女性の身体で生まれ、性自認が男性、性的指向(恋愛・性的関心の対象)が女性、というトランスジェンダーの青年がいます。この社会で生きていく苦しさに耐えかね、人生を諦めようとした青年に今があるのは、多くの人との出会いがあったからでした。電子版長編記事では、青年の歩みを、関わった人々の思いとともに紹介します。(取材=野呂輝明、橋本良太)
女性の身体で生まれ、性自認が男性、性的指向(恋愛・性的関心の対象)が女性、というトランスジェンダーの青年がいます。この社会で生きていく苦しさに耐えかね、人生を諦めようとした青年に今があるのは、多くの人との出会いがあったからでした。電子版長編記事では、青年の歩みを、関わった人々の思いとともに紹介します。(取材=野呂輝明、橋本良太)
性への違和感と家族の思い
性への違和感と家族の思い
佐々木大河さん=横浜市、男子部本部長=は市内の病院で、理学療法士をしている。患者の大半は障がいがある子ども。種別や程度によって、アプローチは異なるものの「家族も子どもも皆さん大変。でも、一生懸命、生きていることを痛感する日々です。その力になりたい」と。その言葉は、佐々木さん自身が歩んできた人生と、少なからず関係している――。
佐々木大河さん=横浜市、男子部本部長=は市内の病院で、理学療法士をしている。患者の大半は障がいがある子ども。種別や程度によって、アプローチは異なるものの「家族も子どもも皆さん大変。でも、一生懸命、生きていることを痛感する日々です。その力になりたい」と。その言葉は、佐々木さん自身が歩んできた人生と、少なからず関係している――。
佐々木さんが、生まれた時に割り当てられた性別は女性。3歳から違和感があった。親から“お人形さん”をプレゼントされても、うれしくなかった。小学校では体育でブルマーをはくことが、何より苦痛だった。
中学生になり、制服のスカートに違和感しかなかった。さらに、男子から告白された。“付き合ったら女の子になれるかも”と思って交際し、無理だと分かった。その後、地元の女子高に進学。そこでは「男役」の立ち位置となった。ギャル、アニオタ、ビジュアル系バンドのおっかけ……個性豊かな同級生に囲まれて、初めて彼女ができたのは、高校2年。ただ、交際相手以外は、家族にもクラスメートにも、自分のSOGI(性自認と性的指向)は絶対の秘密にした。交際相手はシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別に違和感がなく、性自認と一致し、それに沿って生きる人)で、“「男役」である佐々木さんと交際してみたい”という動機が強かった。しかし、「あなたとは結婚できないし、子どももつくれないじゃん。別れたい」と言い、やがて離れていった。
佐々木さんが、生まれた時に割り当てられた性別は女性。3歳から違和感があった。親から“お人形さん”をプレゼントされても、うれしくなかった。小学校では体育でブルマーをはくことが、何より苦痛だった。
中学生になり、制服のスカートに違和感しかなかった。さらに、男子から告白された。“付き合ったら女の子になれるかも”と思って交際し、無理だと分かった。その後、地元の女子高に進学。そこでは「男役」の立ち位置となった。ギャル、アニオタ、ビジュアル系バンドのおっかけ……個性豊かな同級生に囲まれて、初めて彼女ができたのは、高校2年。ただ、交際相手以外は、家族にもクラスメートにも、自分のSOGI(性自認と性的指向)は絶対の秘密にした。交際相手はシスジェンダー(出生時に割り当てられた性別に違和感がなく、性自認と一致し、それに沿って生きる人)で、“「男役」である佐々木さんと交際してみたい”という動機が強かった。しかし、「あなたとは結婚できないし、子どももつくれないじゃん。別れたい」と言い、やがて離れていった。
交際中、隠し通してきたつもりでも、自宅の前で相手が待っていたり、家に頻繁に連絡があったりする。その他にも、父・友幸さん=千葉県鴨川市、本部長=と、母・香利さん=支部副女性部長=には思い当たる節が多々あった。2007年、20歳となった佐々木さんへ、母は、性の在り方について尋ねた。佐々木さんは“自分は男で、恋愛対象は女性だ”と認めた。
そのことを、両親は当初、受け入れることができなかった。
「“一人の人を大切にしなさい”と伝えてきたのに、子どものことを強く思うがゆえに、その時は、自分たちの思いを押し付けてしまいました。時間はかかりましたが、祈りを重ねていく中で、大河の気持ちに寄り添えるようになりました」
また、佐々木さんと六つ年が離れた弟・大地さん=男子地区リーダー=は、“カミングアウト”当初から、このように思っていたという。
