長年、創価学会が大嫌いだった自分自身が、今では率先して「勤行しよう」と家族を誘うまでになり、さらには勇気を出して友人への仏法対話にも挑戦している――。信心に励む妻と娘を見て、2022年9月に創価家族の一員となった矢野和弘さん(62)。劇的な変化を遂げた3年間を振り返った投稿を「声」の欄に届けてくれました(25年10月31日付掲載)。
これには地元の千葉・稲毛本陣区のメンバーをはじめ、各地の友からも大きな反響がありました。中でも、長女の松山綾香さん(30)=副白ゆり長=は、驚きつつ笑顔を浮かべながら「今も信じられない」と語ります。娘から父へ。ありのままの思いをつづった松山さんの声を紹介します。
長年、創価学会が大嫌いだった自分自身が、今では率先して「勤行しよう」と家族を誘うまでになり、さらには勇気を出して友人への仏法対話にも挑戦している――。信心に励む妻と娘を見て、2022年9月に創価家族の一員となった矢野和弘さん(62)。劇的な変化を遂げた3年間を振り返った投稿を「声」の欄に届けてくれました(25年10月31日付掲載)。
これには地元の千葉・稲毛本陣区のメンバーをはじめ、各地の友からも大きな反響がありました。中でも、長女の松山綾香さん(30)=副白ゆり長=は、驚きつつ笑顔を浮かべながら「今も信じられない」と語ります。娘から父へ。ありのままの思いをつづった松山さんの声を紹介します。
「お父さんの投稿が聖教新聞に載ったよ」。その知らせをSNSで母から受け取った日のことを、私は今も鮮明に覚えています。
その一文を見た瞬間、思わず息をのみました。ほんの数年前まで、母が学会の話をするだけで顔を曇らせ、口を閉ざした父。そんな父が記事の末尾に述べていたのは“池田先生に応えられる人になろう”という決意でした。「百八十度変わるって、こういうことなんだ!」と、私は胸の奥から込み上げてくる喜びを抑え切れませんでした。
50代後半で務めていた百貨店を早期退職した父は、母と共に事業を始めました。しかし、4年前、それが暗礁に乗り上げ、父は今まで見たことがないほど、険しい表情をしていました。普段の明るい父の姿はなく、日に日に家庭内の雰囲気が重苦しくなっていくのを感じました。
父自身は、父親の矜持として、娘の私に弱音を吐きませんでしたが、突き付けられた現実は、想像以上に厳しいようでした。
そんな困難な時に、母と私の姿を通して、心から信心を求めてくれたことは、今になって、とても意味があったと感じています。
「お父さんの投稿が聖教新聞に載ったよ」。その知らせをSNSで母から受け取った日のことを、私は今も鮮明に覚えています。
その一文を見た瞬間、思わず息をのみました。ほんの数年前まで、母が学会の話をするだけで顔を曇らせ、口を閉ざした父。そんな父が記事の末尾に述べていたのは“池田先生に応えられる人になろう”という決意でした。「百八十度変わるって、こういうことなんだ!」と、私は胸の奥から込み上げてくる喜びを抑え切れませんでした。
50代後半で務めていた百貨店を早期退職した父は、母と共に事業を始めました。しかし、4年前、それが暗礁に乗り上げ、父は今まで見たことがないほど、険しい表情をしていました。普段の明るい父の姿はなく、日に日に家庭内の雰囲気が重苦しくなっていくのを感じました。
父自身は、父親の矜持として、娘の私に弱音を吐きませんでしたが、突き付けられた現実は、想像以上に厳しいようでした。
そんな困難な時に、母と私の姿を通して、心から信心を求めてくれたことは、今になって、とても意味があったと感じています。
私は美術大学を卒業後、文具メーカーに勤めましたが、求められる業務に、なかなか自分の力が追い付かず、退職を考えるほど、精神的に落ち込む日々を過ごしていました。また追い打ちをかけるように、高校時代に患った潰瘍性大腸炎が悪化し、下血が続きました。
そんな私のそばで、母は一緒に御本尊に向かって祈り続けてくれました。それがどんなに私の心を支えたか分かりません。
