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〈Seikyo Gift〉 生きるよろこび 脳性まひのタクシー運転手〈信仰体験〉 2021年4月4日

あなたのままで輝こう
私も共に輝こう

 【東京都三鷹市】2月9日の深夜、テレビ東京の番組「チマタの噺」で一人の壮年が取り上げられた。テロップには「鶴瓶の気になるチマタ 体の不自由なタクシー運転手さん」と。きっかけは、落語家の笑福亭鶴瓶さんが、脳性まひの宮野英夫さん(64)=地区幹事=が運転するタクシーに乗車したこと。
 
 生まれつき両足が不自由で、右手のまひもある。定年退職後にタクシー運転手になった。放送では5分ほど、宮野さんへのインタビューが流れた。「一つの障がいという宿命ですから。その宿命を使命に変えて……」。その信念の歩みをたどると――。

  

「仏法の偉大さを証明するために生まれてきたんだから」と語る宮野さん。総東京自由グループの副グループ長も務める
「仏法の偉大さを証明するために生まれてきたんだから」と語る宮野さん。総東京自由グループの副グループ長も務める

 「あっ、鶴瓶さんだと声で気付いてね。気さくないいおっちゃんで。人生は一期一会ですね。放送後、学会員さんから『奥さんが最高だ!』って言われました。やっぱり分かってらっしゃる。ほんと縁が大事。あっははは」
 
 屈託のない笑顔に、裏表のない誠実さがにじむ。そんな宮野さんの運転は、「丁寧で、時間にもロスがない」と乗客から喜ばれるという。普段は電動車いすで移動する。以前は歩行を支えるステッキを使っていたが、頸椎への負荷を減らすため、9年前から使用している。

  

 午前5時、職場に到着。仕事ではステッキを使い、タクシーに乗り込む。自家用車には手だけで運転するための装置が固定されているが、タクシーには取り外し式の手動運転装置を使う。「今は便利です。これさえあれば、どのタクシーでも使えますから」とほほ笑む宮野さん。
 
 装置を付けるのに10分ほど。営業所を出発し、乗客の目的地へ。多摩地域はじめ、23区内を巡る。大抵の人は手動運転に気が付かない。自ら話題を振る。「表には出さなくても、いろんな悩みを持った方がいます。だから、私の経験や思いをお話しすることで、少しでも元気になっていただければ」

  

 サラリーマン、主婦や高齢者。日々、さまざまなお客と言葉を交わす。コロナ禍に苦しむ人も多い。ある時は、会社を経営しているという男性から、このままでは倒産しかねないと聞いた。
 
 「ため息をつかれるので、『自分自身に負けないでやってきました』と伝えると、『じゃあ、私も頑張らなきゃね』って。一つ一つの出会いは、私にとって本当にありがたい時間なんです」
 幼少の頃を振り返ると、千葉の特別支援学校での思い出がよみがえる。機能訓練を重ねた日々。歩行器を使わずに歩けるようになったのは、中学生になってから。

  

「2人の娘に、孫もひ孫もいて、本当に幸せです」と語る宮野さんが、支え合ってきた妻・純子さん㊧と
「2人の娘に、孫もひ孫もいて、本当に幸せです」と語る宮野さんが、支え合ってきた妻・純子さん㊧と

 「それも両手でつえをついて、やっと。他の人と違うのを感じざるを得なかった。もっと動けるようになりたい。でも、体は思うようにならない。悔しくて仕方なかった」。中等部の卒業時期、教員から言われた。「就職はできないよ」。挑戦したい気持ちを砕かれ、以後、実家に閉じこもった。
 
 どう生きていくのか。なぜ社会は自分を受け入れてくれないのか。悶々と過ごした。
 3年を経て、もがけるだけもがこうと決めた。東京の職業訓練校へ。そこで、妻・純子さん(69)=副白ゆり長=と出会う。

  

 彼女は3歳の時、事故で左足の膝から下を失っていた。義足で歩く。その顔に全く悲哀はなかった。付き合う中で、創価学会の信心の話を聞いた。「心に残ったのは、『絶対変われるから』『願いとしてかなわざるなしだよ』という言葉です。彼女の確信が響いたんですね」
 