「男性でも女性でも、(佐々木さんは)尊敬できる人です。しっかりと手に職を付けて自立し、夢を持って生きている。今も昔も、一人の人間として、尊敬しています」
交際中、隠し通してきたつもりでも、自宅の前で相手が待っていたり、家に頻繁に連絡があったりする。その他にも、父・友幸さん=千葉県鴨川市、本部長=と、母・香利さん=支部副女性部長=には思い当たる節が多々あった。2007年、20歳となった佐々木さんへ、母は、性の在り方について尋ねた。佐々木さんは“自分は男で、恋愛対象は女性だ”と認めた。
そのことを、両親は当初、受け入れることができなかった。
「“一人の人を大切にしなさい”と伝えてきたのに、子どものことを強く思うがゆえに、その時は、自分たちの思いを押し付けてしまいました。時間はかかりましたが、祈りを重ねていく中で、大河の気持ちに寄り添えるようになりました」
また、佐々木さんと六つ年が離れた弟・大地さん=男子地区リーダー=は、“カミングアウト”当初から、このように思っていたという。
「男性でも女性でも、(佐々木さんは)尊敬できる人です。しっかりと手に職を付けて自立し、夢を持って生きている。今も昔も、一人の人間として、尊敬しています」
「分からなくても」寄り添える
「分からなくても」寄り添える
高校卒業後、佐々木さんは実家を出て、創価女子短期大学に進学。大学卒業後は、フィットネスクラブのインストラクターとなった。社会人になってからも、恋愛をしては破局して苦しみ、“自分を必要としてくれる人は本当にいるのか。自分は何者なのか”と探し求めた。人づてに知ったトランス男性の草野球チームに所属し、歓楽街で集まる“飲みサークル”にも所属した。
その草野球のチームメートたちは「そのままの体を、受け入れるしかないじゃないか」と言う。飲みサークルのトランス男性たちは酒を飲み、「ホルモン(注射)やるっしょ、手術もするっしょ」と酔いながら叫んだ。
みんなが、自分らしさを探しながら、それを見つけられないでいるように思えた。また、それは、自分自身も同じだった。考えても答えが出ない。疲れた。もう生きるのをやめよう、と思った。
一人だけ、最後に別れのあいさつがしたい、と思い浮かんだ人がいた。それは、少し年上の山口裕子さん=東京都八王子市、白ゆり長=という創価学会の先輩だった。
山口さんは歌手として活動し、学会活動にも全力で取り組んでいる先輩だった。佐々木さんが忘れられないのは、フィットネスクラブに出勤する前のある早朝の思い出だ。佐々木さんが、その月の地区座談会に仕事の都合で出席できないことを知った山口さんから連絡が入り、家から最寄り駅までの道すがら、一緒に御書を学んだ。「これで、“座談会”ができたね」と笑う山口さんを見て、佐々木さんは“この人、信心する腹が決まりまくってるな”と感じたという。
山口さんのもとを訪ねた佐々木さんは、「自分は女じゃないんです。今までお世話になりました」と、全てを打ち明けた。
山口さんは「前から何かに悩んでいる気がしていた。話してくれてありがとう。もう大丈夫だよ。私、性のことは、よく分からないけど、何でも一緒にするから」と言った。その言葉も表情も、その存在全部で“生きて!”と引き戻されるように感じた。その後、山口さんは佐々木さんの同意を得て、信頼できる別の学会の先輩を紹介し、悩みに寄り添ってくれた。そして佐々木さんは、自ら信心の実践に励むようになった。
高校卒業後、佐々木さんは実家を出て、創価女子短期大学に進学。大学卒業後は、フィットネスクラブのインストラクターとなった。社会人になってからも、恋愛をしては破局して苦しみ、“自分を必要としてくれる人は本当にいるのか。自分は何者なのか”と探し求めた。人づてに知ったトランス男性の草野球チームに所属し、歓楽街で集まる“飲みサークル”にも所属した。
その草野球のチームメートたちは「そのままの体を、受け入れるしかないじゃないか」と言う。飲みサークルのトランス男性たちは酒を飲み、「ホルモン(注射)やるっしょ、手術もするっしょ」と酔いながら叫んだ。
みんなが、自分らしさを探しながら、それを見つけられないでいるように思えた。また、それは、自分自身も同じだった。考えても答えが出ない。疲れた。もう生きるのをやめよう、と思った。
一人だけ、最後に別れのあいさつがしたい、と思い浮かんだ人がいた。それは、少し年上の山口裕子さん=東京都八王子市、白ゆり長=という創価学会の先輩だった。
