですね。
「お嫁に行く」という表現は、単独では、現在では適切でないとみなされることも多いと思います。しかし、書籍の中で紹介した文脈では、同性カップルの共同生活を「結婚」としてみなしているという意味に解釈できる表現でした。そのため、当事者自身も肯定的な意味で紹介してくださったんです。単語レベルで“ダメな言葉リスト”を作るのではなく、文脈の中で一つ一つの言葉をきちんと捉えていく。相互理解のために必要なのは、その丁寧な作業に尽きると感じています。“こんな言葉を発言したからあいつは差別者だ”とか、そういう考え方は、本質を見失う危険をはらんでいると思います。
――常識を「編み直す」ことで生まれるものとは何でしょうか。
より自由に考え、より自由に生きていける社会だと思います。実態を学び、言葉を編み、表現する。なぜそんなことをするのかといえば、分類したり区切ったりするのではなく、その区切りを取り払っていくためです。縛られるために言葉を学ぶんじゃなくて、気づかずになじんでしまっている固定的な通念から解放されていくために、実は言葉が必要だと思うんです。
例えば、アセクシュアル(他者に対して性的欲求を抱かない人)やアロマンティック(他者に対して恋愛感情を抱かない人)という、性的指向に関する表現があります。
老いて亡くなっていくまでのライフステージを考えた時には、アセクシュアルの人、アロマンティックの人の生き方から、いわゆる“マジョリティー”の人が学ぶところは、たくさんあると思います。例えば、“結婚とか家族をつくるということと、セックスをすることと恋愛をすることっていうのは、実は必ずしも一体ではないのではないか”という問いかけです。
「親密なパートナー」と「友人」や「知人」は何が違うのか? 長い人生を生きる中でパートナーが先に亡くなったら、残された人はその後、誰とどんな人間関係を築いていくのか? このような問いを考えながら、より自分らしく、より自由に生きていくヒントを、多様な性に関する言葉は与えてくれるのではないでしょうか。
――著作に収められたルポには、性的マイノリティーの当事者が、パートナーと共同生活を始める際、アライ(支援者)の女性から「お嫁さんに行くんだね。あの人なら、大丈夫だね。仲よくやるんだよ」と言われる場面があります。当事者は、この言葉が、大変うれしかったそうですね。
「お嫁に行く」という表現は、単独では、現在では適切でないとみなされることも多いと思います。しかし、書籍の中で紹介した文脈では、同性カップルの共同生活を「結婚」としてみなしているという意味に解釈できる表現でした。そのため、当事者自身も肯定的な意味で紹介してくださったんです。単語レベルで“ダメな言葉リスト”を作るのではなく、文脈の中で一つ一つの言葉をきちんと捉えていく。相互理解のために必要なのは、その丁寧な作業に尽きると感じています。“こんな言葉を発言したからあいつは差別者だ”とか、そういう考え方は、本質を見失う危険をはらんでいると思います。
――常識を「編み直す」ことで生まれるものとは何でしょうか。
より自由に考え、より自由に生きていける社会だと思います。実態を学び、言葉を編み、表現する。なぜそんなことをするのかといえば、分類したり区切ったりするのではなく、その区切りを取り払っていくためです。縛られるために言葉を学ぶんじゃなくて、気づかずになじんでしまっている固定的な通念から解放されていくために、実は言葉が必要だと思うんです。
例えば、アセクシュアル(他者に対して性的欲求を抱かない人)やアロマンティック(他者に対して恋愛感情を抱かない人)という、性的指向に関する表現があります。
老いて亡くなっていくまでのライフステージを考えた時には、アセクシュアルの人、アロマンティックの人の生き方から、いわゆる“マジョリティー”の人が学ぶところは、たくさんあると思います。例えば、“結婚とか家族をつくるということと、セックスをすることと恋愛をすることっていうのは、実は必ずしも一体ではないのではないか”という問いかけです。
「親密なパートナー」と「友人」や「知人」は何が違うのか? 長い人生を生きる中でパートナーが先に亡くなったら、残された人はその後、誰とどんな人間関係を築いていくのか? このような問いを考えながら、より自分らしく、より自由に生きていくヒントを、多様な性に関する言葉は与えてくれるのではないでしょうか。
〈プロフィル〉
いけだ・ひろの 1977年、東京都生まれ、山形大学人文社会科学部教授。東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程満期退学。松山福祉専門学校、都留文科大学等の非常勤講師を経て、現職。専攻は法哲学、ジェンダー・セクシュアリティーと法。主な著書に『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』(第三文明社)、『ケアへの法哲学――フェミニズム法理論との対話』(ナカニシヤ出版)など。
〈プロフィル〉
いけだ・ひろの 1977年、東京都生まれ、山形大学人文社会科学部教授。東京大学法学部卒業。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程満期退学。松山福祉専門学校、都留文科大学等の非常勤講師を経て、現職。専攻は法哲学、ジェンダー・セクシュアリティーと法。主な著書に『LGBTのコモン・センス――自分らしく生きられる世界へ』(第三文明社)、『ケアへの法哲学――フェミニズム法理論との対話』(ナカニシヤ出版)など。
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ファクス 03-5360-9470
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