 1976年(昭和51年)、19歳で入会、そして結婚。以来、男子部の活動に励むようになる。純子さんは、「会合に休まず参加し、小説『人間革命』を真剣に学んで。本当に真面目な姿が印象的でした」と当時を語る。

  

「合唱団流星」の練習風景。共に歌い、希望の人生を開いてきた(右側手前が宮野さん、2014年撮影)
「合唱団流星」の練習風景。共に歌い、希望の人生を開いてきた(右側手前が宮野さん、2014年撮影)

 職業訓練校を出た宮野さんは、社会へ出る挑戦を始めた。いざ就職先を探すと、障がいを理由に不採用を告げられた。採用されても、時計修理会社は半年で退職。次の写真印刷の仕事も1年半で辞めた。子どももいる生活を、純子さんが内職をして支える。宮野さんは前だけを見ていた。
 
 「学会の中で鍛えられたから、現状を変えてみせるという思いが、折れることはありませんでした」。やがて、レンズ会社に落ち着く。障がい者は初採用とのこと。社内の移動からトイレのことまで不自由は多かった。それでも踏ん張った。そうするうち今度は、自分が障がい者だと認めたくない気持ちが膨らんでいく。

  

 「増上慢に陥っていました」と過去の自分を見つめ、「そんな時期もあったんです」と宮野さんは言う。「障がいに対する劣等感がぬぐえなかった。だから強がって、信心で自分を飾ろ
うとしたというか。虚栄心があったんです。それは信心の確信のようで違う。自分を過信しているだけでした」
 
 そんな心を変えたのは、自由グループ(身体に障がいがある友の集い)の同志だった。都営団地の自宅に、何度も何度も足を運んでくれる先輩がいた。彼は先天性の骨形成不全症を患い、骨折や骨変形を繰り返していた。移動にさえ大きな苦労が伴う体で、松葉づえを握って会いに来てくれた。その明るさに本物の信仰者の力を感じた。

  

 「一人を勇気づけるために、行動すること。それが自分にはなかったんです。いつも、自分のためでした。先輩と接して、全てが変わっていった」。自由グループの集いに参加するようになった。会合では、足しげく通ってくれた先輩がいつもギターを弾いた。
 
 学会歌を歌う時、手足の不自由な友が懸命に指揮を執る。その姿に胸が熱くなった。「自分の姿でもって、人間の可能性を示していく。障がいがあろうが、こうして人生を謳歌できるということを、私も証明していきたい。そうした決意が強くなっていったんです」

  

一日一日に真心を込め、75歳までの勤務を目指す
一日一日に真心を込め、75歳までの勤務を目指す

 その後、総東京自由グループの「合唱団流星」で副団長を務めるように。同じ障がいがある知人が、宮野さんの姿に引かれ、入会もした。仕事ではレンズ会社を定年まで勤め上げた。次なる挑戦として、選んだのがタクシー運転手だった。
 
 「2種免許を取るにも周りからは無理だ、就職も難しいと言われて。それでも学会員っていうのは、負けじ魂ですよね。決して自分に負けちゃいけないですから」。タクシーの採用面接では、1度、苦い思いを経験した。体を見ただけで不採用。障がいに対する社会の壁を、いまだに感じることはある。

  

右手でハンドル、左手でアクセルとブレーキを操作して運転を
右手でハンドル、左手でアクセルとブレーキを操作して運転を

 その後、諦めずに採用を勝ち取り、2017年(平成29年)から働いている。「不可能を可能にする。体は不自由でも心は自由に生きる。私の生きざまを多くの人に見てもらいたい」。先週、1年ぶりにリモートで合唱団の練習会が行われた。画面越しに30人が集まり、ピアノに合わせて、歌った。
 
 宮野さんが大好きなのは愛唱歌「はるか未来へ」。いつも、その歌詞に熱い思いを込める。
 
 ♪道が遠く険しくても わたしには友がいる 使命の翼ひろげて 大空の彼方 あなたのままで輝こう わたしも共に輝こう
(2月14日付)

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