聖教ニュース

熊本地震 希望を胸に立ち上がる友 2026年8月11日

●南区 名和淳子さん

 震度6強を観測した熊本市の中でも南区では、城南町と富合町を中心に大きな被害が出た。5日時点での市の罹災証明書の申請状況は、他の区が400~700件なのに対し、南区は3000件を超えている。
 
 富合町に住む名和淳子さん(南区、区副女性部長)は、自宅で被災した。目の前でテレビが倒れ、食器棚の皿が床に散乱。「とてつもない揺れで動くことができず、その場にうずくまるのがやっとでした」と振り返る。
 
 揺れが収まり真っ先に頭に浮かんだのは、近所に一人で暮らす高齢女性の顔だった。“とにかく行かなきゃ!”――一緒にいた夫と外へ飛び出し、急いで地域の人たちの安否確認に走った。
 
 10年前の熊本地震で心残りだったことがある。地域の人たちのために存分に行動できなかったことだ。
 
 名和さんは結婚を機に富合町に移り、入会した。もともと入会していた夫をはじめ、地区の同志からの励ましがきっかけだった。以来、この地域で信心を教わり、磨いてきた。「地区の皆さんの祈りで、今の私があるんです」。その報恩の思いから、交流サロンのスタッフや民生委員を務め、日頃から地域貢献に力を注ぐ。名和さんは被災後も近隣に困りごとがないか声をかけ、避難所への案内等まで行い、真心の行動を続ける。
 
 「10年前も立ち上がってきました。何度でも地区の皆さんと“絶対に負けんよ!”と声をかけ合いながら前に進んでいきます」

●宇城圏 畠村幸則さん

 畠村幸則さん(宇城圏、副圏長)は宇城市松橋町で暮らして70年近くになる。
 今回、最大震度7を記録し、深刻な被害を受けた同市。避難者は約3000人にのぼる(10日現在)。
 畠村さんは妻と娘と共に自宅で被災。家の瓦や壁が崩れ落ち、家具が次々と大きな音を立てて倒れた。あまりの惨状に「一体、誰を恨めばいいのか」と悲しみで言葉を失った。
 失意の底から救ってくれたのは同志の存在であり、胸中の師匠の存在だった。発災後すぐに畠村さんのもとに駆けつけた同志。「大丈夫やったね?」。その一言だけで涙が溢れた。
 “学会は本当にありがたい”――もう一度立ち上がる勇気が湧いた。
 心に浮かんだのは「兄弟抄」の一節。「たといいかなるわずらわしきことありとも、夢になして、ただ法華経のことのみさばくらせ給うべし」(新1481・全1088)。“創価の師弟に越せない坂はない!”と奮起し、畠村さん自身も友のもとへ足を運び声をかける。
 先日の台風接近の予報を受け、「もし豪雨も重なれば、もう立ち直れないかも……」と不安を吐露する壮年にも、力強く励まし、共に前を向いた。
 「前進するしかありません。同志が来てくださって、このままじゃいかんなと思いました。必ず乗り越えます」
 被災地の今を生きる一人として、畠村さんは今日も友の心に寄り添う――。

●八代大勝圏 吉田英利さん

 氷川町や美里町で、地域に愛されるスーパー「ファミリーフードありさ」を3店舗経営してきた吉田英利さん(八代大勝圏、副本部長)。昨年、社長を長男に譲ったものの、会長になった今も店舗に立ち続けている。
 
 地震発生時に自宅にいた吉田さんは、すぐに店の状況確認に動いた。「従業員もお客さまも、けがをした人が出なくて安心しました」。しかし、商品棚は倒れ、品物は散乱。電気や水道がストップしたことで、生鮮食品や冷凍食品は廃棄せざるを得なくなった。
 
 10年前にも大地震を経験している吉田さんは、災害時、当面の間は何が必要かが分かっていた。“店が使えないなら、駐車場で商品を提供しよう”と、発災翌日から、飲料水や生活必需品、日持ちする食品などの販売を実施。インフラが止まる中、いち早く提供を始めたことで、地域の人たちは心から喜んでくれた。
 
 吉田さんには命に刻む御文がある。それは、「我ならびに我が弟子、諸難ありとも疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」(新117・全234)との「開目抄」の一節だ。
 
 これまで、会社の経営を必死にかじ取りする中、何度となく倒産の危機に見舞われてきたという。そのたびに、この御文を思い起こしては自らを鼓舞し、御本尊に祈り切って苦境を打開してきた。だからこそ、今回も、「絶対に乗り越える」と固く誓い、地域の友の笑顔のため、全店舗の通常営業を目指して力強く歩みを進める。