「自らの意に随[したが]う」と読む。略して随自とも。衆生の機根にかかわらず、仏自身の内面の覚りをそのまま説き示すこと。またその教えをいう。随他意に対する語。法華経がこれにあたる。「諸経と法華経と難易の事」に「仏九界の衆生の意楽に随って説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随って説く所の経を随自意という、譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり」(991~992㌻)とある。「観心本尊抄」では「迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説(=已今当)は悉く随他意の易信易解・本門は三説の外の難信難解・随自意なり」(249㌻)と述べられている。 随他意