やがて体調は回復し、私は再び仕事を軌道に乗せることができました。
題目根本に一歩一歩、状況を好転させていった、この経験は私の大きな信心の原点になりました。また、その時に刻んだ「勝つことよりも負けないこと。それが、すべてに勝っていくことになる」という池田先生の励ましの指針は、今も私の宝です。
父は投稿の中で、自身の発心のきっかけが“母と私の実証”と書きました。しかし私自身は、華々しい何かを成し遂げたわけではありません。ただ一つ誇れるならば、苦しい時に御本尊から決して離れなかったことです。そして、その大切さを誰よりも身近で教えてくれたのは母です。
そのこと自体を、父が「実証」と呼ぶならば、それは先生が教えてくださった“負けない生き方”が、父の心を揺さぶった証しなのだと思います。
私は美術大学を卒業後、文具メーカーに勤めましたが、求められる業務に、なかなか自分の力が追い付かず、退職を考えるほど、精神的に落ち込む日々を過ごしていました。また追い打ちをかけるように、高校時代に患った潰瘍性大腸炎が悪化し、下血が続きました。
そんな私のそばで、母は一緒に御本尊に向かって祈り続けてくれました。それがどんなに私の心を支えたか分かりません。
やがて体調は回復し、私は再び仕事を軌道に乗せることができました。
題目根本に一歩一歩、状況を好転させていった、この経験は私の大きな信心の原点になりました。また、その時に刻んだ「勝つことよりも負けないこと。それが、すべてに勝っていくことになる」という池田先生の励ましの指針は、今も私の宝です。
父は投稿の中で、自身の発心のきっかけが“母と私の実証”と書きました。しかし私自身は、華々しい何かを成し遂げたわけではありません。ただ一つ誇れるならば、苦しい時に御本尊から決して離れなかったことです。そして、その大切さを誰よりも身近で教えてくれたのは母です。
そのこと自体を、父が「実証」と呼ぶならば、それは先生が教えてくださった“負けない生き方”が、父の心を揺さぶった証しなのだと思います。
昨年の「11・18」、父は創価長(ブロック長)となり、本格的に広布の責任を担い立ったと聞きました。共に歩む白ゆり長は、母。両親が一緒に学会活動をするなんて、10代の頃は想像もできませんでした。この光景を一番喜んでいるのは、家族で力を合わせて広布に進む姿を祈り続けてきた亡き祖父母だと思います。
私もこの春に池田華陽会を卒業し、現在所属する東京・羽村戸田区で、ヤング白ゆり世代の一員として新たな広布の道を歩み始めました。3年前に入会した夫も今、喜々として男子部の会合に参加しています。
これからも何があろうと、題目根本に信心を貫き、両親と思いを同じく、池田先生の期待に応えられる人になっていく決意です。
昨年の「11・18」、父は創価長(ブロック長)となり、本格的に広布の責任を担い立ったと聞きました。共に歩む白ゆり長は、母。両親が一緒に学会活動をするなんて、10代の頃は想像もできませんでした。この光景を一番喜んでいるのは、家族で力を合わせて広布に進む姿を祈り続けてきた亡き祖父母だと思います。
私もこの春に池田華陽会を卒業し、現在所属する東京・羽村戸田区で、ヤング白ゆり世代の一員として新たな広布の道を歩み始めました。3年前に入会した夫も今、喜々として男子部の会合に参加しています。
これからも何があろうと、題目根本に信心を貫き、両親と思いを同じく、池田先生の期待に応えられる人になっていく決意です。
◎掲載された投稿(2025年10月31日付)
◎掲載された投稿(2025年10月31日付)
妻と娘の実証が入会のきっかけ
千葉市稲毛区 矢野和弘(会社員 62歳)
私は3年前に創価学会に入会しました。それまで、入会を拒否するどころか、妻に早く学会を辞めてほしいと言い続けてきましたが、今では私から率先して「勤行しようよ」と家族を誘うほどに。