山口さんは歌手として活動し、学会活動にも全力で取り組んでいる先輩だった。佐々木さんが忘れられないのは、フィットネスクラブに出勤する前のある早朝の思い出だ。佐々木さんが、その月の地区座談会に仕事の都合で出席できないことを知った山口さんから連絡が入り、家から最寄り駅までの道すがら、一緒に御書を学んだ。「これで、“座談会”ができたね」と笑う山口さんを見て、佐々木さんは“この人、信心する腹が決まりまくってるな”と感じたという。
山口さんのもとを訪ねた佐々木さんは、「自分は女じゃないんです。今までお世話になりました」と、全てを打ち明けた。
山口さんは「前から何かに悩んでいる気がしていた。話してくれてありがとう。もう大丈夫だよ。私、性のことは、よく分からないけど、何でも一緒にするから」と言った。その言葉も表情も、その存在全部で“生きて!”と引き戻されるように感じた。その後、山口さんは佐々木さんの同意を得て、信頼できる別の学会の先輩を紹介し、悩みに寄り添ってくれた。そして佐々木さんは、自ら信心の実践に励むようになった。
山口さんは、当時のことを、こう振り返る。
「女子部(当時)の後輩の皆さんの名前を書いて、一人一人の幸福を祈っていましたが、佐々木さんには特に、会いに行くことや、声をかけることに心を砕いていました。理屈というよりは、直感で“孤独にさせてはいけない”って感じるところがありました」と。
山口さんは、芸術の世界で逆境に挑み、家族の闘病をも支えながら、「自分が脚光を浴びるのではなく、人を励ますために、歌い続けたい」と人生を歩んできた。性の在り方については深く知っていたわけではないが、“人を理解したい、励ましたい”との思いは人一倍だった。その思いが、佐々木さんの人生を、生きる方向へ、引き戻したのかもしれない。
山口さんは、当時のことを、こう振り返る。
「女子部(当時)の後輩の皆さんの名前を書いて、一人一人の幸福を祈っていましたが、佐々木さんには特に、会いに行くことや、声をかけることに心を砕いていました。理屈というよりは、直感で“孤独にさせてはいけない”って感じるところがありました」と。
山口さんは、芸術の世界で逆境に挑み、家族の闘病をも支えながら、「自分が脚光を浴びるのではなく、人を励ますために、歌い続けたい」と人生を歩んできた。性の在り方については深く知っていたわけではないが、“人を理解したい、励ましたい”との思いは人一倍だった。その思いが、佐々木さんの人生を、生きる方向へ、引き戻したのかもしれない。
“原点”への思いと、パートナーの後押し
“原点”への思いと、パートナーの後押し
佐々木さんは、熟慮の末、2014年に性別適合手術を受ける。そして、戸籍を男性に変更した。さらに、手に職を付けようと、専門学校に入学。理学療法士の資格を取得した。東京から神奈川に転居。過去のことは公には語らず、男子部の人たちと、学会活動を始めた。
ある時、男子部の仲間から、「信心の原点は何?」と聞かれて、言葉に詰まった。それを語ることは、自分の来し方、つまり性の在り方を明かすことでもある。考えた末に、カミングアウトしようと決めた。会合での信仰体験の発表という形で、思いを述べた。
その発表を、後押ししてくれたのは、パートナーの啓子さん=副白ゆり長=だ。「話したいと思う気持ちがあるなら、もっと自分を解放していいと思うよ」と。啓子さんはシスジェンダーの女性で、かつてのフィットネスクラブの同僚。性別を変更する前の佐々木さんのことも知っている。
佐々木さんは、熟慮の末、2014年に性別適合手術を受ける。そして、戸籍を男性に変更した。さらに、手に職を付けようと、専門学校に入学。理学療法士の資格を取得した。東京から神奈川に転居。過去のことは公には語らず、男子部の人たちと、学会活動を始めた。
ある時、男子部の仲間から、「信心の原点は何?」と聞かれて、言葉に詰まった。それを語ることは、自分の来し方、つまり性の在り方を明かすことでもある。考えた末に、カミングアウトしようと決めた。会合での信仰体験の発表という形で、思いを述べた。
その発表を、後押ししてくれたのは、パートナーの啓子さん=副白ゆり長=だ。「話したいと思う気持ちがあるなら、もっと自分を解放していいと思うよ」と。啓子さんはシスジェンダーの女性で、かつてのフィットネスクラブの同僚。性別を変更する前の佐々木さんのことも知っている。
啓子さんは、今の二人の幸せの形について、語ってくれた。
「パートナーになる際、“子どもを授かれない”ということは、一つのテーマではありました。彼も“私を悲しませるのではないか”と、一番引っかかっていたことでもありました。でも、私は、彼と生きていこうと思いました。繊細で、気配りができて、話しやすくて、なんだかんだ頼れる。家族であり、友達でもあり、恋人でもある。そして何よりも同志である。そういう感覚になる相手、スムーズに結婚に至る相手は、これまで、私の人生にはいませんでした。大切なダイズ(飼い犬)もいますし。それに、考え方によっては、“人と違う”ということは、周りと比べて喜んだり落ち込んだりして“人の幸せに振り回されない”ことだとも思います。自分の人生は、自分にしか生きられない。私たちは、今のこの形がいい」
啓子さんは、今の二人の幸せの形について、語ってくれた。
「パートナーになる際、“子どもを授かれない”ということは、一つのテーマではありました。彼も“私を悲しませるのではないか”と、一番引っかかっていたことでもありました。でも、私は、彼と生きていこうと思いました。繊細で、気配りができて、話しやすくて、なんだかんだ頼れる。家族であり、友達でもあり、恋人でもある。そして何よりも同志である。そういう感覚になる相手、スムーズに結婚に至る相手は、これまで、私の人生にはいませんでした。大切なダイズ(飼い犬)もいますし。それに、考え方によっては、“人と違う”ということは、周りと比べて喜んだり落ち込んだりして“人の幸せに振り回されない”ことだとも思います。自分の人生は、自分にしか生きられない。私たちは、今のこの形がいい」
希望を育む、根源の力
希望を育む、根源の力
二人には夢がある。理学療法士の佐々木さん、整理収納アドバイザーの資格を持っている啓子さん。二人で協力し“在宅で介護を必要とする高齢者や、障がい者をケアする家族のための「環境づくり」を仕事にしたい”というものだ。実は佐々木さんは昨年から、病院勤務のほかに、訪問看護ステーションからの依頼を受けて、在宅でのリハビリケアも担っている。その中で、在宅介護や障がい者ケアの環境に改善の余地があることを感じた。
「物が積み重なったり、人の動線が限られたり、それだけで、リハビリの質も、家族のストレスも増大する。そういう環境面を変えることで、もっと障がい者も家族も、生きやすくなると考えています」
佐々木さんに、これまでの歩みを踏まえ、今の思いを聞いた。
「僕はトランスジェンダーの当事者ですが、誰もが人生で、何かのテーマで“当事者”だと思うんです。自分の性の在り方については、理解してもらえたらうれしいけれど、“分かってよ”とは思いません。そう思うよりは、今は誰かのことを“分かりたい”と思う気持ちが強いです。自分たちの生き方を見てもらって、周囲の人の理解が深まればありがたく思うし、僕も、何かに悩む誰かへの理解を深めて、その人を支える生き方がしたい」
佐々木さんが心に刻む、池田大作先生の指針がある。
「いのちある限り、希望はあり/希望ある限り、道は開ける/その強靱な/“希望の一念”を育む根源の力が/信仰なのである/信仰こそ“永遠の希望”である」(『四季の励ましⅣ』)
多くの人との出会いを経て、佐々木さんの人生には今、希望がある。
二人には夢がある。理学療法士の佐々木さん、整理収納アドバイザーの資格を持っている啓子さん。二人で協力し“在宅で介護を必要とする高齢者や、障がい者をケアする家族のための「環境づくり」を仕事にしたい”というものだ。実は佐々木さんは昨年から、病院勤務のほかに、訪問看護ステーションからの依頼を受けて、在宅でのリハビリケアも担っている。その中で、在宅介護や障がい者ケアの環境に改善の余地があることを感じた。
「物が積み重なったり、人の動線が限られたり、それだけで、リハビリの質も、家族のストレスも増大する。そういう環境面を変えることで、もっと障がい者も家族も、生きやすくなると考えています」
佐々木さんに、これまでの歩みを踏まえ、今の思いを聞いた。
「僕はトランスジェンダーの当事者ですが、誰もが人生で、何かのテーマで“当事者”だと思うんです。自分の性の在り方については、理解してもらえたらうれしいけれど、“分かってよ”とは思いません。そう思うよりは、今は誰かのことを“分かりたい”と思う気持ちが強いです。自分たちの生き方を見てもらって、周囲の人の理解が深まればありがたく思うし、僕も、何かに悩む誰かへの理解を深めて、その人を支える生き方がしたい」
佐々木さんが心に刻む、池田大作先生の指針がある。
「いのちある限り、希望はあり/希望ある限り、道は開ける/その強靱な/“希望の一念”を育む根源の力が/信仰なのである/信仰こそ“永遠の希望”である」(『四季の励ましⅣ』)
多くの人との出会いを経て、佐々木さんの人生には今、希望がある。
●最後までお読みいただき、ありがとうございます。ご感想をお寄せください。
メール youth@seikyo-np.jp
ファクス 03-5360-9470
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