入会のきっかけは、還暦前のこと。長年勤めた会社を早期退職し、事業を立ち上げましたが思うようにいかず、不安と焦りが募る毎日。“自分を変えたい。一から出直したい”との思いから、生活の中で実証を示している妻と娘にならい、自分も学会活動に参加しようと決意したのです。
入会してからは、地区の方々に温かく迎えていただきました。座談会には何でも語り合える場として楽しく参加。教学部任用試験(仏法入門)に挑戦してからは教学の研さんを続け、地区部長と一緒に毎月、小説『人間革命』を学んでいます。その中で、負けじ魂という太い幹が自分の心の中にできた気がします。
再就職先も見つけることができました。さらに午前4時から出勤前までの時間や休日を使って、国家資格のキャリアコンサルタントの勉強に挑戦して無事に合格。60歳を過ぎてからの挑戦は、入会以前の自分では成し得なかったと感じます。
今、この信心の素晴らしさを多くの方に知ってもらいたいと、親しい人たちに学会宣言をしています。言い出す前は毎回、心臓はバクバクですが、勇気を出して堂々と語るようにしています。相手の反応はさまざまですが、目の前の人に仏法の種をまくことが大切との思いで取り組んでいます。
そうした中でうれしいことがありました。20代の頃から私を知っている先輩と食事をした後のことです。「俺が知っている以前の君とは、全く違っていることに驚いたよ。前向きだし、人の悪口は言わないし、すごく成長しているね」とメールをもらったのです。すぐさま、学会に入ったおかげで自分が強くなれたことを伝えました。
入会して3年がたった今も、毎日が挑戦です。悩みは次から次へとやってきますが、必ず宿命転換するとの思いで、妻と力を合わせて頑張っていきます。そして、池田先生の期待にお応えできる人になろうと決意しています。
妻と娘の実証が入会のきっかけ
千葉市稲毛区 矢野和弘(会社員 62歳)
私は3年前に創価学会に入会しました。それまで、入会を拒否するどころか、妻に早く学会を辞めてほしいと言い続けてきましたが、今では私から率先して「勤行しようよ」と家族を誘うほどに。
入会のきっかけは、還暦前のこと。長年勤めた会社を早期退職し、事業を立ち上げましたが思うようにいかず、不安と焦りが募る毎日。“自分を変えたい。一から出直したい”との思いから、生活の中で実証を示している妻と娘にならい、自分も学会活動に参加しようと決意したのです。
入会してからは、地区の方々に温かく迎えていただきました。座談会には何でも語り合える場として楽しく参加。教学部任用試験(仏法入門)に挑戦してからは教学の研さんを続け、地区部長と一緒に毎月、小説『人間革命』を学んでいます。その中で、負けじ魂という太い幹が自分の心の中にできた気がします。
再就職先も見つけることができました。さらに午前4時から出勤前までの時間や休日を使って、国家資格のキャリアコンサルタントの勉強に挑戦して無事に合格。60歳を過ぎてからの挑戦は、入会以前の自分では成し得なかったと感じます。
今、この信心の素晴らしさを多くの方に知ってもらいたいと、親しい人たちに学会宣言をしています。言い出す前は毎回、心臓はバクバクですが、勇気を出して堂々と語るようにしています。相手の反応はさまざまですが、目の前の人に仏法の種をまくことが大切との思いで取り組んでいます。
そうした中でうれしいことがありました。20代の頃から私を知っている先輩と食事をした後のことです。「俺が知っている以前の君とは、全く違っていることに驚いたよ。前向きだし、人の悪口は言わないし、すごく成長しているね」とメールをもらったのです。すぐさま、学会に入ったおかげで自分が強くなれたことを伝えました。
入会して3年がたった今も、毎日が挑戦です。悩みは次から次へとやってきますが、必ず宿命転換するとの思いで、妻と力を合わせて頑張っていきます。そして、池田先生の期待にお応えできる人になろうと決意しています。